死者の声を「聴く」ことでしか、
歴史は存在しない
- 星 野
僕も地震の後、津波の映像が強烈で見たくないのに見てしまう状態がしばらく続いて、ようやく見るのをやめられたと思ったら、今度はテレビを見ることができなくなったんです。さっきの「ので」への嫌悪もそうですけど、言葉を読むのもつらかった。それで詩だったら読めるだろうと取り出したのが、パブロ・ネルーダの『マチュピチュの頂』(野谷文昭訳・書肆山田)という本で、ふっと自分の心に入ってきた一節がこれなんです。
「お前たちの死せる口を通じて語ろうとわたしはやってきた/地上に散在する/ありとあらゆる黙した唇を集めるのだ/そしてこの長き一夜を魂の底からわたしに語り明かしてくれ」。
この一節で少し気が楽になったんですね。その時は明確に考えていたわけではないんですけど、今思えば死者の声を「聞く」ことと「想像する」ことの両方をあわせて「聴く」ということで考えると、文学があり得るのではと思ったんです。被災地に行って取材することは、僕には資質もないし思い切りもないからできない。でも「することはこれだ」ってずっと思っていた。それで自分なりに書けるとしたらこういう小説だと思ったもうひとつの手掛かりが、メキシコの作家フアン・ルルフォの『ペドロ・パラモ』(岩波文庫)だったんですね。もう10年ぐらい前から僕はこの小説に取り憑かれていて、毎回新作を書くときにはこういうものを書きたいと思っているんです。
- いとう
- うわ、ぜひ読まなきゃ。
- 星 野
- 死者たちがずっと語るんですが、死者たちは自分が死んでいることを分かっているか分かっていないか、読者には分からない、そういう世界像なんですね。メキシコでは死者と生者とが渾然一体に存在しているという死生観があって、11月2日の「死者の日」には死者が戻ってきて姿を現し、生者と一緒にどんちゃん騒ぎをするんです。震災後、その世界観を体が欲していたんで、実は先日「死者の日」に合わせてメキシコへ行ったんですよ。それで帰ってきたら、いとうさんとの対談の話をいただいて(笑)、死者の声をどうやって小説の中で聴けるのかを考えていたら、この「想像ラジオ」という死者の声を聴く小説が届けられたんですね。
- いとう
- お告げかな(笑)。死者の声を聴くっていうことが、やっぱり歴史なんだと思うんです。批評家がよくこの小説には歴史がないとか言いますけど、その歴史って小説で考えたら、死者の声でしかないんですよ。相手が大勢であっても、たった一人であっても、死者の声にじっと耳を傾けることにしか歴史はない。もちろん死者っていうのは今生きていないっていうことでいえば、未来の人の声でもある。だからリアルな今の状況を写せば小説かといったら決してそうではなくて、小説が作れる現実というのは死者の声を過去からも未来からも聴いて、その時間が混然一体となって同じ平面に出ることなんだと思うんです。同じ平面ということでいえばそれが小説のきわめて不自由な側面でもあり、しかし同時に多声的に読める自由さでもあるんですよね。
- 星 野
- いとうさんは「聴く人」なんだというのが、僕の長らくの持論です。音楽も聴くけど、人の話も聴く。文学業界って語る人ばっかりじゃないですか(笑)。こっちが喋っている間も自分が次に喋ることしか考えていないという対談が多かったりするけど、いとうさんは何か感触が全然違うんです。
- いとう
- 確かに、僕は聴くのが大好きなんですよね。またせっかちだから、その人が言っていることの可能性のほうが聞こえちゃってるの(笑)。だから司会の仕事も好きですね。この人今すごい面白いこと言ってる、自分では気づいてないから次にこの質問で浮き彫りにしよう、とか話しているうちに内容がどんどん盛り上がって、その場が刺激されてとんでもなく面白い結論が出るような、そんな時間が圧倒的に好きなんですよ。だからおっしゃる通り、僕は一人で喋るのは苦手で、講演の依頼は全部断っている。
- 星 野
「読む」も含めて、聴く人なんでしょうね。だからこういう死者の声を聴く小説が書けるんだと思う。いろいろな声なき声を文字にした小説を書く人はたくさんいますし、実際に記録を調べたり取材をして被災地の声をドキュメンタリーのようにしながら小説の形にする人もいる。ひとつの証言を小説化して残すという意味では、それも大切だと思うんです。だけどそれとは別の、絶対に語ることがないという意味での死者の声、その人たちの今ここの感覚が凄まじく漂っているという感じを受けたのは、この小説なんですね。こんな体験は今までしたことがありません。
この小説のすごい点のひとつは、死者に貴賤がないということなんです。震災には関係なくその日に亡くなった死者も出てくる。しかも死者と生者がぱきっと隔てられているのではなく、グラデーションのようにいるんですよね。
- いとう
中島岳志さんとたまたま飲んでるときにどんな小説を書いているか訊かれて、「言ってみれば死者論です」と答えたら、日本の思想史では死者論はとても少なくて代表的な作品はこれとこれですよと教えてくれた。それが自分でちょうど調べて読んでいたものだったからありがたかったですね。不安で仕方なかったから。もちろん「死者と生者が抱きしめ合って生きていくしかないだろう」というのは自分の感覚をベースにしていますけど、何も分からず死者の話を書いてしまったらまずいなとも思っていた。日本で考えてこられた基本線を外さず、想像を膨らませていけば戦後史についても書けるし、踏み込んだものが書けるはずだと。
ただ『ワールズ・エンド・ガーデン』のときに高橋源一郎さんは褒めてくれたんですが、「ここまで論理を書いちゃうと、もう小説じゃないのではないか、だけど俺はこれを推す」っていう言い方だったんですね(笑)。だから一瞬悩んだんです。でも、ここで逡巡していたら想像の対象になった方々に申しわけないという気持ちで、第2章では踏み込みました。
- 星 野
でもこの小説は第2章のあの議論がないと絶対にダメですよ。大江健三郎さんの小説かと思わせるほど徹底的に言葉で議論をして容赦がないじゃないですか。一般には「小説は何でもありでどんなことも書いてもいいんだ」と言われますけど、僕はそういう言い方は嫌なんですね。だけどこの小説はあの場面を必要として、そこまで踏み込んで歯止めをかけていない。だからこそ小説になっていると思ったんです。きっかけが津波の死者論であるのにもかかわらず、この小説はそれ以前から死んだ人、生きた人の世界っていうのにしっかり応接しているんです。
第2章で作家が難聴になるんですけど、僕も2008年から難聴になったんです。だからこの小説は俺の話だって気持ちもあった。
- いとう
- あ、そうでしたね。
- 星 野
- 難聴になった理由は分からないんですけど、その前の2年間で、大学で教えていた学生三人を自殺で亡くしたんです。難聴になると耳鳴りも聞こえて、大勢がいるところでは会話が聞き取りにくくなるんですよね。人の話は聞こえないけど耳鳴りは聞こえる。その時、これは亡くなったあいつらの声が聴こえているんじゃないかと思ったことがあったんです。まさに「想像ラジオ」の2章で書かれていることですね。
- いとう
- なるほど、そうか。
- 星 野
- 先日メキシコのオアハカで「死者の日」を過ごしながら、津波のことや死んだ学生のことをいろいろ考えていたんですね。でも、死者の日はメキシコの行事で、僕がそこで日本の死者のことを思うのは、自分を誤魔化してるだけじゃないかという思いもあったんです。だけどこの小説の中のハクセキレイを見て、間違ってなかったと思いました。
- いとう
- 少し違うところから見るということですね。
- 星 野
- そうなんです。そうやっていくらでも媒介して死者と死者、死者と生者がつながっていくことはあり得るんだなと思いました。「想像ラジオ」を読んで2007、8年から苦しかった自分がほっと救われた。だからこれは津波だけの小説ではないですね。もちろん震災以降だからこそ書かれた小説ではあるんですけど。
- いとう
- この先、死者たちがカーニバルのように主権を取り戻す小説を、星野くんには書いてもらいたい。僕も、ラテンアメリカ文学は常に意識していますから、生死観も含めてその姿勢で世界を受け止めて、日本語に変換して書いていきたいと思っていますよ。ミュージシャンがヒップホップを実際やるかどうかは別にして、ヒップホップを経ていない音楽って聴くと分かるんですね。そして僕にはつまらない。過去の音楽もたぶん僕はヒップホップを経た耳で解釈して聴いていて、文学だとそれがラテンアメリカ文学なんです。それを経ていないとどうも輝かない。
直接的な言葉をどう用いるか
- 星 野
- 今回「想像ラジオ」を読んで、今までのいとう作品とまったく違うと思ったことのひとつに、作品のなかにいとうさん自身の具体的な記憶や体験が溶け込んでいるような気がしたんです。
- いとう
- はい。長いことレーモン・ルーセル信者だったから、自分が体験したことは一切書かないという決まりがあったんですけど、禁を破った(笑)。僕は楽器ができないけど、ジャズマンが手持ちのフレーズを違うコードの中でやるように、自分の経験もアドリブで自由に入れてもいいんだなと思えるようになりましたね。
- 星 野
- なるほどね。様々な死者の声や記憶に満ちている小説のなかに、いとうさんの声や記憶もその一部として、分散しながら自然に入ってると感じたんです。
- いとう
- それはね、当たり(笑)。
- 星 野
- いとうさんが関心を持っている様々な領域の言葉もコンパクトに入っていますよね。
- いとう
はい。以前大江さんにお会いしたときに、最近小説を書いていますかと訊かれて、書けなくなってしまったことを話したら、「あなたのようにいろいろな体験のある方は小説を書くべきなのですが」と言ってくださったんです。そのときはまだ意味が分からなかったんですけど、今回途中まで書いてようやく分かった。いろいろなところに顔を出して話を聞いて体験して、それをこうやって変換しながら書くということだったんですね。
僕がすごいなと思う人にBRAHMANのTOSHI-LOWさんという人がいて、彼は震災後すぐに被災地に乗り込んだんですよ。モンモンが入ったパンクスを引き連れて、周りからは偽善だと叩かれながらも、一周忌を経るまではデモにも出ずにしょっちゅう行っていた。彼は僕よりずっと年下だけどTOSHI-LOWくんとは言えないですよ。「先輩」って呼んでる。そして、TOSHI-LOW先輩に恥ずかしくない言葉を使わなかったらやっぱ文学かっこ悪いでしょ、って思うんです。ボランティアって聞くといい人たちばかりって思うかもしれないけど全然違うからね。真っ先に行くヤツは石原軍団とヤクザと不良だから(笑)。本人を見ればみんな身体は穴だらけの墨だらけ。信頼出来るヤツってああいうヤツなんじゃないかな、と。
- 星 野
本当にそうですよね(笑)。原発の事故現場にも入ってますよね。 湾岸戦争の時にいとうさんがコメントをされているのをみて、すごく正直に話されてると思ったんですね。あの時は文学者が集まって言葉を発しましたよね。あの時発言した経験をよしとするなら、その後も折にふれ自分が必要だと思う時に言葉を発することができるはずだし、苦い経験になったのならそのことを別の形で言葉にすることもできると思うんです。
でも実際は90年代後半から21世紀に入って、文学関係者は一部の方を除いて、ほとんど誰も何も言わなくなりましたね。あの苦い経験は何だったのだろうと、本当に虚しい気持ちになります。他者の言葉を言語として批判するのは文学をやっている者の責任だと思うんですけど、そのあたり、いとうさんはずっと変わらずストレートに話してきましたよね。
- いとう
ひとつは僕の場合、音楽に乗せてというひとひねりを使うからでしょうね。大阪のマカオというクラブで、フリーのバンドでアメリカのアフガニスタンの空爆を30分間延々批判する演説をしたりとか、ミャンマーの軍事政権に反対するポエトリーリーディングのライブをしたりとかね。それは文学者でもあるけれど音楽家でもある僕なりの、つまり演説としての僕が、言葉の持っている扇動性を使うことができるからです。
クラブで政治的な言葉を話しているときにお客さんが立って踊っちゃうっていうことが、僕にとってはもう誇りなんですよ。倶梨迦羅紋々の不良たちを前にして「諸君、善のネーションに参加し、道を清めよ」とかいうと「ウォー!」みたいな感じで拳突き上げて乗ってくる。お前ら本物のワルじゃんかよとか思うんですけど、かわいいんですよね(笑)。
それともうひとつは、特に純文学をやっていらっしゃる方々は、間接性しかとらないんですね。直接的にものを言うことを避ける。3・11の後、「とにかく募金を集めよう」って普通に各々のサイトとかにデカデカと書けばよかったように思う。それをやらずに間接的なやり方が目立った。エンターテインメント畑は違ったと思う。ストレートであることを恐れなかった。同じくたとえばミュージシャンはみんな直接的に動いたんですよ。すぐに現地に行く人もいれば、自分の楽曲を無料で提供したり……偽善だろうが恥ずかしかろうが直接性を避けなかったんです。だから星野くんがツイッターとかで直接的にものを言っていることは立派なことだと思いましたね。
- 星 野
- いえいえ、僕はまるでチキンですけど(笑)。でもその姿勢を僕はずっといとうさんを見て学んできたんですよ。言葉の信用ってこうやって組み上げていくものなんだなって。やっている人はいくらもいるんだから、別に難しい話ではないですよね。
- いとう
- そうなんですよ、直接性なんてごくごく簡単な話なんです。
- 星 野
- 行動し発言した自分が責任を取ればいいだけですからね。だから責任を取るのを微妙に避けたりプライドがあったりするからやらないんだとしか思えなくて、本当に嫌だったんです。
- いとう
間接的なことだけが文学ではないからね。だってドゥルーズもガタリもデリダも真っ先にデモに出るにきまってるじゃないですか。それはそうだよね(笑)。なのに彼らに影響受けたって言ってる人たちが間接性な表現しかとらないというのはおかしいと思う。
文学者が直接的に言葉を使わなかったということは、逆に言うと作品が間接的に書けていないからじゃないですか? 間接的に書けてこそ、直接性が怖くなくなるんじゃないでしょうか?
(「文藝」2013年春号より抜粋)