繝。繝ォ繝槭ぎ驟堺ソ。荳ュ 豐ウ蜃コ繧ッ繝ゥ繝門・莨壹ッ繧ウ繝√Λ

立読み

ロレンツォ・リカルツィ 泉典子訳
きみがくれたぼくの星空

80歳の恋
メランコリックでユーモラスな究極のラブストーリー

ぼくは4年前にこの老人ホームに入り、
最初の1年は口をきかなかった。
それから、奇蹟が起こった――

老人ホームに暮らす身体の麻痺した希望ひとつない老人も、これほど思いがけない経験をすることがあるのだろうか?
ひとりの科学者が、生涯を求めてやまなかった「真理を発見」したのは、なんと80歳あまりになったときだった。………ラ・ドンナ誌

1 天井の節穴を眺めながら


 老いぼれて、しょぼくれて、ひとりぼっちのいま、来し方をふり返ってみると、ぼくの人生はまるで他人の人生のように見える。ぼくが愛した人たちはもう誰もいなくなった。ひとりまたひとりと、年月に呑みこまれてしまった。ぼくに残っているのは思い出だけ。でもその思い出だってぼやけてしまって、ぼくの記憶力では、かつてのように鮮やかには浮かんでこない。思い出からはどんな感情も抜け落ちて、ただのひからびた断片でしかなくなってしまい、こっちもまるで他人のもののようなのだ。でもぼくがほんとうになくしたのは記憶ではなくて、思いだして懐かしみたいという気持のほうだ。半身を麻痺させてしまった脳血栓は、頭のほうも容赦しなかったけれど、ありがたいことに、すっかり餌食にしたわけではなかった。だからものを考えることにはまだ不自由しない。でもときには自分が誰だかわからなくなったり、時間や場所を間違えたり、言葉やしぐさがこんがらかったりしてしまう。頭のなかがこんがらかっているからだ。自分をはっきりつかめるときがあっても、そのぼくは以前のぼくではなくて、しょぼくれながらも生きながらえているぼくであり、他人だけでなく自分自身にさえ、どうしようもない隔たりを感じながら日々を過ごしているぼくなのだ。けれども、意識の底の底にある、ぼくという人間の究極のエッセンスは変わらなくて、二十歳の、十四歳の、いやたぶん九歳のころのぼくのエッセンスそのものだ。もちろんそのころみたいに純粋ではないし、世間の風に吹かれてすり減ったり、病気のために弱まったりして、熱さもはげしさも失せてはいるけれど、でもいちばん深いところにあるエッセンスは老化していないことは、こんなになったぼくにもわかる。ぼくは魂は子どものままなのに、身体は見たとおりの老いぼれになってしまったというわけなのだ。


 毎朝ぼくは、数時間の浅い眠りから覚めると、まだ暗いなかで目をあけて、天井の節穴を眺めながら、ぼくが沈みこんでいるこのベッドから、誰かが引きだしに来てくれるのを待っている。
介護士のなかには親切な人もいるけれど、いまのぼくにはその親切心やらも煩わしい。とくにそれが、こういう老人ホームによくあるように、ただの見せかけだったり、憐憫の情とかいううす汚いおまけがついていたりすればなおさらだ。
 介護士はほとんどだれもがなれなれしい呼び方でぼくを呼び、手早く身体を拭いては、傾いだ車椅子に座らせる。いちばん親切な人でもぼくをまるで子どもか精神薄弱者のように扱い、そうでない人は、重い荷物を移動させるような扱い方をする。昨日なんか、リーナだかティーナだかピーナだかという助手が、ぼくをうすのろ呼ばわりした。

きみがくれたぼくの星空