河出書房新社｜立読み｜アトムと寅さん

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アトムと寅さん～壮大な夢の正体

草森紳一／四方田犬彦

四方田　『男はつらいよ』には、なぜか大学の先生とかインテリがけっこう多いですね。
草森　やたらと多い。無形文化財の陶芸家とか考古学の先生とか。
四方田　有名な画家とか（笑）。
草森　殿様もいたじゃない。嵐寛寿郎ね。
四方田　それから女子大学院生、女性の学者がいました。
草森　三田佳子の女医。
四方田　これは、ある種のインテリ蔑視ですよ。山田洋次は、本当は元東大総長の蓮實某をあそこに登場させたらよかったんですよ。家の中ではフランス語しか喋らず、日本にはフランスのような真のエリート教育が欠けていると公言して憚らない学者をね。ただもしそうなったら、山田映画ではなく川島雄三の映画になってしまうかもしれませんが（笑）。
草森　インテリ蔑視は、五〇年代後半の僕の学生の頃からもう始まっている。最高潮に達したのは『男はつらいよ』の始まった七〇年安保の頃でしょう。中国の文化大革命を真似て教育改革で出発し、インテリ候補ならざる学生が、もはやインテリならざるサラリーマン教授をさんざんに痛めつける。何を言っても「ナンセンス！」と叫んでね。「話せばわかる」を拒否するわけだ。僕がしきりとナンセンス・マンガやナンセンス・ヴァースを啓蒙していた頃に当たるので、同意と当惑を感じましたね。『男はつらいよ』の中では、インテリが一貫して出てくるのも、そういった時代の影です。寅さんに説教されて感服するという形でね。ほとんどが学者馬鹿で、恋愛オンチで、変人のインテリで、寅さんとウマが合うんだ。時代としては、もう世間の言うような学者馬鹿は払底していたから、骨董品的存在なんだ。
四方田　寅さんが出会うインテリというのは、あれは江戸時代の落語にときどき出てくる、儒学者ぶってワケの分からない蘊蓄を垂れる学者の延長上にあるのでしょうね。僕は寅さんの祖先として、戦時中に撮られた最初の『無法松の一生』における阪東妻三郎を想定しているのですが、あのフィルムには熊本の第五高等学校の先生で民俗学に関心を持っているという人物が登場し、しきりに小倉にむかしから伝わる祇園太鼓を聴きたいと言います。人のいい無法松はこの先生の頼みに応じて、みごとにその喪われた太鼓を披露してみせるわけです。この先生の系譜が『男はつらいよ』にまで流れてきていると思います。
草森　第一作（一九六九年）でも、寅さんの失恋する光本幸子の婚約者が、どこかの大学の先生だったね。寺の縁先で彼女とお茶を飲んでいるワンシーンしか出てこないけど、これは現代のダメインテリ、つまり学者馬鹿でさえなくなった大学の先生への山田洋次の蔑視があって、作術劇としての効果もあるけれど、そのためにワンシーンしか出さないんですよ。しかもロングのボケ。寅さんのインテリに対する劣等感を現すためにカメラを引く。さくらの夫には大学出でなければと思っているくせに、さくらに惚れている博には「お前、大学出てなきゃ、嫁はもらえんてのか」と、矛盾している寅さんの心情にふさわしいカメラの引きなんだ。事実、寅さんは身分違いの恋だからと、マドンナ光本幸子から身を引く。彼女は学者馬鹿でない教師の退屈な構造を見抜いているから、婚約する土壇場で寅さんに気まぐれに接近する。笠智衆の御前様も庶民に気を遣い、困り者と言いつつ、寅さんに対しても優しいが、根は娘の婿には大学教授をという通俗坊主でしかない。風狂と頓智の一休禅師には、とうていほど遠い。
四方田　大体、博というのは、親父が志村喬でしょう。大学の名誉教授でしたか。
草森　そう。あとで水戸黄門式にみんな「実はそんな偉い人だったのか」「へー」ってやる。講談の『水戸黄門』の構造なんだね。そしてその時、水戸黄門、決して偉ぶらない（笑）。『男はつらいよ』では少しひねっていて、「なにが大学の先生だ」と寅に言わせるけどね。このパターン、日本人にウケるんだよ。『水戸黄門』がテレビで繰り返し放映されるゆえんでもある。アメリカの喜劇にも、この構造が少しある。もはや権威不在の世の中なのに、権威を欲しがっているのかな。張りぼての権威でもいいからと。
四方田　でも、なぜかインテリは、必ず孤独で家族に見放されている。
草森　真のインテリは、わがままで世間からも見捨てられた孤独な変人であらねばならぬ、という観念でも山田洋次にあるのかな。『男はつらいよ』が始まった頃から、日本には明治に発生したインテリがいなくなったと言われた時代に当たるんだよ。もちろん、江戸以前の文人などはとうにいない。そのような不在環境から生まれてきたのが、寅のセリフの「インテリゲンチャン」なんだよ。軽蔑し、かつ畏怖すべき存在の「インテリゲンチャン」。そういうインテリさえも、全然いなくなったという郷愁的反語としての「インテリゲンチャン」。田中眞紀子のおかげで「変人」がクローズアップされたが、子供の頃から偏屈といわれた我が身からすれば、これから生きにくくなるね。まもなく変人狩りが行われるぞという青信号でもある。小泉変人宰相からしてが、まっさきに「空洞の変人」を今や生きているからね。
四方田　「てめえ、さしずめインテリだな」とかというのは、すごい言葉ですね。
草森　やくざが仁義を切る時の紋切り言葉だね。やくざの仁義は、儒教からきているからね。卑屈な礼法的セリフ。『男はつらいよ』の中で、一番「学」があるのは誰かと言うと、渥美清＋山田洋次の化身である「寅さん」になるのよ。香具師の寅さんが啖呵を切ったり、物売りの口上を述べたりするでしょう。あれには、あらゆる日本の古語から漢語まで、響きのよい言葉がどっさり入っている。みな紋切りだけど、今や未知の世界。紋切りは、多分「紋所切り型」の略、オリジナリティ否定のデザイン世界だけど、今や魅惑に溢れている。
四方田　「わたくし郷関を」とか、本人は漢字で書けたのかな？　これは明治時代にベストセラーとなった、立身出世の手引きといった書物の巻頭に掲げられていたような言葉で、現在のわれわれはほとんど用いないし、聞く機会もない。寅さんはどこかで、耳学問としてこうした語彙を聞きかじったという設定だと思います。立身出世という考えそのものが、今日ではアナクロニズムなわけで、それを出世とは全く逆の人生を生きている彼が得意気に口にするあたりに、アイロニーがある。キョーカンなんて、彼は漢字で書けるのでしょうか？
草森　まあ、書けたんじゃないかな。旅先から送ってきた寅の葉書を、さくらが読む場面がしばしば出てくるし。なかなかに素朴な味のある字なんだ。それにさくらの見合いの席で、口上のギャグを生かして、漢字の講釈もしたりしている。まあ、書けなくてもよい。意味が分からなくてもよい。まあ音楽なんだね、口上は。寅さんの周りにいる仲間もさくらも、印刷工場のタコ社長も、少し知ったかぶりするところのある大学教授の息子の博にも、誰にも分からない言葉を使うのが、寅さんなんだ。寅さんの口上など、それだけでもう詩になってる。古いことを知っているという点で、最大のインテリは寅さんですよ。口上は和歌や漢詩漢文がそのもとなんだから、まあ勝手に詩なんだね。古典は、意味より語調を尊ぶからね。いい気持ちにさせる。時に意味を問う者あらば、偉そうに講釈もする。口上は、日本の古典のパロディなんですよ。インテリジェンスに対する崇敬と侮蔑が込められている。
四方田　それは前近代のインテリですね。カタカナ・インテリじゃなくて士大夫とか、そっちの方ですよね。それをみごとに七五調の詩にしている。
草森　カタカナ・インテリ語は、寅さんは苦手だから、その使い方やしぐさを「笑い」の場面として、転移して生かすという演出が絶えずなされている。誤って用いて、みんなに笑われた時の寅さんの顔は、渥美清の名演技で絶妙に歪む。その歪みの中に、なんでもカタカナ語で喋りたがる近代への批判が入るという構図だ。僕はなんとなく横尾忠則の世界を思い出す。やり切れない前近代とやり切れない近代とが、宙づりになって互いを刺し違えるというパターン。『男はつらいよ』は、ポップな横尾忠則の登場より、少し遅れて出発する。けっこう両者は同時代的な発想でつながっている。啖呵の口上は、名乗りのセリフでもあって、たとえば『平家物語』の合戦における武士の言上の儀礼とも接続している。小気味よいけど、その内容や音律はと言えば、仏教宣伝の説経節の系統でもある。うっとりもするけど、うんざりもする。
四方田　大学教授、インテリ、庶民と今聞くと、時代遅れみたいなシーラカンス的に、律儀で二項対立をわりあい生真面目に踏襲しているという感じがあります。志村喬はインテリができる顔をしてますね。ゴジラを発見したり、たしか『日本沈没』の時も志村喬ではなかったですか。だから日本の博士はあの顔をしているわけです。正義感に燃えて、理想主義で、学問は神聖で人々を救うためにあるという。あれが本当のインテリです。今はもうそういう博士はいないですね。
現在では日本の老人というと、優しい、かわいらしいお爺ちゃんということで、笠智衆ばかりがもてはやされているのですが、僕は一貫して志村喬を忘れるなと主張したい。『ゴジラ』の中でただ一人、「ゴジラは被爆者だから救済しなければならない」と声を限りに叫ぶ学者を演じていたのも、『七人の侍』で勘兵衛の役で、「またしてもわれわれの負けが。勝ったのは百姓たちだ」と深い詠嘆のセリフを吐くのも、志村喬です。ポストモダンの現在というのは、こうした老賢者が忘れられ、笠智衆の映像がノスタルジックに増殖していくことではないかという思いがあります。
草森　寅さんに説教されても、「なるほど」と面白がるインテリというのは、最終的に西洋の近代を吸収した良質のインテリだよ。寅さんは、前近代の文人インテリさえ笑いのめす存在だからね。はみだし者の寅さんは、どうしたって、勝手に進行する近代とやらにしがみついている庶民の敵だよ。目ざわりなんだ。庶民の余裕でその敵性を、かろうじて許されている。寅さんはそう思っていないが、見下されている。もちろん寅さんは、真の擬似インテリなんだが、庶民にはそれが見えない。馬鹿だけど、なかなかいいところもあると思っているにすぎない。そのことによって、寅さんは大いなる擬似神にもなっている。だから寅さんに素朴を見るマドンナ達や、真正のインテリを感服させるんだね。庶民たちは、けっして寅さんを崇めることはないからね。古典的なインテリはもちろん、いやみで権威的なインテリもいれば、アナクロで、ましてや偏屈なインテリもいなくなった時期に当たるから、ああいう映画がヒットしたんですよ。インテリを世間智に欠けるものとして、馬鹿にすらできなくなった時代に当たる。役者で言えば、山村聰や森雅之的な均斉とれたインテリも姿を消しつつあった。

～本文｢寅さんと日本人｣第一章より抜粋～

この続きは『アトムと寅さん』をご覧下さい。

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