河出書房新社｜立読み｜10ドルだって大金だ

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ジャック・リッチー
10ドルだって大金だ

ミステリの名手、ジャック・リッチー登場！

＜このミステリーがすごい！＞第1位に輝いた短篇ミステリの名手ジャック・リッチーの傑作短篇集。
　銀行金庫の中の“余分な”１０ドルをめぐって二転三転する「１０ドルだって大金だ」、迷探偵ターンバックル部長刑事シリーズなど、巧みなツイストと軽妙なタッチが冴える14篇を収録。
　今回の立読みでは、財産目当てに妻殺しを計画する男を待っていた皮肉な展開をオフビートなユーモアをまじえて描く「妻を殺さば」の一部分を紹介！

　「妻を殺さば」

　結婚して三か月、そろそろ、妻を殺す頃合だ。
　温室と納屋を探してみたが、あるのは接ぎ蝋や石灰粉、ミズゴケのような、無害なものばかりだった。
　わたしは家に戻った。「ヘンリエッタ、毒薬はどこにある？　庭に散布するようなやつさ」
「でも、あなた」妻はいった。「うちは有機栽培よ。農薬も化学薬品も使わないわ。土を肥やすには、自然のままの有機物を使っているの──枯葉とか、刈った芝とか、とりわけ堆肥とか。健康な土からは健康な植物が育つのよ。そして健康な植物は、虫ごときで枯れたりしないわ。毒薬を何に使おうというの？」
「灌木に甲虫が止まっていたんだ」
　妻は穏やかに笑った。「甲虫をやたらと殺しちゃいけないわ、ウィリアム。役に立つものがたくさんあるのよ」
　わたしは彼女をしげしげと見た。「ヘンリエッタ、ずっと訊こうと思っていたんだが、そういう服をどこで買うんだ？」さらに「どうして？」とも訊きたかったが、それはやめておいた。
　彼女はちらっと鏡を見た。「だいたいひと月ごとに、エレインのお店に電話して、三、四着送ってもらうの」
「買う前に試着しないのか？」
「だって、必要ないわ。エレインはわたしのサイズを知っているんだもの」彼女は着ている服を見下ろした。「お気に召して、ウィリアム？」
「ぴったりだ。だけど、次に服を買おうと思ったら、二人でエレインの店へ行って、まずはそこにあるものを見せてもらおうじゃないか」
　父がこの世を去ったとき、わたしに残された遺産は決して十分なものではなかった。したがって、文化的な生活をしようとすれば、元金に手をつけるしかなかった。十五年の間に、当然のことながら元金は目減りし、ついには無一文になっていた。早い話が、ヘンリエッタに出会ったとき、わたしは借金で暮らしていたのだ。
　仕事を義務だとか、喜びだとか、やりがいだとかと感じたことはないし、日ごろから、仕事を楽しんでいる人々は基本的にマゾヒストなのだと思っていた。
　生まれてから四十五年、労働に甘んじることなく生きてきたのに、今さらそうしろというのは不公平きわまりない話だ。
　そこでわたしは、最後の手段を思いついた。結婚だ。
　これまで、他人がその慣習に従うのに異を唱えたことはない。平凡な精神というのは、何かに打ち込まずにはいられないものだ。労働にせよ、漫画本にせよ、結婚にせよ。それでも、わたしは常に独立した立場を大事にしてきたし、“チーム”の一員になるのは──たとえそのチームの構成員がたった二人でも──正直いって気が重かった。
　とはいえ、わたしは文無しであり、結婚する必要があった。
　その結論に達してからは、早速値踏みを始めた。必死に探してみたものの、気がつけば候補者はひとり、またひとりと減っていった。ついには、午後のお茶会にまで手を広げた──そして、そこで初めてヘンリエッタに出会った。
　これといって惹かれるところのない女だった。服は流行遅れというわけではなかったが、まるで目隠しをして選んだのではないかと思わせた。小柄で、壊れそうな感じで、隅っこにひとりきりで座り、かすかに笑みを浮かべている。あたかも偶然ここに迷い込んでしまい、どうやって出たらいいかわからなくなってしまったかのようだ。
　あくびを噛み殺していると、ヘンリエッタがカップに入っていた紅茶をこぼした。
　女主人の視線が、矢のようにそっちへ向かった。「ちょっと、ヘンリエッタ！」
　ヘンリエッタは真っ赤になった。「ごめんなさい、クララ。考えごとをしていたものだから」
　クララは肩をそびやかせた。「どうしてもう少し気をつけられないの？　洗ったばかりの敷物なのよ」
　そのとき、こんな考えが頭に浮かんだ。ヘンリエッタのような服を着ている女は、貧しいか、あるいは金持ちすぎて、身なりを構うことがないのだと。おしゃべりが一段落ついたところで、わたしは右側に座っていたホーリー・パーヴィスに向かっていった。「ヘンリエッタって？　バートン家の娘だったかな？　去年、ほとんど全財産を失ったという？」
「とんでもない！」パーヴィスはいった。「彼女はローウェル家さ。レイクヴュー・ロードにとてつもなく広い屋敷を持っている。五十エーカーかそこらあって、使用人は何十人といる」
「結婚しているのか？」
「いいや。一度もしていない」
　わたしは部屋の反対側にいるヘンリエッタを見た。メイドがティーポットを持って、彼女に近づいていった。ヘンリエッタはまたお茶を満たしたカップを持つことに不安を感じたようだった。断ろうとしたが、すでに遅かった。メイドはお茶を注いでいた。
　ヘンリエッタは慎重に、両手でカップを持った。
　わたしは考え込みながら顎をさすった。五十エーカー？　何十人もの使用人？　こっそりヘンリエッタの様子をうかがってみた。紅茶は半分ほど飲んでいた。それから五分もすると、明らかにまたぼんやりし始めたようだ。カップが手から滑り、中身が敷物にこぼれた。
　クララは顔を土気色にして、金切り声をあげた。「ヘンリエッタ！」
　今度はヘンリエッタは青ざめた。気絶できるものなら、そうしていたに違いない。
　わたしは席を立ち、これ見よがしに自分のカップの中身をクララの敷物にこぼした。「マダム」わたしはきっぱりといった。「このいまいましい敷物を洗濯屋に持っていって、請求書はぼくに回してください」今こそ、行動を起こすときだ。
　わたしは腕を差し伸べ、ヘンリエッタとともに出ていった。
　この結婚計画に対する最大の障害はヘンリエッタではなく、彼女の代理人、アダム・マクファーソンだった。

KAWADE MYSTERY『10ドルだって大金だ』

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