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第57回文藝賞 選評 磯崎憲一郎 「小説の自己生成」

「文藝」2020年冬季号 227頁 第57回文藝賞の選考委員・磯崎憲一郎氏による選評「小説の自己生成」で、編集過程上のミスが生じ、脱落がございました。下記にて脱落部分(4段落目太字箇所)を含めた原稿全文を掲載させていただくとともに、磯崎氏をはじめとした関係者の皆様、及び読者の皆様へご迷惑をおかけしたことを、深くお詫び申し上げます。


選評 磯崎憲一郎

「小説の自己生成」

 世間一般に、素朴に信じ込まれているだけではなく、プロの書き手の中にも勘違いしている人をときどき見かけるのだが、小説とは、作者の思想信条や問題意識を披露する場ではないし、溜め込んだ苦悩を吐露するための媒体でもない、具体性を積み上げることで自らの外側に広がる世界を照らし出し、作品という形で現前させる言語芸術なのだ----という同じ内容は、本誌二五二ページに掲載されている「文藝賞原稿募集」の選考委員からの言葉として書いた通りなのだが、今回の最終候補作三作の中で、作者の側ではなく、小説の側を立ち上げ、実現しようとしていると感じられたのは、藤原無雨「水と礫」の一作のみだった。

 この小説には、「1」「2」「3」という三つの章が反復されるたびに、物語と人物、風景が重層的に、多面的に、より広い視野と時間の幅をもって描かれることによって、小説が自ら立ち上がり、増殖し始めるかのような、まるで「小説の自己生成」を目の当たりにしているような感動がある。「小さなドクロの置物、羊皮紙色の地球儀、みっちりとペンが押し込まれた寄せ木細工のペン立て......朱肉ケースは三種類並べられていて、どれも指紋がべたべた付いていた。木造りの立派なティッシュケース、これで指についたインクを拭うのだろう」「ホールと違って色のない、高いところについた凹凸ガラスには、西日が差していた。それらが厨房のあらゆるものを照らしたり、影に落とし込んだりしていた......影の中には、棚の下に並ぶ大きな中華鍋。水切りのザル。積み重ねられた何種類もの白い皿。使い込まれた黒いステーキ皿」短いセンテンスで、具体性をぎっしりと隙間なく積み上げてゆく手際の良さには、惚れ惚れとさせられる、こういう丁寧な描写を忍耐強く書ける作家が、プロの中にもどれほどいるだろうか?

 言葉の選び方が的確なので、〝決め〟のフレーズも鮮やかだ。「冷徹なものが遠いと暢気だった」「ノスタルジーがすべて過去に結びついたものでないことを察するくらいには、コイーバは敏感な青年だった」一定の速度で淡々と進む語り口と、文章の乾いた質感は、『百年の孤独』を思わせる部分もあり、私はじっさい本作を読みながら、「牧師」と「ほのか」夫妻に始まり「ロメオ」に至る六代の家系図まで描いたのだが、読み手に家系図を描きたくさせる小説が悪かろうはずがない。本品中に七箇所ある、「1」の冒頭部分の書き手視点の記述が必要かどうかは意見の分かれるところだと思っていたが、選考会で村田委員から出された「この作者のやりたいことを応援したい。挑戦を評価したい」という意見に気づきを得た、「やりたいこと」「挑戦」の決意表明と考えるならば、この書き手の視点部分もまた、本作には不可欠であるに違いない。

 小砂川チト「かわいい標識魚のためのバイエル」は、書き様によっては面白く書けたかもしれない題材を、言葉を尽くさずに、横着して知識に逃げたことによって台無しにしている。「兄さんと黄さんの命の価値は、この場所ではいまや比べようもないほど、天文学的にかけ離れていたのだから。兄さんが帰ってくると言われれば、ふたりはなんらためらいなく、黄さんを殺しただろう」一尾のブリの命を、人間よりも優先するというこの異常さに至るまでの経緯、変化をもっと言葉を尽くして書かないと、小説として立ち上がらない。水槽越しに語り手と見つめ合った「兄さん」が、「ひとつ、ぷかりとバブルリングをつくってみせ」る場面など、上手い描写もところどころあるのだが、やはりそれらも知識に頼って書かれているように見えてならない。ラストの父親からの説教は凡庸過ぎる。

 新胡桃「星に帰れよ」は欠点の多々見られる作品なのだが、中でも致命的だと思ったのは、この書き手は「場」や「空間」が全く書けていない。「兄貴」と「俺」が「モルヒネ」母子に遭遇する居酒屋の場面でも、「向こうのテーブル」という一言があるだけなので、両者の位置関係が定まらない、店を出る「モルヒネ」を「俺」がどのような形で追い掛けたのかが分からない、公園の場面も距離感がないし、父親との会話がどこで交わされたのかも分からない、これでは小説は立ち上がらない。「日常はこんなにも愛おしい」「煮えたぎるような思い」といった紋切り型の表現を無防備に使ったり、父親をあっけなく死亡させたりするご都合主義的な展開も問題なのだが、島本委員から出された意見の中での、「公園、学校といった限られた範囲だけでも、小説として成立させてしまう」ような、十代の書き手しか持ち得ない熱量と楽観には、何か抗しがたいものを感じて、優秀作とすることには賛同した。

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