河出書房新社｜立読み｜キャプテン・ブルーベアの13と1/2の人生――上巻

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キャプテン・ブルーベアの13と1/2の人生――上巻

ヴァルター・メアス　平野郷子訳

人生というのはたいてい産み落とされて始まるものだ。だが、ぼくの場合はちょっと違う。どうやってこの世に出てきたのかさっぱりわからん。純粋に理論的に言えば、泡から出てきたのかもしれないし、真珠のように貝のなかで育ったのかもしれない。ひょっとすると流れ星みたいに空から降ってきたのかも。
　
わかっているのは海のまんなかに捨てられていたということだけだ。いちばん古い記憶はクルミの殻に入って、すっぱだかのままひとりぼっちで荒海を漂っていたことなんだよ。その頃のぼくはものすごく小さかったのだ。

　それからもうひとつ、音の記憶もある。それはとてつもなく大きな音だった。だれでも幼い頃は物事を実際より大きく感じるものだ。だがぼくはいま、あれが実際にこの世でいちばん大きな音だったのを知っている。
　それは七つの海のうちでもいちばん恐ろしく、いちばん音の大きい危険な渦だった。とはいえ、それが名にしおうマルム潮流だとは、ちっぽけなクルミの殻に入って揺られていたぼくは露ほども知らなかった。ぼくにとってそれはただ、めっぽう大きなゴボゴボいう音だったにすぎない。たぶん当時ぼくは（それを考えと呼べればの話だが）、こんなふうに考えていたのだろう。裸でクルミの殻に入ったまま、耳をつんざくような音のほうへと大海原を漂っていく――これって、ごくふつうのことだよな、と。
　物音はますます大きくなっていき、クルミの殻もますます激しく揺れた。けれどもとっくに自分が大きな渦に巻きこまれていることなど、当時のぼくはもちろん知る由もなかった。何キロも続く渦のなかで、ぼくのちっぽけなボートは――おそらく世界一小さかったろう――猛り狂う奈落の底にむかってまっしぐらに進んでいたのだが。
　いま思うとあれは、海で出会うなかで最も絶望的な状況だった。分別のある船乗りなら大きく迂回するにちがいない。たとえぼくを助けようとしても、その人も同じ運命に見舞われ、海底へと引きずりこまれたことだろう。この潮流にはいかなる船もかなわないのだ。
　ついにクルミの殻がぐるぐる回りだした。そして、ゴボゴボと音を立てているぱっくり開いた海の口へとワルツでも踊るような調子でむかっていた。だが頭上で回っている星を見ながら、ぼくは潮の音にうっとりと耳を傾け、なにひとつ不吉なことを予感してはいなかった。
　そのときだ、ぞっとするような歌声が聞こえてきたのは。それはこびとの海賊たちの歌声だった。

　こびとの海賊はツァモーニエンの海の王だ。といっても、それを知っている者はいない。彼らはものすごく小さいため、だれも気づかないからだ。どんな波も嵐も潮流も、こびとの海賊はものともしなかった。船乗りのなかでもいちばんの命知らずで、自然の猛威を相手に自分たちの航海術を披露しようとたえず機会をうかがっていた。マルム潮流とわたりあえるのは、船乗りとしてずばぬけた腕を持つこの海賊だけだった。
　そんなわけで、渦に巻きこまれながらも、海賊たちは負けじとどら声をはりあげて歌っていた。そして、抜けやすい波のトンネルはないか、渡りやすい流れはないかと、目を皿のようにしていた。そんな折り、マストに登った見張りが、豆粒のような望遠鏡でぼくを見つけたのだ。ぼくはといえば、あと一歩でこの潮流に飲みこまれるところだった。
　ほかでもないこの海賊たちに助けられたのは、二重の意味で幸せな巡り合わせだった。彼らがあんなに小さくなかったら気づいてももらえなかったにちがいない。ぼくは甲板に引き上げられ、防水加工した服を着せられ、太い綱でマストに縛りつけられた。そのときはわからなかったのだが、こうしておけば波にさらわれずにすむからだ。いっぽう彼らは潮との激しい戦いを続けていた。リスのようにすばしこくマストによじ登ってはまたするすると降り、帆をあげてはまた下ろす。そのすばやいこと、見ているだけで目が回りそうだった。
　バランスをとるため、右へ左へ前へ後ろへと、海賊たちは駆けずりまわっていた。ポンプで水を汲みだし、船腹に姿を消したかと思うと、海水のいっぱい入ったバケツを持ってふたたび現れる。ハッチから飛びだす。綱を握って激しく身体をふり動かす。たえず動いていた。舵をとり、声をかけ合う。少しでも早く張ろうといっせいに大きな帆にぶら下がる。綱をたぐり寄せる。そのあいだも一瞬たりとも歌はとぎれなかった。なかにひとり、せっせとブラシでデッキを磨いているのさえいた。
　大波がどっと押し寄せ、船は傾いてほとんど直立しそうになった。それだけではない、何度も海中にもぐった。だが沈没しなかった。生まれて初めてぼくは海水を飲んでしまった。正直言うと、味は悪くなかった。ぼくらは波のトンネルをするりと抜け、大きな泡の山に乗りあげ、空中高く放りだされたかと思うと、海中深く押しやられた。船は激しくスピンし、大波にびんたをくらい、押され、唾をかけられた。だが、海賊たちはひるまない。海にむかってどなり返し、唾を吐き、これでもくらえとばかり、鉤の手で波を突き刺した。目にもとまらない速さでマストの上に散らばって帆をたたんだと思うと、すぐにまた広げた。海の動き、そよ風、船のかすかな動き、そのどれにもすかさず反応し、つぎになにをなすべきか、たちどころに理解した。命令を下す者はいない。全員が対等だった。力を合わせて奮闘したおかげで彼らはついに勝った。マストに縛りつけられたまま、ぼくはあっけにとられてその動きを見ていた。
　この海賊たちのように小さいと（当時はぼくも小さかった）、時間の単位が違ってくる。一度でもハエをつかもうとしたことのある人はわかると思うが、このちっぽけな生き物はスピードと敏捷さにかけては、はるかにぼくらに勝っている。ハエからすれば、ぼくらの動きはスローモーションフィルムも同然だ。だから、ぼくらを軽くあしらって逃げることなど、やつらには朝飯前なのだ。こびとの海賊にもちょうど同じようなことがいえた。ふつうの船には荒れ狂う渦でも、彼らにはただの渦に見える。巨大な渦も分解されてごくごく小さな波になる。だからぼくらはやすやすと通り抜けられた。ハリケーンが来ると、大きな家は倒れても小さなクモの巣は無傷で残るように、この怪物のような潮もぼくらには手も足も出なかった。ぼくらがものすごく小さかったおかげだ。
　こうしてぼくらは恐ろしいマルム潮流から逃れた。まえにも言ったが、当時のぼくはこの潮流の本当の危険についてなにひとつ知らなかった。それを知ったのはずっとあとのことだ。そのとき気がついたことといえば、ゴボゴボいう音が徐々におさまっていったことや、海賊たちの動きがしだいに静かになっていったことだけだった。ようやく危険が去ると、海賊たちはぼくのまわりに集まってきて綱をほどき、目を丸くしてぼくを見ていた。
　それはぼくも同じだった。
　その名が示すように、こびとの海賊は本当に小さかった。十センチもあれば大男といえた。彼らは豆粒のような船で航海していて、自分たちでも襲える小さな相手をたえず探していた。だが、めったにそういう相手には巡り合えなかった……というより、一度も。本当言うと、これまでただの一隻も。ボートさえつかまえられなかった。ときどき――たいていの場合やけくそになって――大きな船を襲った。いやそれどころか、ものすごく大きな船のこともあった。が、相手は気づきもしなかった。大きな船に鉤の手を突き刺したまま海賊たちは引きずられ、ついにあきらめて引き抜いた。また、かわいらしい大砲を発射することもあった。決して目標に届かないその弾は、せいぜい数メートル飛んだあと、あえなく海中に没した。
　一度も獲物をぶんどることができなかったので、海賊たちは主として藻や魚を食べていた。自分たちでもつかまえることのできるヒシコイワシや小さなエビだ。いざとなればプランクトンを食べるのもいとわなかった。
　こびとの海賊の手は小さな鉤、足は木でできていた。彼らがまぶたを閉じるのを、ぼくは一度も見たことがなかった。どうせむてっぽうな戦いをしかけてけがでもしたんだろう――はじめはそう思っていた。だが、あとで知ったのだが、彼らはもともとそういうふうに生まれついていたのだ。しかも、口ひげをたくわえ、三角帽をかぶって。

『ツァモーニエンおよびその界隈の奇蹟、生物、現象事典』より
プロフェッサー・ドクター・アブダラ・ナイチンゲール編著

こびとの海賊：その穏やかな気質にも似合わず、あるいはまさしくそれゆえにか、残忍で粗暴なふりをする。大口をたたくのを好み、とりわけ船を襲って獲物をぶんどった手柄話を愛する。ほらを吹く傾きあり。船上で鉢合わせすると（船にはおおぜい海賊がいるのでこれはたいそうよく起こる）、これまでに沈めたと称する船の数を張り合い、罪のない船乗りを縄で縛りあげて船底をくぐらせたとか、デッキを歩かせたとかいって自慢し合う。つねに大声をはりあげ、大仰な身振りも忘れない。その際、藻とサトウキビで作ったルムという飲み物がつきもので、ルムはまったくアルコールを含んでいないにもかかわらず、これを飲むと彼らの空想はいやまし、すぐにろれつが回らなくなる。こびとの海賊は酒に弱い。

　
ぼくはよくこういう場に出くわした。そしてごたいそうなほら話に耳を傾けた。したがって、話に尾ひれをつける彼らの癖やとめどなく広がる空想に、ぼくが影響を受けたことを認めるにやぶさかではない。ぼくが海賊たちから学んだのは、罪のない嘘というものは、どうかすると事実よりはるかに心躍らせるものだということだ。それはちょうど、事実に美しい衣を纏わせるようなものなのだよ。
　こびとの海賊にとって、およそ退屈ほど耐えがたいものはなかった。ほんの少しでも退屈すると、彼らははた目にも気の毒なくらい苦しんだ。ため息をつく。うめく。空にむかって鉤の手をふりあげ、髪をかきむしる。服をずたずたに引き裂くこともあった。だが、これは事態を悪くするだけだった。というのは、今度は服が裂けたといって嘆き、わが身の不運を呪うからだ。だが、船の生活というものはもともと退屈だったから、彼らはたえず嘆いたりうめいたりすることになった。嘆いていないときにはほらを吹く。嘆きもせずほらも吹いていないときには、どら声で歌を歌った。こういうなかでぼくは大きくなった。

　ぼくは海賊たちの生きがいになった。ぼくが一緒にいた五年間、彼らの生活はほとんどぼくを中心にして回っていたといっていい。まるで、ぼくのおかげでそれまでのばかばかしい生活が初めて意味あるものになったとでもいうかのようだった。こびとの海賊たちは、略奪や海賊の暮らしについてなにからなにまで親身になって教えてくれた。そのぞっとするような歌を歌って聴かせ、悪態をつくことや海賊旗のあげ方、宝物が埋まっているという地図の描き方をぼくに手ほどきすることで日が暮れた。それどころか、ぼくのために貿易船を襲ってみせたことすらある。だが、相手の船のほうが少なくとも千倍は大きかった。敗北とはどういうものかということを、その日ぼくはとことん理解した。
　そのほか、碇をあげるのに始まり、水が漏れないように船板のつぎ目に詰めものをすることやマストを固定することまで、ひととおりの仕事を見よう見まねで覚えた。
　まずはデッキ用ブラシで甲板をこすることから始まった。デッキをこするのはなかなか高度な技だ。バクテリアをこすりおとしてぴかぴかにしなければならないが、磨きすぎてはいけない。さもないと滑ってしまう（海賊たちは細い木の足をしているので特に気をつけていた）。ほんの少し流砂を混ぜたソフト石けんが理想的な磨き剤だった。石けんは消毒、砂は滑り止めだ。また、逆風を受けて帆走することはいうにおよばず、凪のときに停泊すること、追い風を利用すること、船を下手回しにすること、荒海で船首を回すこと、それから船を急停止する術も学んだ（これは「大きな魚」にぶつからないようにするためで、こびとの海賊の特技だ。彼らにとっては、タラがすでに「大きな魚」だった）。

　船乗りの心得のひとつに、ノットがある。といっても船のスピードのことではない。縄を結ぶことだ。一本の麻縄でどれだけいろいろな結び方ができるかということだ。ぼくは七百二十三通りマスターした。いまでも全部覚えている。シンプルなこま結びもできるが（もちろん！）、こびとの海賊風二重結び、嵐のネクタイ、ガチョウ絞め結び、クラバウターひっかけ結び、それから驚くなかれ、なんとゴルディオス二重結びまでできるのだ。かのゴルディオス王が結んだ解けない結び目をアレクサンダー大王が一刀両断して解いたという故事は、読者諸君もご存じだろう。

　まだある。小鳥やタコの形に結ぶ動物結びや、マニラアサやインドアサを使った舫い結びだって朝飯前だ。目隠ししたまま、ウナギを幾重にも結び合わせて二度と離れられなくすることだってできた。まあ、縄結びの家元とでもいったらいいだろうか。だから、結び目を作らなければならなくなるとみな、ぼくのところへやってきた。ぼくは魚に結び目を作ることもできたし、必要とあらば、結び目のなかに結び目を作ることもできたのだよ。

　航海術くらい海で大事なものはないが、こびとの海賊はほとんど道具を持っていなかった。コンパスさえ知らなかった。彼らはあるシステムに従って船を操っていた。それは波の動きを観察することだ。長いあいだじっと波を見ていると、それらがみなひとつひとつ違っているのがわかるようになる。人はよく、波なんてみんなおんなじさと言うが、決してそんなことはない。波はひとつひとつ独特の形をしている。とんがって険しいのもあるし、丸くて平べったいのもある。それから、ぼってりしたのや薄っぺらいの、緑や青、黒や茶色、透明なのや濁ったの、でかいのやちっこいの、デブ、ヤセ、冷たいのやあったかいの、しおっからいのや甘いの、うるさいのやおとなしいの、速いのや遅いの、やさしいのやおっかないの……。
　波はそれぞれ高さも顔つきも違っている。しぶきの形によってヘアスタイルだってみなそれぞれだ。それから、歩き方、つまり波形でも区別できる。南の海の波はのんびりふらふら揺れるし、北の海のは張りつめたすばやい動きが得意だ。うかうかしていると凍ってしまうのでね。ハワイの大波はフラダンスのようだし、スコットランドのは、聞きとれないがバグパイプの音色に合わせて行進する。波をよく研究すると、どういう波がどこに現れるかということもわかるようになる。たとえば、愛嬌のある緑のちび波は熱帯の浅瀬、黒ずんで泡立っているのは岸の近く（とりわけ入り江の近く）、高く青い波は冷たい深い海、といった具合だ。
　というわけで、波を見ればいま自分がどこにいるのかがはっきりわかる。浅瀬があるのか、目には見えない砂州やサンゴ礁があるのか、陸の近くか沖か、そして危険な潮流のなかにいるのかというようなことまで。いやそれだけではない、サメがいるのか、ニシンだけかというのだってわかる。サメがいると波がかすかに震えているのでね。
　そのほか、船の手入れの仕方も身につけた。甲板の修理をはじめ、船体から巻き貝をひきはがすこと（そいつを藻のだし汁で料理する）、波が高いときに船体のバランスをとること。救命ボートを降ろしたり、救命具を投げたり、見張りをすること。一年もたつと、ぼくはいっぱしの船乗りになっていて、嵐が来ても吐かずにすむようになった。
　海賊たちはぼくにたっぷり食べ物をくれた。それは主に藻とやせこけた魚だった。「藻刺し」に始まり、手のこんだスフレにいたるまで、四百以上のレシピがあった。ぼくはそれらをみな試食させてもらえた。いま藻が好きでないのは、おそらくこのときに食べあきたからだろう。
　だが、なんといおうと藻は、ビタミンやタンパク質をはじめ、ちびの青いクマが大きくなるのに必要な栄養素をすべて含んでいた。もしかすると栄養がありすぎたのかもしれない。なぜってぼくは、自分はもちろん、海賊たちにとっても気味が悪くなるほどのすごい勢いで大きくなったからだ。助けられたときは海賊たちより小さかったのに、一年もたつと同じくらいになり、二年目にはもう彼らの倍、四年後には五倍以上にもなってしまったのだ。
　こんなふうに大きくなってしまったぼくを小さな海賊たちが気味悪く思いはじめたのは、無理もなかった。もともと彼らには大きなものに対する先天的な不信感がある。五年もたつと、ぼくは縦横ともにばかでかくなり、船が傾きそうになってしまった。
　そんなある日、海賊たちはぼくを島に置き去りにした。正直言ってあのときはうらめしく思わないでもなかったが、いま思えばあれでよかったのだ。彼らにとってもそれはつらいことだったにちがいない。藻ジュースをひと瓶に藻パンをひとつ、当座の食料としてぼくに渡すと、海賊たちは嘆きうめきながら夕日のなかに消えていった。彼らにはわかっていたのだ。ぼくのいない毎日がいかに味気ないものになるかということが。

『キャプテン・ブルーベアの13と1/2の人生――上巻』

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