「岡本太郎生誕100年記念事業」の主要プログラムとしては、2/26六本木ヒルズアリーナでの生誕100年バースデイイベントを皮切りに、東京国立近代美術館「生誕100年岡本太郎展」(3月8日〜)ほか、NHKでのドラマ化「TAROの塔」(2/26スタート、全4回)など、メディアを超えたプログラムが多数開催される予定です。
詳細は公式サイトをご参照下さい。
岡本太郎生誕100年記念事業公式サイトhttp://taro100.jp/
※特価期間2011年7月31日まで。2011年8月1日以降は、定価29,400円税込(本体28,000円)
発売日=2011年4月中旬発売予定
体裁=B4変型(280×225㎜)/416ページ/特装美麗特殊カバー/保護函入
デザイン=祖父江慎+佐藤亜沙美(コズフィッシュ)
「岡本太郎生誕100年記念事業」の主要プログラムとしては、2/26六本木ヒルズアリーナでの生誕100年バースデイイベントを皮切りに、東京国立近代美術館「生誕100年岡本太郎展」(3月8日〜)ほか、NHKでのドラマ化「TAROの塔」(2/26スタート、全4回)など、メディアを超えたプログラムが多数開催される予定です。
詳細は公式サイトをご参照下さい。
岡本太郎生誕100年記念事業公式サイトhttp://taro100.jp/
椹木野衣
この本の企画について最初にお話をいただいたのは、もう大分前に遡ります。それから数年を経て、生誕百年の記念出版を目標に監修を進めてきた『岡本太郎 爆発大全』が、このほど刊行となりました。
この間、何度となく川崎市の岡本太郎美術館や青山の岡本太郎記念館に足を運び、太郎さんや敏子さんが過ごした居間で作業を繰り返し、時にはゆかりの土地を訪れ、膨大な量の著作に当たり、残された写真の束を漁り、粗い映像にも目を通して、録音された肉声に耳を傾け、どこにいても、なにかしらのかたちで、ずっとこの本について考えながら過ごしてきた気がします。
そうして、いつのまにか全貌が掴みきれないくらいふくれあがってしまった岡本太郎の「原材料」から作品を選りすぐり、組み立て、組み立て直し、編集担当の島田和俊さんと、何度も何度も試行錯誤を繰り返しました。
ただし、目標は明解でした。岡本太郎の仕事をたんに網羅的に回顧するのではなく、21世紀に対応した、未知の芸術家としての岡本太郎の可能性を新たに呼び覚ますことです。
長く太郎のパートナーであった岡本敏子さんは生前、よく「太郎さんはこれからの人なのよ」と仰っていました。言い換えれば、この本が目指すのは、その「これからの岡本太郎」をつくりあげることにありました。
だから、もしかすると、絵画作品が初期のものに偏りすぎているとか、有名なあの作品が入っていないじゃないかとか、あるいは、現存しない作品を複写で再現するのは邪道じゃないか、といった意見が出てくるかもしれません。
けれども、そもそもこの本の役割は、公共の美術館での展示やその図録が使命とするような「客観的で正しい資料」を提供することにはありません。そうした考えに立つ限り、従来と同じ岡本太郎像が繰り返されるだけです。どんなに分析が進んで資料としての「解像度」があがっても、太郎自身の未知の可能性はやせ衰えて行きます。どんどん過去の人になっていきます。
そういう負の力に逆らうためのキュレーションを、この本では大胆に行っています。そのためには、失われて行方が知れない作品や、古い図録にイメージが残るだけの絵も、必要とあらば参考資料というのではなく、躊躇せず盛り込みました。よく知られた作品でも、監修者の視点から重要と思えないものについては、いさぎよく収録を見送りました。
そうして揃った材料をもとに、「これからの太郎」を収めるための器をつくっていただくブック・デザイナーとして、私はコズフィッシュの祖父江慎さんに仕事をお願いすることを思い立ちました。祖父江さんと佐藤亜沙美さんは、見事にこの期待に応えて下さいました。それだけでなく、本の全体を監修するうえでも決定的なアイデアをいくつも出していただき、結果的にこの本は、監修者とデザイナーによるコラボレーションのようなかたちで組み上がって行きました。
こうして『岡本太郎 爆発大全』は、生誕100年の誕生日である2011年2月26日の刊行を目標に、なんとか進んでいたのですが、直前になって、いくつかのむずかしい問題が出て来ました。
すでにこの本を手に入れて、私の解説を読まれた読者のなかには、あれ? と感じた方もいるかもしれません。というのも、この本は当初、頁を開くと平台のようにフラットな面になり、見開きの食い込みが極力、避けられるような製本を目指していました。実際、そのために何度も見本をつくり、強度や構造の検討を繰り返しました。その様子は、本の製作というよりも、なにかプロダクトの構造検査をしているような趣さえありました。
この当初の計画は、最後の最後で実現することがかないませんでした。ギリギリまで挑戦したものの、強度不足で本が壊れてしまう危惧を捨てきれず、出版社の判断で、やむなく綴じ方を変更せざるをえなかったのです(それでも、通常の画集に比べれば、かなり開きのよい本になっていると思います)。収録された私の解説とのあいだに、部分的な食い違いが生じているのは、そのためです。(念のため付け加えておくと、そうであってもなお私は、この本が当初の目標を十分に達し得たものになっていると確信しています。また印刷所ならびに製本所の方々も、いま考え得る技術の粋を尽くして、すばらしい仕事をして下さいました。心より敬意を表したいと思います。)
が、そうこうしているうちに、岡本太郎はさっさと生誕百年を迎えてしまいました。ところが、そこに追い打ちをかけるように、3月11日、あの恐ろしい震災が東日本の太平洋岸全域を襲ったのです。この本も、部分的な影響を免れませんでした。カバーの印刷工場が被災地に所在していたり、刷り終えた本文を保管する倉庫の棚が崩れて紙が汚れてしまい、3月中を予定していた刊行が、更に遅れることになってしまったのです。
発売をお待ちいただいていた読者の方には、この場を借りてお詫びを申し上げなければなりません。けれども、あらためて考えてみたとき、こうした予期せぬトラブルもまた、岡本太郎の「思し召し」のように感じられて来るのも事実です。というのも、この本はある意味、この大震災と原発事故のあとでこそ、真の力を発揮するような気がしてならないからなのです。
この本の心臓部に位置するのは、頁を左右に開くと2メートル近くなる太郎の代表作「明日の神話」です。
岡本太郎は、1954年に太平洋で行われた米国による水爆実験で被爆した第五福竜丸事件から着想して、いずれ放射能と闘うことになるであろう人類の「明日」を描きました(完成した壁画は現在、東京・渋谷駅の通路の壁面に飾られています。画面下方右の水平線には、第五福竜丸とおぼしき漁船も描かれているので、近くに立ち寄られた際には傍で確認してみるのも一興かと思います)。
実は、岡本太郎が「反万博」の決意を抱いて参加した大阪万博(1970年)には、美浜原発1号機からの最初の電力が送られていました。つまり、太郎が「否!」を突きつけた万博のテーマ「人類の進歩と調和」は、原発のエネルギーによってささえられていたのです。これに対して、「太陽の塔」と平行してメキシコでつくられていたのが、「人類の進歩と調和」とはまったく対極にある暗黒の世界を描いた巨大壁画「明日の神話」でした。
こうした考えに立って、この本では、従来は(同時期に作られたものの)別々のプロジェクトとして捉えられていた「太陽の塔」と「明日の神話」を一体のものとして、時空を超えたこの21世紀を舞台に、新たに結合して再現することをもくろみました。両者に共通するのは、「負の太陽」と呼ぶべき原子力を乗り超えるべく、「無償の太陽」としての生命の力を描いて、人類がいま陥っている暗いニヒリズムを克服することにあります。
こうした意図を盛り込んだ『岡本太郎 爆発大全』が、奇しくも、3月11日以後の世界に向けて岡本太郎とともに送り出す、私にとって最初の一冊となったことに、いま、不思議な感慨を抱いています。
「オレの誕生日なんか祝ってる場合じゃないぞ。こういうときこそ挫けず、猛烈に、徹底的にスジを通して生きなければダメなんだ!」−−−−そんな太郎の声が聞こえて来るような気がします。
(さわらぎ・のい 美術批評家、監修者)
「前例のない道を進むべし」というメッセージにこそ、岡本太郎の真価はある。原爆を落とされ、戦争に負けた日本において、絵画、彫刻、写真、テレビ、ありとあらゆるメディアの活動を展開し、日本人が人間らしさを再生する手だてをひたすら芸術に求めた男。この本のなかには岡本太郎の未知の可能性が燃えたぎっている。
村上隆(アーティスト)
―「これからの百年」への記念碑を―
いよいよ節目の年が来る。岡本太郎生誕100年。2011年は「これまでの百年」から「これからの百年」にブリッジを架ける年だ。
むろんやるべきことは太郎を真似たり崇めたりすることじゃない。〝墓守〟に血道を上げたところで岡本太郎は喜んではくれない。いま太郎と向き合いたいなら、彼と「真剣に遊ぶ」しかない。ぼくはそう考えている。
この節目の年に太郎と真正面からぶつかる覚悟を決めた強者が現れた。リングに上がるのはあの椹木野衣と祖父江慎だ。退屈な試合になるはずがない。いったい彼らはどんな風に遊んでみせるのか、期待は高まるばかりだ。
ぜひ「これからの百年」に向けた記念碑となる作品をつくって欲しい。
平野暁臣(岡本太郎記念館館長)
『岡本太郎爆発大全』のカタログをご用意しております。
下記宛にご請求下さい。
ピカソが咆哮し、ジョイスが哄笑するパリで、若き岡本太郎はウルトラ・モダンの怒濤逆巻く海峡に、我が身を投じたのだった。しかし、日本へ戻った彼を待ち受けていたのは、表層のモダンと戯れる薄っぺらな近代主義者たちがつくる、擬制の文化だった。岡本太郎は怒りをこめて、偽物たちに立ち向かっていった。まるでドン・キホーテのように。日本のウルトラ・モダニスト岡本太郎の祖国における数少ない味方は、縄文、沖縄、アイヌ、古代、と数こそ少ないが、いずれも強力な魔力をひめた面々。壮絶で滑稽なその闘いの様を、少年の日に目撃していたぼくは、いまにじぶんもこの人のように戦おうと誓っていた。
中沢新一
(人類学者・多摩美術大学
芸術人類学研究所所長)