【異性】 角田光代 穂村弘

待望の顔合わせでおくる、恋愛考察エッセイ

男と女は互いにひかれあいながら、どうしてわかりあえない?

角田光代と穂村弘の初の共演&競演でおくるのは、全く新しいタイプの恋愛エッセイ。
まるで往復書簡をやりとりするように、カクちゃんとほむほむが、それぞれ女の立場、男の立場から、恋と愛の24のテーマについて、とことん考えます。
ともに大学デビューで、さえない青春を送ってきたという2人だからこそ、もてる人ともてない人をわける理由を鋭く分析。
そのほか、男と女のすれ違い、勘違いについても、実体験をまじえながら考察していきます。
あなたの恋は錯覚? それとも幻想!?
恋愛中の人も今から恋愛予定の人も、そして過去の恋愛を成仏させたい人も、必読です!

カクちゃんとほむほむが、男と女について、とことん考えてみました!

…目次より…
  • 内面か外見か
  • 運命の分かれ目 女は変化をおそれ、男は固定をおそれる?
  • 「好きな人」「まあまあ」「眼中にない人」
  • もてる人には“スペース”がある
  • 別れた人には不幸になってほしいか
  • 「おれがいないとだめな女」「おれなんかにはもったいない女」…etc.

カバーイラストは宇野亜喜良さん×長崎訓子さんの豪華競演!

WEB連載時より反響のあった『異性』ですが、単行本化にあたっては、
なんと宇野亜喜良さんと長崎訓子さんがカバーイラストで競演。
一冊の本のカバーを二人のイラストレーターが手がけるのは初めての試みかもしれません。
角田光代×穂村弘×宇野亜喜良×長崎訓子の豪華な夢の競演にもぜひ、ご注目ください!

異性

『 異性 』

角田光代 穂村 弘

46判上製/本文240頁 
定価1470円(税込)
2012年4月上旬発売予定

オンライン書店で購入

【対談】『異性』誕生のきっかけとなった、あの対談を再掲載。読みはぐった方、必読!

恋することと 恋について語ることと 恋が終わってから語ること 角田光代 × 穂村 弘

恋をしてる時と、してない時 どっちが書く気分?

角田
穂村さんは、恋をしているときと恋をしていないときでは、どっちが書く気分に向いてるんですか?
穂村
してないときです。
角田
どうしてですか?
穂村
どうしてだろう。でも、女性の歌人の多くは「恋と言葉はめちゃくちゃリンクしてる」って言うから個人差があると思います。僕は恋愛だけじゃなくて、旅行とか、外部に刺激物があるときはダメですね。言葉が出てこない。
角田
へえ!
穂村
角田さんは?
角田
してないとき(笑)。
穂村
(笑)。
角田
「してるときのほうが」って言う女性が多いのは短歌だからですよ。この前、ある女性ミュージシャンに会って聞いたら、幸せなときよりもつらいときのほうが曲が書きやすいって言ってました。恋をしてるときに恋のことなんて書かないですよね、きっと。
穂村
渦中にいると味がしないんですよね。溢れるような情報のただ中にいるときって、何が起きているのかよくわからない。恋のテンションの高いままに書ける人もいるんだろうけど、短歌なら、恋歌よりむしろ挽歌、つまり人が死んだときのほうがテンションが上がっても書けると思う。挽歌って死者とのコミュニケーションだからそもそも不可能じゃないですか。不可能性へ超越的に挑もうとするから表現が成立するんであって、恋愛には不可能に挑むモチベーションは少ない気がするんです。
そういえば、前に一回だけ、僕が歯医者に行く途中、角田さんと道ですれ違いましたよね。
角田
ああ、はい。
穂村
あのとき、その場ではあたふたしてほぼ棒立ちみたいな状態だったのに、あとから「角田さんは僕のことをどう思っただろう?」って気になって、角田さんの日記を検索したんですよ。ポジティブに書かれているかネガティブに書かれているか(笑)。そもそも書かれているかいないか。そんなことをするくらいだったら、その場でにこにこ話せばいいと思うんだけど(笑)。それはできない。旅行に行っても刺激が強すぎて、楽しければ楽しいほど、家に帰りたいと思うんです。家に帰ってデジカメで撮った写真を見ながら「ああ、楽しかった」って思いたい(笑)。
角田
へえ(笑)。
穂村
デートでも「この場で失敗しちゃいけない」とか緊張するから早く帰りたくなるんです(笑)。たとえば映画の始まりとかも苦しいじゃないですか。登場人物と状況がわかり始めると安心するけど、最初はこれからどんなことが起きるかわからないので見てるとけっこう苦しい。そんなことってないですか。
角田
ありますけど、現実対応能力が私は穂村さんよりはあるから、刺激に耐えられないから帰りたいっていうことまではないです。
穂村
じゃあ、現実は思いがけないことの連続だけど、その楽しい側面をちゃんと感受できるんだ?
角田
全部は対処できなくても、半分くらいなら。
穂村
現実の思いがけなさって、楽しい半面とネガティブな半面があるじゃないですか。僕はどうしてもネガティブなほうに対する恐怖が強いんです。未知なことにすごくワクワクするっていう人はけっこういて、エッセイとかでことさらそれを強調して書く人もいるけど、僕はそういうの読むと傷つけられた気がする(笑)。「見知らぬ人との旅先での出会い最高!」みたいに書かれると、それを最高と思えない自分はダメなのか……。
角田
たしかに。
穂村
角田さんは自分は現実対応能力があると思ってるんだ。
角田
穂村さんよりは、ですよ(笑)。私も穂村さんと出発点は一緒なんですよ。道で人に会ったときにおたおたしたり、むこうは気づいてなくてこっちだけ気づいてるときに挨拶できなかったりすると、後で「ハーイ!」とか言える明るい人間になりたいと思うんですけど、それって何回かやってると慣れるじゃないですか。私は今、ボウリングでハイタッチできるんですよ(笑)。でも、あるときできるようになると、そのあとずっとできるから、それについて疑問をもたなくなるので、穂村さんの本を読んでハッとする。
穂村
知ってる人にこっちが先に気づいたときにこそこそ逃げてしまうというのは、すごくわかります。「これじゃダメだ」って思う。でも明るく声をかけられるような人は、自分と同じだけの重圧を乗り越えてやっているのか、それとも元々ハードルが低いのか、どちらなんでしょう。
角田
もちろんそれは後者ですよ。だって軽い気質の人はいっぱいいますよ。私はときどきは乗り越えられるけど、穂村さんはできないんですよね?(笑)
穂村
うーん。五回に一回くらい頑張るとすごくダメージがある。人真似でやると本当じゃないようなムードが出ちゃうみたいで、人間は敏感だから不自然さを察知されてしまうんですよ。環境が変わるたびに新しい自分になろうとして、大学に入ったときに、周りは自分のことを知らないから、キャラを変えようとか、新しい恋人ができたときに「今度はコートを着せかける俺」になろうとか(笑)。
角田
できるんですか?(笑)
穂村
がんばるけど、それまで普通にずっとやってきた人と一念発起してやる人では、着せかける自然さがちがうよね(笑)。
角田
「今年からはコートを着せかける俺」になろうとして一念発起してコートをかけたとしたら、その場では「コートを着せかけてくれた穂村さん」ってなるわけじゃないですか。それを持続させることはきついことですか?
穂村
きついけど、でも、そのトレーニング以外に道はないですよね。だから心の中では「場数だ、場数だ」って(笑)。角田さんが以前書かれていた小説における千本ノック方式みたいに、読んで読んで読んで、書いて書いて書いていれば、いつか回路が開くんだって思うんです。でも、たとえば、ズボンにシャツをインするっていう習性が子どもの頃からあると、それを出すと、すごい違和感がお腹の辺りに残って、それって生理的なものだから、なかなかトレーニングでは変わらない。人前でシャツを出してるときも「なんか入ってるみたいな出方だな」ってオーラが出ちゃう(笑)。
角田
ははは(笑)。
穂村
ずっとメガネをかけていると、メガネをはずして初対面の人に会っても「なんか普段はメガネをかけてるみたいな間延びした顔だな」っていうオーラが出る。「メガネがあって俺たち一家だ」って思って目鼻が油断してるから。

顔=先天的ファクター 服=自己選択 どっちの好みが大事か?

角田
今の話を聞いていて思ったんですけど、私は酒に非常に助けられているところがありますね。酔ってる間は自由にふるまえるというよりも、みっともなくても怖くないみたいな感じがあるんです、きっと。初めてデートとするとかよく知らない人と歩くとか、最初はすごく嫌でちょっと帰りたいくらいの気持ちがあっても、それをごはんにシフトして楽しくなる、酒を入れれば。
穂村
初デートのときの自意識っていうのは「逆酒状態」ですよね。普段は意識しない自分の一挙手一投足までもが逆に剥き出しになって、酒と逆の効果を出す液体を飲んだような(笑)。いつもは普通に聴いてる音楽を「趣味が悪いと思われないか?」とか、普段は好きで注文してるメニューでも「これを選ぶ俺って大丈夫な俺か?」とか、減点されたくないって思うわけでしょ。
角田
逆酒状態って、たしかにそうです。
穂村
人によって何がダメと感じるかは違っていて、たとえば「一駅くらい歩いていこうか」っていう感覚には個人差があって、三駅くらい平気で歩く人もいれば「とんでもない!」みたいな人もいたり。そこで「一駅だから歩いていこうか?」と言ったために「ええっ?!」って思われるのがすごくこわい。でも、時間とともにだんだん慣れてお互いの合意ができてきますよね。角田さんは、自分が全然見たくないテレビをいつも見る男とかどうですか。
角田
私は常に相手に合わせるんで一緒につまらないテレビを見続けますよ。それで半年くらいすると面白いと思えるようになるんです。
穂村
千本ノック方式だ(笑)。新しい回路が開くんですか。
角田
そうですね。そういうことってないですか? 
穂村
「きっと女性は好きじゃないだろうな」って思いながらつい格闘技とか見ちゃうんです。要は自分の中にそれに対する執着がどれくらいあるかですよね。僕は音楽に対する執着がないから、その趣味はいくらでも合わせることができて、ある女性が初めて僕の車に乗ったときに、並んだカセットテープを見て「うわ、気持ち悪い」って叫んだ(笑)。「なにこれ?! パンクとメタルがぐちゃぐちゃで、一人の人のテープじゃないよ」って言われてすごく恥ずかしかった。洋服とか髪型に口を出す男性ってどうですか。
角田
会ったことがないんですけど、私は変えると思いますね。
穂村
「パフスリーブを着ろ」とか言われても?
角田
超着ますよ。だいたい私が髪を伸ばしたきっかけはモテたいと思ったからで、長いほうが楽だって気づいたからそのままなだけなんです。
穂村
でも譲れないものもあるでしょう? 音楽は譲れます?
角田
私はあるジャンルのものがすごく嫌いで、あるアーティストが嫌いで、その人たちを好きっていう人は心の中で……。
穂村
じゃあやっぱり、角田さんとデートするときに僕がたまたまかけたCDがそれだったらドカーンって。
角田
でも見ないふりしますよ。「これは現実じゃない。前の彼女から無理やり借りさせられたまま好きでもないのに聴いてるんだ」って考えると思います。でももしかしたらわりと言葉の端々で「ああいう音楽聴く人って信じられないよね」とかって言ってて、相手がこっそり隠してくれることを求めてる場合もあるかも。穂村さんはファッションについて言われたり言ったりしたことはありますか?
穂村
自分で何を着ればいいのかわからないんで、恋人じゃなくても、友達にも聞いたりしますね。「服がわかんない奴はポール・スミスとアニエスbを着とけ」って二人の女の人に言われたので忠実に守ってます。シーズンごとに吉祥寺のポール・スミスと新宿のアニエスbに行って、とにかく同じものの柄違いを買って「今期のノルマは達成」みたいにしてます(笑)。
角田
女性数人で話してたときに「顔は好みなんだけど服装が好みじゃなかったらどうする?」っていう話になって、私はそんなの屁とも思わないし、何でもいいじゃないですか。でもみんなは「服が好みじゃなかったら好きにならない」と言ってて。
穂村
顔は先天的なファクターだけど、服は自己選択だから、その人をより表していると思えば、顔より服が問題だっていう見方もあるのかも。顔が好みじゃないのはダメなんですか。
角田
大丈夫ですよ。
穂村
それじゃあ選別の基準がないじゃないですか(笑)。なんでも譲れて、顔も服も好みじゃなくてもよくて (笑)。今までの恋人がこれを読んだらガーンってなりますよ。
角田
相手からしたら「何、ほざいてんだ」って感じかもしれないですよね。
穂村
僕は大学生のときにいつも頭にバンダナを巻いてましたけどね。マッチとかブルース・スプリングスティーンとか流行ってて(笑)。叔母さんの家に下宿してたんだけど、そこのおじいさんが「彼はアカなのか?」って。赤いバンダナだったから(笑)。

「私のどこが好き?」この質問の正解は?

角田
穂村さんが恋愛において、相手に対して許せないことや、こういう人とは親しくならないという条件みたいなものはありますか?
穂村
あるんでしょうけど、意外と事前に思っていたものを現実が覆すことが多いですね。自分は華奢な人が好きだと思っていても、実際は全然違うタイプを好きになるとか。よく想像するのは自分と近いジャンルで自分よりも才能のある相手、あるいは自分よりも社会的評価が高い相手だったら、自我が保てるだろうかってことです。自分のほうが評価はされていても実は相手のほうが才能があることに密かに気づいてしまうという場合、逆に、才能はなくても自分より人気があって賞をたくさんとっているとか。それは恋愛の話ではなくて、自分のアイデンティティの問題だけど。
角田
それはどっちが嫌ですか?
穂村
自分の社会的な評価がゼロでなければ相手のほうが相対的に評価されていても大丈夫かな。相手のほうが才能がある場合は、いつかそれに周囲が気づくことを恐れる自分がこわい。「このまま彼女の才能が開花しないでほしい」と願う自分がこわいから(笑)。恋愛じゃなくても、若い歌人の才能に気づいちゃうことがあって、こわいから真っ先に褒めちゃう。
角田
へえ、すごい。
穂村
するとキラキラした目で感謝されたりして、胸が痛い(笑)。自分よりも奥さんの方が収入があるとか、そういうことは昔から男のほうが気にしますよね。
角田
それは長きにわたった習慣ですよね。
穂村
社会的な枠組みがそういうふうになっていたということが大きいですね。短歌の場合は与謝野鉄幹と晶子という強烈な例があるから「まさかこいつが俺の与謝野晶子?!」みたいに思うと「今の小さな火に薪をくべてしまうと俺が燃えてしまう?!」みたいなことを思うんです(笑)。鉄幹は偉いですよね。ちゃんと晶子への愛情と文学的な評価を最後まで維持した。もちろん晶子の中に彼に対する尊敬があったからだとは思いますけど。
角田
穂村さんは短歌を書くだけじゃなくて長いスパンで評論もやってるから、「この人に才能がある」ってわかるんじゃないですか。
穂村
いや、短歌のように形式のあるジャンルだとわかりますよ。だから僕は小説の書評は苦しみますね。読み筋が多すぎて、わからないから。かなり確信をもって「これはダメだ」と思っても、読み巧者の人が別の角度からライトアップすると「たしかにいいな」と説得されることがある。
角田
ときどき全然言葉が通じない人っているじゃないですか。そういう人ともわりと平気で話しますか?
穂村
平気じゃないですね。違和感というか憎しみみたいなものを覚えるけど、それは個人に対してじゃなくて、通じないということに対してですね。相手が社会的なネットワークの内部にしかいない場合、そこから漏れたどのような言葉も通じない。だから僕が真剣に何かを言っても「またまた」と笑われて、冗談だと思われる。なぜなら、その言葉の反社会性に対して、相手が知ってる中で一番近いものが「冗談」だからであって、こちらが言っていることがすべて冗談の箱の中に入っていってしまうということがよくある。そのときその人を憎んだりはしないけど、その社会的な言語のあり方に憎しみを感じます。角田さんはどうします?
角田
話さなくなるか、過剰に話し出すかどちらかですね。もし女の子に「私のこと、どれくらい愛してる?」みたいなややこしい質問をされたときに、それを言葉で説明しようとするほうですか? それとも安っぽくそういうことを言いたくないですか?
穂村
「どれくらい愛してる?」はともかく、普通に褒めるとかなら、年を取るにつれてだんだんできるようになってきたと思います。「その髪、かわいいね」とか。でも、ある編集者に「そのコート、いいね」って言ったら「穂村さん、四回目です」って言われてひやっとした(笑)。
角田
私は今、四十一歳で、私の前後五歳ずつくらいの男性が非常に愛情表現が下手で、「愛してる」と言うのがすごく嫌で抵抗があったり、電話をするときに自分からかけるのが負けだと思うから女性からかかってくるのを待ってるとか、そういう人が多いという話を聞いたんですね。十代や二十代の頃は、「好き?」とか「愛してる?」と聞くと、「好きってどういうことかわからない」とか「愛ってそもそも何なわけ?」なんて答える男子がたしかに多くて、えーって感じでした(笑)。でもね、どんどん年取ってくると「愛とは何であるか」の定義とか男性のほうもどうでもよくなってくるせいか、ちゃんと言う人が増えますね。
穂村
それは絶対そう。この間、皆で話していて「私のどこが好き?」って聞かれたときに一番正解になる可能性が高い答えが「顔」っていうのを教えられて、ひどく納得しました。つい「全部」とか言いそうになるんだけど、それはまずそうだというのはなんとなくわかっていて、「君らしさだよ」とか言うのも、たぶんダメでしょ(笑)。
角田
間違ってる。すごい間違ってる(笑)。
穂村
角田さんみたいな人には「才能」って言う答えもあると思うんだけど……。
角田
いや、それは違います。
穂村
え、違うの? 正解は?
角田
これから言いますから、話を続けてください(笑)。
穂村
なんだろうなぁ(笑)。
角田
でもたしかに「私のどこが好き?」系の話をしてると、男性にはそういう思考自体がないんだなってよく思います。
穂村
女性は彼のどこが好きか、いつも認識してるってことですか。
角田
そうですよ。いつも言いたくて言いたくてたまらないし、内面も外見も混ぜて「こことこことここ」って箇条書きにできるんですよ。聞かれたらいつでも淀みなく答えられます。だから「顔っていっときゃいい」とかそういう話じゃないんですよ。それは悲しい。個別にそこを本当に素晴らしいと思っていて、自分がこれだけ思っているから相手からも思ってほしいと思っているんです。
穂村
複数出さなきゃいけないんですか。
角田
数があればあるだけいいと思いますよ。具体的であればあるほどいいんです。
穂村
連続間違いをしてしまいそうだ(笑)。一発で早く楽になろうとして究極の答えを出そうとするから「センス」とか「君らしさ」とかになってしまうんですけど、必要なのは具体例なんですね。
角田
具体例ですよ。「つむじの形」とかでも何でもいいんですよ。
穂村
「匂い」とか「眉毛」とか。
角田
「匂い」は間違ってますね。「眉毛」はまぁいいかな。でも「私のどこが好き?」って聞いて淀みなく答える男性は見たことがないです。
穂村
日本人じゃ、なかなかいないですよ。「俺のどこが好き?」って聞かれたことはありますか。
角田
それが聞いてくれないんですよね。質問するときって、私も聞かれたくて聞いていることもあるんですけど、男性は聞かれたくないから、私にも聞き返さないんですよ。だから相手が答えられなかったときに「私はね」って回答例を言うんです。
穂村
僕、角田さんのことは陰で褒めてますよ(笑)。
角田
穂村さん、それも違いますよ(笑)。そしたら私だっていろんな人のことを褒めてますよ。さっきの「どこが好き?」は恋愛のなかでしか通用しない大切な通貨です。「手の形」でも「指の形」でも「目」でもいい。「内面だったらこういうところ」とか、できるだけ細かく答えるのが正解なんです。
穂村
だって見てないもん、手の形なんて(笑)。漠然と「女性の手」という感じですね。顔とか声ならあるかもしれないけど、好きな耳のかたちなんてないし。
角田
「声」はいいと思いますよ。「匂い」は、「なんか体臭がするのかな」って思っちゃうからダメ。でも「顔って言っておけば無難」という男性たちの共通認識にちょっと打ちひしがれました。「早く終わりたかったんだ、その話」って、ようく分かりました。
穂村
いつものように角田さんがだんだんこわくなってきました(笑)。

あなたは、「別れる理由」を言葉で説明しますか?

角田
若い人は言葉が達者ですね。すごく若い友達の話を聞いてたら、別れるときに別れる理由を小説のようなきれいな言葉でとうとうと説明したっていうんですよ。「僕と君とは立っている所は同じでも、最初から見ている方向が違うから、これから付き合っていても違うところに向かうだけだから……」みたいなことを言ったんですよ。これって小説に出てくる男が言いそうじゃないですか。私の世代の男の人はそういうふうには言わないなと思った。別れる理由を説明しますか?
穂村
ふられることのほうが多いからなあ。でも、こっちから別れるならなるべくフェードアウトしたいと思いますよね。言われたほうがいいんですか。
角田
いいですね。「他に好きな人ができた」とか「うざい」よりはいい(笑)。私は別れるにあたって物語が欲しいのかもしれないですね。「これだったから別れるんだ」っていう納得できる理由が欲しいのかもしれない。しかもその男の子の言っていることは、二人の関係を見ていると真っ当だと思ったんですよ。いい加減なことを言ってるんじゃなくて、「ほんとにあんたたちはそうだったよね」って思ったので。
穂村
でも恋愛ってそういう理由や物語の上位概念じゃないのかなあ。うまくいってるときは別々の方向を見ていてもうまくいくし、恋愛そのものの期限切れというのが本当はリアルなんじゃないかという気がする。
角田
でも「賞味期限が切れたんだよ」って言われるのはあまりにもつらいじゃないですか。
穂村
だからフェードアウトしたくなるんじゃない? 女の人には理由もなく「スタンプたまりました」感ってありますよね(笑)。電球が切れるのに理由がないみたいに「もう私の中のあなたは死にました」って、何をしても表情が動かなくて、ひんやりした感じになりませんか。「僕が何を言っても表情が生き生きしていた時代があったのに、今こんなに言葉を尽くしても能面のようだ」って(笑)。
角田
そうかもしれないですね。女性って減点法とかプラス法とかやりますもんね。お付き合いを100点で始める人と0点で始める人といるんですね。100点で始める人はどんどん減点していくんです。その減点していく度に押すスタンプが溜まったときに、表情がなくなるんですね。0点で始める人は、大して好きでもないけど「付き合ってくれ」って言われたから付き合うみたいなところから始まってどんどんプラスしていくので、付き合うなら0点スタート型の女性のほうがいいなと思うんですよね。
穂村
50点から始まって加点と減点が両方あって、加点が勝っているうちは維持できるけど、だんだん減点が勝ってくるとダメになるってのはどうですか(笑)。
角田
それもあるかもしれませんね。
穂村
加点と減点のポイントがどこにあるか、わかるようでわからないからこわい。十年目に「実はあなたのここが嫌でした」みたいなことあるでしょ。「なんで十年前に言ってくれないんだろう」って思うよね。
角田
でも男の人も性格によって「昔からここが嫌だった」と言う人もいますよね。「なんでもっと早く言わないの?!」って。男性は一緒にいる相手に対してプラスしたりマイナスしたりという考えが、そもそもあまりないっていうことですよね。
穂村
男性はスタンプじゃなくてメーターシステムっていうか、メーターのように好意が増減して、たとえ暗い豆電球のようになってしまっても、まだ点いている。でも女性はちょっと前までちゃんと点いていても、パチンと切れちゃったら終わり。「ちょっと前まで明るかったのに今は真っ暗だ」みたいな。その直前まで自分の愛情のほうがむしろ暗かったのに、でもいきなり逆転してこっちがふられる側に、ということがある。そのとき肩を揺さぶって昔のことを蒸し返して「あのとき僕らはあんなに幸福だった」みたいについ言いたくなっちゃうんだけど、そうするとカラカラカラと電球のフィラメントの音が(笑)。
角田
うまい!
穂村
あれは本人もわからなくて切れちゃうんですか。
角田
減点していって、相手にとどめの一言とか行為をされたとき、それこそパチンと消えるんですよ。そうすると好きだったときは、天パで髪がくるんとなっていたのが可愛いって思ってたのに、そういうのが全部憎くなってくる。「くるんとさせてんじゃねーよ」って(笑)。それまで良く見えていたものがオセロの駒をひっくり返したみたいに白から黒へ変わるんですよね。
穂村
うーん。やっぱり個別のファクターが恋愛をつくってるわけじゃないんですね。だから、本体がパチンと消えると、好きだった部分も全部死んじゃうのか。角田さんは減点法なんですか。
角田
はい。三十代なかばくらいに相手を減点している自分に気づきました。
穂村
相手の点数が下がるにつれて他の異性に目がいく度合いが上がっていくような気がするんですよ。お互いに点数が高いときは他の人に目がいく余地がないのに、水位が下がると他の岩が顔を出すみたいな(笑)。そこで一気にぴょんと飛び移られちゃうと、恋が終わってしまう。
角田
女性でよく、他の岩にぴょんと飛び移らないと終われない人っていますよね。逆にどんどん水位が下がっているのに頑張ってそこに居続ける人もいる。
穂村
一度減った点数が上がることってあるんですか。
角田
私はないですね。
穂村
恐ろしいですね。
角田
減ったまま、そこで止まるんです。だんだんそれが、「70点ってけっこういい点数じゃないか」「それでいいんじゃないか」ってなるんです。
穂村
波平とフネみたいな。
角田
そうです、そうです。
穂村
昔は波平とフネみたいに、お互いに60点でいいというのが一般的な了解だったけど、最近は100点を求めたり、より高い点数を維持するのが恋だとか、運命の人じゃなきゃ嫌だみたいな風潮があってきついですよね。
角田
三十代や四十代にも「互いにとっていつまでも100点であれ」というけしかけ方もあるじゃないですか。そうすると、いつ恋愛をやめればいいんだろうと思いますよね。
穂村
結婚して何十年も経ったけど「互いに恋をしてないとダメ」みたいなことですよね。その感覚って自己実現みたいなものとリンクしてるから、変えるのが難しい。自己実現という概念を知ってしまったあとは全てにおいて期待値を下げるのが難しくなりました。仕事も恋愛も、それぞれ自己実現だから、自分を本当に活かせる仕事じゃないとダメだし、それが恋愛に投影されると運命の人を求めるようになる。自分の親なんかを見てると、自己実現なんて考えてもないですもんね。一生家族を養って死ねれば本望みたいな。

(「文藝」2009年夏号より一部掲載)