特別賞

武蔵野市/葵リリコ(会社員・26歳)
夏上手
 夏休みもケータイみたいに繰り越せたらよかったのに、とここ何年か思っている。小学校のときの四十日、大学のときの二ヶ月の夏休みをちょっとでもいいから今欲しい。そしたらどこにでも行けるし、何でもできる。夏が特別な季節でなくなってしまったのは、大人になったからだと思っていた。
 そんな私に、マモルくんをはじめとする四人はやさしく、けれど強烈にパンチを食らわせた。  彼らは念密に計画をたてて海へ行ったり、キャスターつきのバッグを持って海外へ行くわけではない。どちらかというと狭い行動範囲内で動きまわり、どこにでもあるようなささいなものに囲まれて夏を過ごす。けれど、とても楽しそうなのだ。
 メールでなく電報。くどくどと話し合うのではなくテレビゲームでの一発勝負。それらにニヤニヤしながら読みすすめていった私はあることに気づいた。四人ともハプニングを楽しめるくらいタフで、しかも楽しむことに対して真面目なのだ。
 もしかしたら、大人は子供よりも夏休みが得意なのかもしれない。
 自由で、意思があり、冷静に一瞬一瞬を選択していく大人は、とても上手に夏休みを過ごせる。時間がないとか、そういうことが問題ではないのだ。
 夏休みの過ごし方にお手本なんかないけれど、いつか四人のようなどこにもない粋な夏を作ることができたらいいなと思う。

札幌市/弘本由紀子(会社員・25歳)
「101 B3」
読み終えてまず、草津ってどこだっけと思いました。
恥ずかしながら本州の温泉地の場所がよくわからなかったのです。部屋中探したけど草津温泉に関係のあるものが何もなかったので(そもそも行ったこともないのにあるわけないのですが)、中学校の時の地図帳を引っぱりだしてみました。索引で「くさつ」を探すと「96 B2S」とあったので見てみたら、滋賀県でした。そうか滋賀県なんだと思って、でも微妙にしっくりこなかったので、家族に「草津温泉は滋賀県でしょうか」と聞いたら、いっせいに「バカ、群馬だよ」と言われました。そうか群馬なんだと思って、地図帳が間違いだったら大発見かもしれないとドキドキしたのですが、よくよく見たら「96 B2S」の後に「101 B3」というのがくっついていました。そっちを見たら群馬県でした。ホカホカした感じのマークもちゃんとありました。ちょっと残念でした。
その話を自分の夏休み中、仲良しの友達にしたら、なんと友達はいつだったか滋賀県の草津を車で通ったことがあって、その時にやっぱり「あ、草津温泉だ」と勘違いしたと言っていました。友達同士っていいなあ、と思って深く感動しました。
そんなわけでいつか私が家出したら、置き手紙に「101 B3」って書いていきます。それを見た友達が探しにきてくれると思うのですが、お互いに裏をかいて滋賀県でばったり会いそうな気がします。

練馬区/丹慶しのぶ(会社員・24歳)
シャベルと旅と夏休み
家の庭の片隅には、小さな窪みがある。ぽつねん。その表現がしっくりくる誰の目をひくこともない淋しい空間。でも、そこには遠い日の私の夏休みが眠っている。
 幼稚園に入った最初の夏休み、玩具のスコップで庭の片隅に穴を掘り続けた。毎日。入道雲、蝉の大合唱、地面に染み込んだ汗…もう全て忘れているけど、土を掬いながら感じた想いは〈ここから、地球の裏側に行くんだ〉微かな痛みを伴い、今でも胸に蘇る。幼い私は庭の片隅で異国への家出を計画していた。
 しかしながら、穴は地球の裏側まで届かず、家出も出来ぬまま夏休みは終わりを迎えた。でも満足だった。掘り続けながら想像した地球の裏側は、とても魅力的だったから。夏が終わる頃、私は想像の中で異国の風景や何人もの架空の友達を得ていた。
 大人になった今、【夏休み】を読んで、辛くなってしまった。『分解の鉄則』がわかり、『離婚をかけたバトル』や『義理友達との家出』がとても興味深く思えてしまったから。そして、今の自分は現実から家出をしたいんだな、と気付いてしまったから。【夏休み】のようなそれはとても難しく、むしろ穴を掘り続けたあの頃の方がより近かった気がしてならない。そう思うと胸がじんじん痛む。
 だから今年の夏休みは、庭の窪みの傍らで【夏休み】を再読しようと思う。その後、夏休みの過ごし方を考えてみよう。答えがわかったら置き手紙を残して実行だ。もし無謀だと笑われたなら【夏休み】の話をすればいい。夏休みは日常の群れから外れるものだということを。分かるだろうか。夏休みは現実を切り離した場所にあり、楽しむものなのだ。
 そして、何かを得て帰ってくるものなのだ。

岐阜市/北村愼太朗(学生・21歳)
『僕』
僕の一人称は『僕』だ。小学校中学年ぐらいで周りの男の子たちが『俺』になっていくのを尻目に、僕は『僕』のままだった。そこには、僕が『僕』で有り続けたいと思う気持ちがあったのだろうか。
マモルの『僕』という一人称は僕の『僕』となんだか近い気がして驚くほどすんなりと僕はこの物語の世界に入っていけた。
僕の中の『僕』的な気持ち、子供の頃から変わらない無垢でセンチメンタリストな心の隅っこに、この物語は僕にも夏休みをくれた。
心のための夏休み。吉田くんがそうしたように。でもりりしいユキやしなやかな強さのある舞子さんたちはもうそんな夏休みを卒業した女性に見えた。すごく、すごく強くて美しい女性に見えた。夏休みを終えてちょっぴり前より強くなった吉田くんならそんな美しい女性ともうまくやっていけるんじゃないかな。
そしてこの物語を読んだ僕は、吉田くんたちと同じように、少し前の『僕』よりちょっとだけ大人になった気がした。
最後に。僕はこの物語が土。だい土です。

仙台市/佐藤慎一郎(学生22歳)
最後の夏休み
大学生活も残り数ヶ月、学生時代最後の夏だと思いほとんど衝動的に旅に出てしまった22歳です。鉄道メインの旅なので車内で読めるサイズでかつ旅を盛り上げてくれそうな本を駅で探している時にこの本に出会いました。さっそく車内で読み始めて思わず笑ってしまった場面はユキが家出の三つの種類を紹介するくだりです。夏休みに本能的になんとなく北に旅に出てしまった自分…全部当てはまっているじゃないですか!
それからはもうユキ親子の言動、しぐさに夢中になり車窓そっちのけで「夏休み」を堪能しました。ゆく夏を惜しみながら、社会に出ることの不安と気軽な学生生活が終わってしまうことの寂しさを感じていましたが、大人になってもまた夏はやってくること、そして静かに終わってゆくことを、完結した小空間である北斗星の寝台個室の中で素敵なラストを読みながらひとり感じていました。