G・ビューヒナー (ビューヒナー,G)
1813年、ヘッセンに生まれる。7月革命の影響下に、大学で動物学、比較解剖学、臨床医学を学ぶ。1834年、革命のための秘密結社「人権協会」を設立、農民に蜂起をよびかけるパンフレット「ヘッセンの急使」を起草して、印刷・配布したが、密告によって関係者が続々逮捕される中、亡命資金をつくるため戯曲「ダントンの死」を執筆。その後、シュトラースブルグへ亡命。同地で自然哲学、デカルト、スピノザを学びながら、生活資金のため懸賞に応募すべく戯曲「レオンスとレーナ」を書くが、期日に間に合わなかった。「ニゴイの神経系に関する覚書」によってチューリヒ大学から学位を与えられるとともに比較解剖学の講師として招かれるが、37年、23歳で病死する。他の作品に、小説「狂っていくレンツ」、未完の戯曲「ヴォイツェク」などがある。またその名を冠した“ビューヒナー賞”はドイツの代表的な文学賞として知られる。