自由というのはこんなに楽しいものか。二十世紀半ば、『オン・ザ・ロード』は若者の解放宣言だった。男二人、ニューヨークからメキシコ・シティまでのおしゃべり過剰の、気ままな、行き当たりばったりの旅にぼくたちは同行する。

01
『オン・ザ・ロード』 ケルアック
自由というのはこんなに楽しいものか。二十世紀半ば、『オン・ザ・ロード』は若者の解放宣言だった。男二人、ニューヨークからメキシコ・シティまでのおしゃべり過剰の、気ままな、行き当たりばったりの旅にぼくたちは同行する。
02
『楽園への道』 バルガス=リョサ
文学はいつも反逆者の味方だ。絵を描くためにフランスを捨てて南の島に行ったゴーギャン、男性社会の偽善を糾弾したフローラ。彼らの反逆は今に通じている。この二人が孫と祖母の仲なのだから、作家にとってこれほど魅力的な設定はない。
03
『存在の耐えられない軽さ』 クンデラ
静かな生活に政治が暴力的に介入する。満ち足りた日々は抑えきれない欲望に乱される。派手なストーリーに人生についてのしみじみと深い省察が隠れている。これが現代に生きる知的な人間の姿だ。ぼくはテレザともサビナとも暮らしてみたい。
04
『太平洋の防波堤』 デュラス
仏領インドシナのけだるい風土がまず舞台だ。そこでは欲望もけだるくしか動かない。登場するのは美しい娘とその兄と母という家族。そして娘に焦がれる男。性と富の曖昧な交換の物語に読者であるぼくたちは身を沈める、ぬるい風呂に浸るように。
04
『愛人 ラマン』 デュラス
まず、これは蒸留された『太平洋の防波堤』だと思った。貧しいフランス人植民者の娘と富裕な中国人との、恋にまでなりきらない性愛の仲が淡彩で投影される。それを回顧して語る声がものすごくエロティック。登場人物の声が聞こえる小説はいい小説である。
04
『悲しみよ こんにちは』 サガン
十九歳でなければ書けない小説があるのだ。若くて、才気があって、まだ人生に無知なゆえに残酷。場所は南仏、時期は夏、美貌の人々、テーマは愛と策略と死……もう完璧ではないか。サガンは一生この処女作をなぞって書き、この小説のように暮らして死んだ。
05
『巨匠とマルガリータ』 ブルガーコフ
時として小説は巨大な建築である。これがその典型。奇怪な事件や魔術師やキリストの死の事情などの絵柄が重なる先に、ソ連という壮大な錯誤の構築物が見えてくる。この話の中のソ連はもちろん今の日本であり、アメリカであり、世界全体だ。
06
『暗夜』 残雪
残雪が書くものはどの話でも、「私」の身にいろいろなことが起こる。不条理で、混乱していて、読む者はとまどうばかり。登場する他者には親しみのかけらもない。幻想と悪夢の世界。ところが、読み進むうち、世界は本当にこんな風かもしれないという気がしてくる。その時がいちばんショック。
06
『戦争の悲しみ』 バオ・ニン
戦争は文学を生む。大岡昇平が『野火』を書いたのでもわかるように、兵士の中から作家が生まれる。ヴェトナム戦争が生んだいちばんいい作家がバオ・ニンである。この話では登場する女性たちの運命が哀切で、自分の国が戦場になることの底の見えない恐ろしさが伝わる。
07
『ハワーズ・エンド』 フォースター
違う文化を出自とする人間たちが出会い、愛し合うようになる。しかし人と人の間で文化は衝突し、愛は苦戦を強いられる。フォースターはそういう状況を書くのがすごくうまい作家だ。異文化の中に身を置くことが多かったぼくには、このテーマは人ごとではない。
08
『アフリカの日々』 ディネーセン
なんといってもアフリカ。ジャングルではなく、沙漠でもなく、ケニアのさわやかな高原。一人のデンマーク女性のこのメモワールは、ヨーロッパ人とアフリカ人の出会いが最もうまくいった例だ。一九七八年、ぼくはこれに惹かれてケニアまで行った。
08
『やし酒飲み』 チュツオーラ
現代人であるぼくたちの中に実は古代人が住んでいる。森や異界に畏怖を感じながら、駆け引きを使ってその畏怖の相手から宝物を得る。これを読む間はずっと恐い夢を見ているような気持ちだけれど、でも読者はその恐い夢をずっと見ていたいと思う。
09
『アブサロム、アブサロム!』 フォークナー
フォークナーは密度が高い。人と人の距離が近く、愛も憎悪も野心も欲望も強烈。登場人物の人柄はどれも忘れがたい。ぼくにとって『アブサロム、アブサロム!』を精読した記憶は、どこかの町で一年暮らしたのと同じくらいの重さがある。
10
『アデン・アラビア』 ニザン
若い人間にしかできない断言がある。余計なことを知って堕落する前の断言。この本の「ぼくは二十歳だった。それがいちばん美しい歳だとは誰にも言わせない」という書き出しの言葉を初めて読んだ時、それはフラメンコのギターのように美しく響いた。
10
『名誉の戦場』 ルオー
フランスの田舎に暮らす、一見して仲のいい愉快な家族の背後に、実は戦争が濃い陰を落としている。第一次の方の世界大戦だから祖父の世代。その陰が明らかになってゆくからくりが見事で、しかもこれがデビュー作だというから感心する。
11
『鉄の時代』 クッツェー
差別はすべての国、すべての社会にある。しかしその心理をたいていの人は理解しない。理解するまいと思っている。差別が制度化された南アフリカで、クッツェーは差別がどう人の心を歪めるかを巧妙に書いた。彼の硬い鉄のペンが人の心のいちばん柔らかい部分を描いてゆく。
12
『アルトゥーロの島』 モランテ
舞台は島。主人公は少年で、自分より少しだけ年上の、つまりとても若い継母と共に住み、肝心の父は留守がち。性の誘惑に抗する若い二人の心理戦。これはメロドラマの構図だが、モランテはこの構図に人間の魂の真の姿を巧みに刻み込んだ。
12
『モンテ・フェルモの丘の家』 ギンズブルグ
須賀敦子が文学者としてまだ苗木だった頃、彼女の文体のために支柱の役を果たしたのがギンズブルグだった。二人の間には同時代を生きた共感があった。希望から落胆へ向かい、そして改めて希望の種を拾う、そういう時期だった。須賀敦子が訳した『モンテ・フェルモの丘の家』にはその種がある。