単行本 わたしは妊婦

わたしは妊婦

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内容紹介

私は妊娠3ヶ月。「きみだけの体じゃない」「妊婦さんなんだから」って言われるけど、急に生活や性格は変えられない! 落ちこぼれ妊婦の痛快な反撃を描く話題作。小島慶子、藤沢周氏絶賛。

書評『私は妊婦』(出典:「文藝」2013年夏号)
小島慶子

 読み終えて、いい話だなあとしみじみしてしまった。
 多分、男性は「どこがだよ!」と言うだろうと思う。妊婦怖いよ! ドン引きだよ……と。その男たちを包んでいるぬるい羊膜にぷつっと針を刺したのが、やはり男の作家なのだから面白い。
 ゆり子は妊娠している。彼女は、変化していく自分の身体を他人事のように眺める、実に可愛げのない妊婦だ。だが、そもそも妊婦が善良だとは限らない。
 妊娠したとたんに、周囲から自分が見えなくなったことにゆり子は気づく。「妊婦」という幸せの象徴を生きなくてはならない息苦しさは、巷に溢れる育児雑誌を見ればわかる。
 ママはシアワセ! という記号に生身を置き換えて、命を孕んだ聖なる存在を演じる女たち。それが商売になる女はいいけれど、真に受けた多くの読者たちは、ライトも浴びずに、世間が妊婦に付託した価値観やら信仰やらを叶えてやらねばならない。ことさらに自身の幸せを喧伝して、生命讃歌の旗ふり役を買って出なくてはならないのだ。
 妊婦は、周囲の人間を慌てさせるものだ。えっ、妊娠しているの? と言ったとたんに、人はなんとか善人であろうとしてぼろを出す。妊婦を前にすると、自分が祝福と慈愛に満ちていることを証明しなくてはと焦るのだ。咄嗟にごまかそうとしたものが、かえって露呈するだけなのに。
 ゆり子の夫は、身重の妻を気遣うよく出来た夫を演じながら、理想の家族を思い描いてうっとりしている。家族思いの男だと、褒められたくてたまらない。
 夫の偽善と自己陶酔に、ゆり子は嫌悪感を強めていく。女は口に出さないだけで、ほんの些細なことでも好きな男に毒づいている。思いつく限り悪意ある表現で、男のおめでたさを罵るのだ。男には想像もつかないくらい辛辣な口調で。男性の書き手によって、そんなゆり子の心の動きが淡々と実況されているのが、凄まじくも心地よい。
 ゆり子に限らず、語られない言葉はどれも、はしたなくえげつないものだ。誰だって腹を開けば血と臓物が溢れ出るように、取り澄ました顔の奥には、野卑な言葉の塊が蠢いている。
 妊婦同士の文通、同級生との女子会。花とレースに縁取られ、華やかな笑い声に飾られているはずのそれらの会話で、ゆり子は暗い澱を溜めていく。ついにその怨嗟をぶちまけたゆり子と、妊婦を善意と祝福で窒息させる人びとと、いったいどちらが見苦しいのだろう。
 女の下腹は秘所であるにもかかわらず、中に子を宿すと気安く手を置かれる公の場になる。それは私が妊娠したときに、もっとも驚いたことだった。ここは祭りの広場じゃない。私の、下腹だ。お前の世界を慰めるために私の腹を使うな。積み損なった善行を、私の子を使って埋め合わせないで欲しい。
 ゆり子は言う。わたしは妊婦。名前を返して。孕んだ女の身体には、人が奏でるもっとも温かい音から呪いの言葉まで、全てが詰まっている。生身の雑音が、命だ。読みながら私は、確かにそれを聴いたと思った。

著者紹介

大森兄弟 (オオモリキョウダイ)

兄は1975年、弟は1976年、ともに愛知県生まれ。2009年『犬はいつも足元にいて』で文藝賞を受賞し、兄弟ユニット作家としてデビュー。他の著書に『まことの人々』『わたしは妊婦』がある。

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