どんなに落ちぶれても、へこたれても「どん底の至福」を導き出した一冊があった。

若い男女が青春と苦悩のドラマを繰り広げるジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』。そこにはジャズやマンボが鳴り響き、ドラッグや安酒が行き交い、果てしない道を走りとばす車があった。これはケルアック(=サル・パラダイス)の自伝的小説で、20代の後半に盟友ニール・キャサディ(=ディーン・モリアーティ)と広大なアメリカを横断した旅物語だ。キャサディは類希な表現力と奇想天外の思考、誰も予想だに出来ないパワフルな行動力の持ち主で、その存在無くしてこの物語は世に生まれ得なかった。
キャサディの手紙の文体にも影響を受けたという、即興的で無作為的な書き方は、「最初の発想がベスト、頭に浮かんだことをそのまま書く」を理想とし、タイプライターの紙を取り替える時の「思考の停止」を嫌ったため、原稿はトレーシングペーパーをテープでつないだものを用いた。『オン・ザ・ロード』の第1稿は29歳の時、20日の間に約17万5千字(36m)で書き上げられ、作家のトルーマン・カポーティに「あれはライティングではなくタイピングだ」と揶揄されたほど驚異的なスピードだった。しかし、出版には6年もの歳月を要し、1957年、35歳の時にようやく陽の目を見た。

1957年に発行された幻の初版本『オン・ザ・ロード』は出版されるや否や、その即興的文章のリズムや躍動感が人々の心を掴み、またたく間にベストセラーとなる。この本の影響を受けた若者たちがバックパックを背負って旅立ち、60年代にはヒッピー・ムーブメント誕生の導火線となった。出版から半世紀を経た現在では、『オン・ザ・ロード』は32カ国で発行され、アメリカとカナダだけで毎年10万部ものセールスを記録する不動の名作として君臨している。また2001年にオークションに出品された『オン・ザ・ロード』のロール紙の原稿は、240万ドル(約2億4千万円)。戦後の文学史上最高値となった。作家のウィリアム・バロウズがかつて「ケルアックは世界規模で文化革命を起こした源だ。」と語ったとおり、ケルアックのメッセージが国や人種、世代をも超えて届いているのは間違いない。

ケルアックたちが旅した 北アメリカ

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サンフランシスコ

アメリカ西海岸最大の貿易都市で金融の中心地。地中海性気候で良質なワインの産地であることから、古くから文化人・知識人が集まり、ボヘミアン文化が開花した。50年代にはシックス・ギャラリー、シティライツ・ブックスなどビート作家たちの拠点が築かれ、60年代以降、カウンター・カルチャー、ヒッピー・ムーブメントの中心地となった。現在でもその自由でリベラルな空気は失われることなく、文化・政治の情報発信地となっている。

デンヴァー

ディーン・モリアーティ、カーロ・マルクスらの故郷で、主人公サル・パラダイスにとって憧れの街。コロラド州の北東部に位置し、東部と西部をつなぐ交通の要所。ケルアック自身が本格的に移住を計画したほど思い入れの強い場所でもある。

メキシコ

「ここはすばらしい究極の野性的でのびやかなフェラヒーンの子どものような都市で、旅路の果てにぼくらが期待していたとおりのものだった」第4部メキシコへの旅、終始高揚しているかのようなサル・パラダイス一行は、それまでの道のりを収束する"何か"を見つけたのかもしれない。20世紀の初め頃から多くの芸術家、作家、写真家たちも、みな失われた何かを探しに行くかの如くメキシコを訪れている。

マザー・ロード(ルート66)

1926年に開通した、シカゴからサンタモニカまで全長3940km、8つの州と3つのタイムゾーンをまたがるアメリカ初の大陸横断国道。70年代にはじまったハイウェイ構想により次第に規模を縮小し、現在では地図から姿を消してしまったが、かつては「マザー・ロード」と呼ばれ、長い間アメリカの象徴としてカルチャーの発展に貢献した。『オン・ザ・ロード』では第1部の帰路が主にこのルート66である。

ニューヨーク(NYC)

人口の1/3を外国人が占め、多様な文化が入り交じったアメリカ最大の都市にして、世界の文化・経済の中心地。1944年にケルアック、ギンズバーグ、バロウズらビート・ジェネレーションの中心人物がNYCの名門校コロンビア大学で出会い、以来、イースト・ヴィレッジのカフェや、ブルックリンの安アパートなど、この大都市の底辺で無数のエピソードが生まれている。

移動スタイル

フロンティア・スピリット(開拓精神)に象徴されるように、アメリカ人にとって移動には特別な意味合いがある。かつてリンゴの種を配りながら歩いたジョニー・アップルシード、アメリカ各地を流浪した作家のジャック・ロンドンらに代表される“放浪”の伝統を受け継ぎ『オン・ザ・ロード』にも多くの放浪者が登場している。放浪者にはそのスタイルによって「ホーボー」「バム」「ヴァガボンド」などいくつかの呼び名が存在する。サル・パラダイスの移動手段は主にヒッチハイクで、40年代以降、舗装道路が整備され、街道沿いにモーテル、レストラン、ガソリンスタンドなどができて車社会となったアメリカならではの移動スタイルといえる。度々登場するグレイハウンド社の長距離バス路線はアメリカ各地を網羅し、現在でも庶民の足として親しまれている。『オン・ザ・ロード』でも主要な移動手段の一つとして利用され、バス乗り場・車内の中での様子が細かく描写されている。

旅のファッション

登場人物の服装はきわめてカジュアルで、サル・パラダイスはTシャツ・チノパン・ワラチ(サンダル)で旅を続けていた。今日でもアメリカン・カジュアルとされるこれらの服装は、50年代にマーロン・ブランドや、ジェームス・ディーンら映画俳優を通じて広まり、以来若者のファッションとなっていった。40年代後半に描かれたことを考えると、サル=ケルアックの服装はユース・カルチャーの原点とも言える。

GO WEST!

19世紀のゴールドラッシュ以降、現在に至るまで多くの人々がアメリカン・ドリームを求めて西部を目指してきた。サル・パラダイスもまた、この「自らの力で可能性を見出せる地」への思い入れが強かったようだ。長い間ミシシッピ川を境に西側が西部と呼ばれていたが、現在では西経104°線以西の11州が西部と呼ばれている。

JAZZ

「ジャズの即興演奏のような文学」と称されるように、ビート文学とジャズは切っても切れない関係である。作中にもチャーリー・パーカー、セロニアス・モンク、ディジー・ガレスピー、ビリー・ホリディなど、バップ全盛期のジャズの演奏シーンが多く登場し、特に第2部で描かれたジョージ・シアリングのピアノ演奏シーンはケルアックのタイピングとシンクロし、読む者に強い印象を与える。

甘党!?

サル・パラダイスは酒飲みのイメージが強いが、アップルパイとアイスクリームを「だんぜんおいしいので移動中はずっとこればかり食べていた」と語り、ソーダ・ファウンテンに忍び込み、チョコレート・アイスクリームの箱に手首を突っこみ、その手をなめたりするなど、意外な一面もあったようだ。

登場人物相関図

オールド・ブル・リーカーロ・マルクスディーン・モリアーティ

ニール・キャサディ Neal Cassady 1926-1968 ディーン・モリアーティのモデル

この男なくして『オン・ザ・ロード』は生まれなかった。ビート最大のトリック・スター。盗んだ車でアメリカを縦横無尽に旅し、女の子をナンパしたその破天荒でスピード感ある生き様は、ケルアックら多くの作家に大きな影響を与えた。その生涯は妻であるキャロリン・キャサディ『ハートビート―ビート・ジェネレーションの愛と青春』(渡辺洋訳 1990 新宿書房)や映画「死にたいほどの夜」(1997)で詳しく描かれている。

ウィリアム・バロウズ William Burroughs 1914-1997 オールド・ブル・リーのモデル

資産家の家庭に生まれ、ハーバード大卒ながら、ジャンキーで、性的倒錯者、妻殺しと、3大ビート作家の一翼にして、最大の異端者。斬新な文体「カットアップ技法」を発案、80年代以降はNYアンダーグランドシーンの帝王として、文学のみならず、音楽・映画・アートなど幅広く影響を与えた。

アレン・ギンズバーグ Allen Ginsberg 1926-1997 カーロ・マルクスのモデル

ケルアックらと並ぶ3大ビート作家の一人にして、アメリカ文学における戦後最大の詩人。ベトナム反戦運動、ヒッピー・ムーブメントでは先導者的立場となった。口語体でリズミカルに社会的底辺の人々を詠み上げる朗読スタイルは、ボブ・ディランをはじめロック・シーンにも大きな影響を与え、文学としての詩をストリート・カルチャーにまで広げた。

ケルアックの自伝的作品である『オン・ザ・ロード』のほとんどの登場人物には実在のモデルがおり、その大半がビート・ジェネレーションの中心的存在である。細かく描写された彼らの自由奔放なライフ・スタイルに思いを馳せながらページをめくるのも楽しみ方の一つといえる。

著者

ジャック・ケルアック Jack Kerouac 1922-1969 主人公:サル・パラダイスのモデル

本名ジャン-ルイ・ルブリ・ド・ケルアック。1922年3月12日、マサチューセッツ州の工場町ローウエル生まれ。両親はカナダから移ってきたフランス系カナダ人だった為、6歳まで英語が話せなかった。高校生になるとアメリカン・フットボールで活躍し、奨学金を得て大学に進学するまでをローウエルで過ごし、その後は活動の場をニューヨークに移す。コロンビア大学に入学して間もなく、フットボールのコーチと喧嘩をして中退、その後に入隊した海軍でも反抗的態度で除隊処分となる。3度の結婚を経験し、晩年はアルコール中毒に冒されるなど波乱に満ちた人生だった。 反面、恥ずかしがり屋の母親想いで、今もなお世界中の人々から愛される最大の理由を、作家のケン・キージーは「ならず者を照らし出してくれる作品の『優しさ』にある。」と言った。売春婦、ペテン師、麻薬中毒者、ホームレス・・・・・・。ケルアックの作品には、ありとあらゆる「社会の底辺に生きる人々」が登場する。そんな彼らを落ちぶれたままにすることなく優しく受け入れ、どんなに切なく辛くとも、かけがえのない最高に素晴らしい存在なのだと説き示してくれたのだ。1969年10月21日、フロリダにて47歳の短い生涯を終えたケルアックは、故郷のロウエルに埋葬され、墓碑には今も献花が絶えない。2007年、『オン・ザ・ロード』は出版50周年を迎えた。原稿を展示する巡回展や記念朗読会などが全米各地で催され、ケルアックが残した精神は、世代を超えて語り継がれている。

『オン・ザ・ロード』 ジャック・ケルアック 著 / 青山南 訳 河出文庫 ケ1-3

ここではないどこかへ行く、という想いやホーボーへのあこがれにみられる移動や旅への衝動は『オン・ザ・ロード』の中心にあるものだが、ケルアックを投影する語り手であるサル・パラダイスが共感をもって語る人物たちもみな、移動するひとびと、旅するひとびとだ。(……)解説で、トマス・ピンチョンが『オン・ザ・ロード』の魅力として「遠心性の誘惑」をあげていたと紹介したが、ケルアック自身もまた、いろんな遠心性の誘惑にさらされた末に、ないしは、さらされながら、移動をつづけていたのである。だからなおさら、『オン・ザ・ロード』の遠心性は強力なのだろう。
(青山南 河出文庫『オン・ザ・ロード』訳者あとがきより)

『スクロール版 オン・ザ・ロード』 ジャック・ケルアック 著 / 青山南 訳

『オン・ザ・ロード』の最初の原稿となるものが1951年4月に3週間でいっきに書かれたことは、ジャック・ケルアックのファンのあいだではよく知られていたが、本書は、『オン・ザ・ロード』のオリジナル版ともいうべき、長らく幻だったその原稿の翻訳である。
紙をいちいち交換していたのでは言葉の流れを妨げて集中の邪魔になるというので、ケルアックは、紙をテープでつないで長くしたものをつかい、タイプでがんがん打っていった。その結果、書きあがった原稿は巻物のように丸まった。本書の原著が刊行されたのは2007年で、『オン・ザ・ロード』の刊行50周年がきっかけで実現したのだが、もとが巻物状だったことから、On the Road : The Original Scroll なる書名になっている。
(青山南 『スクロール版 オン・ザ・ロード』訳者あとがきより)

関連書籍その他の関連書籍は「オン・ザ・ロード本棚」へ!!

『ジャック・ケルアック 放浪天使の歌』 S・ターナー 著 / 室矢憲治 訳

定価:3,675円(本体3,500円)

4-6判/384ページ
ISBN:978-4-309-20306-5

カウンター・カルチャー革命を先駆けた1950年代アメリカの若者たちの青春を赤裸々に描き出したビート作家ケルアックの放浪する魂を追ったフォト・バイオグラフィー。

『孤独な旅人』 ジャック・ケルアック 著 / 中上哲夫 訳

定価:903円(本体860円)

文庫/328ページ
ISBN:978-4-309-46248-6

『路上』によって一躍ベストセラー作家となったケルアックが、サンフランシスコ、メキシコ、NY、カナダ国境、モロッコ、南仏、パリ、ロンドンに至る体験を、詩的で瞑想的な文体で生き生きと描いた魅惑的な一冊。

『裸のランチ』 ウィリアム・バロウズ 著 / 鮎川信夫 訳 / 山形浩生 解説

定価:1,050円(本体1,000円)

文庫/376ページ
ISBN:978-4-309-46231-8

クローネンバーグが映画化したW・バロウズの代表作にして、ケルアックやギンズバーグなどビートニク文学の中でも最高峰作品。麻薬中毒の幻覚や混乱した超現実的イメージが全く前衛的な世界へ誘う。

『ジャンキー』 ウィリアム・バロウズ 著 / 鮎川信夫 訳

定価:819円(本体780円)

文庫/296ページ
ISBN:978-4-309-46240-0

『裸のランチ』によって驚異的な反響を巻き起こしたバロウズの最初の小説。ジャンキーとは回復不能になった麻薬常用者のことで、著者の自伝的色彩が濃い。肉体と精神の間で生の極限を描いた非合法の世界。

『ソフトマシーン』 ウィリアム・バロウズ 著 / 山形浩生 柳下毅一郎 訳

定価:788円(本体750円)

文庫/232ページ
ISBN:978-4-309-46245-5

ビートニク文学の代表作『裸のランチ』によって驚異的な反響を巻き起こしたバロウズが、『ノヴァ急報』『爆発した切符』とともに発表したカットアップ三部作の一冊。文体実験と独自の世界観を見せる傑作。

『麻薬書簡 再現版』 ウィリアム・バロウズ アレン・ギンズバーグ 著 / 山形浩生 訳

定価:756円(本体720円)

文庫/232ページ
ISBN:978-4-309-46298-1

1960年代ビートニクの代表格バロウズとギンズバーグの往復書簡集で、「ヤーヘ」と呼ばれる麻薬を探しに南米を放浪する二人の謎めいた書簡を纏めた金字塔的作品。オリジナル原稿の校訂、最新の増補改訂版!

BEAT GENERATION

1944年、ケルアックが22歳の時ニューヨークでアレン・ギンズバーグとウィリアム・バロウズに出会う。11年後の1955年、サンフランシスコのシックス・ギャラリーで行われた朗読会で、ギンズバーグによる“Howl”(吠える)が発表され、ビート・ジェネレーションは幕を開けた。その後、サンフランシスコのシティライツ・ブックス等を中心に、若い詩人や作家たちが次々と同人誌や雑誌等を出版し、ジャズと詩の即興ライブや、朗読会が各地で催されビートが熱を帯びてくる。そして1956年にギンズバーグの“Howl”(「吠える」)、1957年にケルアックの“On The Road”(『オン・ザ・ロード』)、1959年にバロウズの“Naked Lunch”(『裸のランチ』)が相次いで出版され、ビート・ジェネレーションは一躍世に知れ渡った。
ビートとはこの3人を中心として既存の社会に抵抗し、新しい価値観を提唱した文学運動である。政府主導の物欲主義や抑圧的な社会に、大胆な文学表現と行動で異議を唱え、社会に疑問や不満を持った若者達から絶大な支持を獲得していった。
ケルアックが自ら命名した「ビート」の語源には「打ち負かされた」と「至福の」(ビーティフィック)という相反する意味がある。そしてジャズが打ち出すビートの意味も加わり、社会の底辺から吐き出された言葉とリズムが、社会の重圧を押し払うパワーとなっていった。現在まで、ビートの影響は文学のみならず、音楽や映画、ファッションや思想まで多岐に渡り波及している。21世紀の若者達もまた、ビートを通して内なる自分の声に耳を傾け、未知の世界や未開の自分に足を踏み入れ、新しいカルチャーを生み出していくことだろう。

ケルアックとバロウズが章ごとに書きつないだ伝説のコラボレーションもついに邦訳刊行!

『そしてカバたちはタンクで茹で死に』 ジャック・ケルアック ウィリアム・バロウズ 著 / 山形浩生 訳

定価:2,100円(本体2,000円)

46判/224ページ
発売日:2010.05.18
ISBN:978-4-309-20539-7

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本書の後で、バロウズはドラッグに手を出すようになり、そしてメキシコに移住して『ジャンキー』を書く。さらにその地で妻殺しを経てタンジール生活、脱ドラッグを経て、かの『裸のランチ』が誕生する。だがそれはずいぶん先の話となる。ある意味で、本書はバロウズと関連づけられるこうした各種できごと以前の、一つのまとめだった。
本書を句点と考え、それまでのバロウズ人生の総括と考えて、それ以降のドラッグに始まるエピソードは人生のまったくちがう段階ととらえるのか、それともバロウズの長い人生の中で、単なる一つの読点と考えるのか、それはあなた次第。
そしてケルアックにおいても、本書の位置づけをどう考えるか?――本書の記述に「オン・ザ・ロード」の面影をいささかでも見て取るか、あるいはまったく別物と考えるのか。それは本書を手に取られる読者諸賢一人一人の判断に委ねるしかない。
(山形浩生 『そしてカバたちはタンクで茹で死に』訳者あとがきより)

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