角田光代
ランニングシャツ、という装備
もてたいと、言語及び行動で告白するのはなんとも恥ずかしい。これは女子も同じ。そしてそれは、穂村さんの説明と同じく、ありのままの自分がださいから、というのがある。女子的には、それよりさらに意識するのが(センスでなく生まれ持った)容姿である。顔とスタイル。有り体にいえばブスとデブ。ブスでデブでださい私がもてたいなどと思っていることがちょっとでもばれたら、もう世界の終わりだ、というくらいに恥ずかしい。
ほかの媒体にも書いたことのある強烈な記憶だが、私はそのデブブスださいスパイラルに陥り、痩せようと多大な決意をし、マラソンをはじめたことがある。中学二年生のときだ。この決意に至るまでものすごく時間がかかったのに(ブスデブださいスパイラルの渦中にいる人はたいてい腰が重い)、マラソンの初日、走りはじめて二分後くらいに、すれ違った男子中学生に「うわーすげーでけーケツ!」と言われ、打ちのめされてそのまま帰ったことがある。これはケツのでかさを指摘された傷よりも、ブスデブださいスパイラルを抜け出してもてるのだ、という野心を見抜かれた傷のほうが、よほど致命的であったと思われる。
以後、私は女子校であるのをこれ幸いと、いっさいの努力をしなかったし、もてる努力、いや、もてたいという願望を、もみ消しもみ消しして日を送った。おそろしいことに、三十代まで。いやもしかしたら、今もそれは尾を引いているかもしれない。
ところで、穂村さん言うところのカースト制度は、女子校、というか、女子だけの世界の場合、微妙に異なったものになると思う。
お洒落をしてもきれいな子だけが、お洒落をするのを許される(自分の自意識に)。これはおんなじ。が、お洒落をしてきれいな子が、異性の目を気にしたお洒落をあからさまにすると、嫌われたり疎んじられたり、するのである。
きれいな子、お洒落な子、スリムな子は、とうぜん、もてる。しかしそのモテがあまりに顕著だと、女子世界ではカーストが落ちてしまう場合がある。いちばんおそろしいのは、中途半端にきれいな子が、もてたいがために、もっときれいに見せようとする、爪を塗る、髪を染める、アイプチをする、肌を露出する、等々すると、もう確実に嫌われ、嫌われるだけならまだしも、ハブにされたりする。
だから「モテ」「非モテ」と分けた場合、非モテが自意識故にあからさまなお洒落や化粧をしないのと同様に、モテに属する女の子たちもまた、お洒落にまったく気を遣っていないようなお洒落、とか、ほとんど素顔にしか見えないような化粧、とか、男の目などいっさい意識していませんと主張するかのような髪型、等で身を守るのである。ああ、なんと複雑。
もてたいと主張するのはみっともない、というのは、あろうことか、非モテばかりではないのだ。女子世界では、もてる子もまたそのような願望を隠さねばならない。ある意味で平等ではある。いや、もてる子はモテ願望を隠していても結局はもてるわけだから、結果はもちろん不平等なんだけれど。
先に、私はもてたいという野心を見抜かれたことが、今現在にも尾を引いている、と書いた。それって具体的にどういうことかというと、初デートにランニングなどを着ていってしまうようなところが、私にはあるのだ。
本当は初デートなんだから、しっかりお洒落したい。マスカラだって塗りたい。っていうか、じつはこの日のためにもうワンピースを買ってある。それに合わせた靴も買っちゃった。そうしてデート当日の朝、その服を着て鏡の前に立ち、「買ったばかりってばればれ」と、その服のまばゆさに愕然とする。「しかも靴までおニューなのばればれ」、焦りはじめる。「気合い入れすぎてるってぜったい思われる」「好きだって気持ち全開」「野心にあふれすぎ」、気持ちは千々に乱れ、そしてまだ正札のついているワンピースをそろそろと脱ぎ、あれやこれや試行錯誤の結果、色あせたランニングシャツ(キャミソールですらない)とジーンズを着る。せめて化粧……と思い、一度も使ったことのないラメ系のアイシャドーを塗ってみたりして、「うわーいくら服がランニングでも顔がやる気まんまんだよ」と、せっかく施した化粧を落とし、今一度、こんどはファンデーションだけ塗って終わり。そんなことやっているから時間がなくなって、あわてて家を出て駅まで走って汗でファンデーションも流れてしまう。
三十代以降のこのパターンは「ありのままの私の真価に気づいて、好きになって」ですら、ない。ただの自意識装備である。もてたい、好かれたい、なんて思うのは許さない、ましてそれが人にばれるなんてぜったい許さない、とまさに自意識が言っているのだ。
私は今も思うことがある。中学二年生のあのとき、「でけーケツ!」の少年に会っていなかったら、それから、あの複雑な女子世界のカースト制度を知らずに成長していたら、私はデート時に正しくお洒落のできる人間になっていたのではないか。
デートする機会などもうなくなったから、この苦難をしばらく味わっていないが、もしかしたら五十代になってすら、私は初デートはランニング姿、かもしれない。呪縛ってこわい。
