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一青窈さん 特別インタヴュー

2009.05.28更新

『明日の言付け』刊行に寄せて 短期集中連載 (聞き手 南部真里)

第2回
「誰にとっても言葉は未来へつながるものであってほしい」

--詩のなかで不意に改行や空白を設けたり、読点を打ったりするのも文字がもつおもしろさの追求ですか? それともヴィジュアル的な意図ですか?
一青 見た目もそうなんですが、音読されたときのことを意識しています。読んだときのリズム感を意識して作っています。
--それは歌うときのリズムとは違いますか?
一青 歌うときはメロディに乗ってはじめて浮かび上がる言葉の形があるからちょっと違うものです。
--どちらが難しいということありますか?
一青 どっちも等しくやっていて楽しい(笑)。難しいことは全然ないです。
--譜割があって言葉を乗せるほうが職業的にやりやすいということはない?
一青 いまのところないです。日本語だと意味がわからなくても音の感じや文字面だけで想像できるじゃないですか? 「朧げ」という漢字を知らなくても、月が入っていておぼろ昆布みたいな漢字だから(笑)、前後の文脈から想像すると「おぼろげ」と読めますよね。本が嫌いというひとはストリクトリーにわからないから止まる、例えば注釈があって注釈を読んでいるうちに内容がわからなくなってめんどくさくなってしまう (笑)。そういうことじゃなくて、もっと楽に本を楽しんでほしいと思いますね。実際私も、家庭環境のなかでそうやって言葉を使ってきたんだと思います。
--家庭環境?
一青 父が台湾のひとで、母が日本人で、親戚がアメリカに行っていたりして。子どもの頃、英語で話す、台湾語で話す、中国語で話すといったなかにポツンと置かれて、なんだかよくわからないけどみんなは怒っているんだとか、何番目の兄さんがなにをやったと台湾語で小言を言ってるんだとか、そういったことはなんとなく分かるんです。だから言葉を厳密に理解しなくても感覚でとればいいんだと思うようになりました。
音楽ってそれでいいような気がしていて、必ずしも作者の意図通りに伝わらなくても、感情だけが共有できればいいというのがあるんです。でも日本語で日本のひとたちになにかを伝えるのであれば、私なりに感じる日本を表現したかった。
--この本を読むひとを想像できます?
一青 言葉好きなひとがまず手にとってくれると思います。(書名の)『明日の言付け』の「言付け」ってなんだろうと思うようなひとですね。
--一青窈の魅力を再発見するひともいるでしょうね。
一青 でも私は、私のことを知らないひとが買ってくれそうな気がします。「一青窈」というのが名前だと認識しないままで(笑)。
--タイトルの『明日の言付け』は言葉としては少し違和感がありますが、由来はどういったところから?
一青 「言付け」という言葉は、お母さんが子どもに「何時に帰ってくるから、○○をチンして食べてね」という、ふたりの間で起こるやさしさのやりとりみたいな言葉だと捉えていて、旅館でも、「お言付けはございますか?」と言われることもあって、「すごくいい言葉だな」って(笑)。
「言付け」という言葉が、誰かが誰かを意識してなにかを残したい気持ちなんだと思ったときに、私も読んでくれる相手は見えなくても、伝えたくて書いているんだからピッタリだと思ったんです。
--「明日への言付け」ではなく、「明日の言付け」なんですね。
一青『明日への言付け』だと固いですよね。「明日の」というのも、中国語だと「~的」と書いて「の」という意味になるんですよね。「の」はすごく便利で、私は好きなんですね。
--いまじゃなく明日。
一青 自分に対しても言葉が未来へとつながるものであってほしいし、誰かにとっても言葉は未来へつながるものであってほしい。
--詩と散文はもっている時間が違うと思うんですよ。その意味で、一青さんのエッセイに流れている時間はおもしろかった。過去をもう一度生き直したというか、思い直した感じを受けました。
一青 過去のことを書いたとき、思い出を美化していくというか、父や母の思い出も自分のなかでどんどん美しくなっていっているのに気づきました。子どものころなんて、うっとうしいと思うこともあったんですけど、亡くなると急に「あのころはよかった」という気持ちが出てきて、人間の生きていくために備わった忘却の作用や美化する意識を思いました。
--お父さんやお母さんの記憶も美しいかけがえのないものとご自分のなかに残っている。
一青 デビュー当初は父や母のことを引きずっていたのでしっかりそれがあったんですけど、いまはあんまりもう、払拭したというか……それは一枚目のアルバムでできたと思うので、今はいま生きているひとに対してなにを言えるのかという方が亡くなったひとを偲びつづけるよりも前向きな生き方かな、と。でも実際重要だと思うんですけどね、悲しみから逃れずにちゃんと向き合うことは。向き合った上で一度吐き出す。吐き出した後にいまが大切だと思ったならいまを描く。そういった段階ですね。
--それが一冊の本としてまとまったことでなにかが変わるかもしれないという予感のようなものは……
一青 あります。書いている間中「もう書けない」と思いながら書いていたんですけど、書き終わった瞬間に「もっと書きたい」と。昔のことなので、いまこの瞬間に思っていることとズレてはいますが、全部直していったら際限がない。だいいち本のなかでは「私はカナヅチだ」と書いていますけど、いま私は泳げるんですよ(笑)。そんなことで「いま私は泳げますが」なんて注釈を入れるのはどうでもいい話ですから(笑)。
--練習されたんですね。
一青 練習というよりも、違う視点からトライしてみようと思ったんです。泳ごうとするから泳げないんだなと思って、だったら水のなかで光を楽しもうということです。イルカみたいに潜水をしながら、クラムボンがプカプカ笑ったという一節を思い出しながら、宮沢賢治はこういうふうに泡をみていたのかと潜っていたら泳げるようになった(笑)。

☆次回更新 6/4(水)予定☆

明日の言付け

日本文学

明日の言付け

一青 窈

一青窈、初の単行本は、詩(+歌詞)とエッセイで織りなす、一青窈コトバワールド。家族や愛しい人たちとの思い出、愛と恋、生と死……。伝えたい言葉のメッセージが詰まった珠玉の作品集。

  • 単行本 / 184頁
  • 2008.05.17発売
  • ISBN 978-4-309-01863-8

定価1,466円(本体1,333円)

×品切・重版未定

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