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『レイ・ハリーハウゼン大全』によせて
2009.02.04更新
「特撮の神様」レイ・ハリーハウゼンのすべてが詰まったコンプリートブック『レイ・ハリーハウゼン大全』刊行記念インタビュー!
山崎貴監督
レイ・ハリーハウゼンは、僕に「センス・オブ・ワンダー」というものの存在を教えてくれた人のひとりです。子どもの頃は大好きでした。夜中によくテレビでやっていたんです。新聞のテレビ覧の下の方に「シンドバッド」とか書いてあると、「やばい、今日はシンドバッドだ!」と目覚ましをセットして、親を起こさないようにイヤホンを付けてこっそり観ていました。深夜テレビは禁じられていましたから、それも含めてすごくわくわくしていましたね。全体の印象というよりはシーンで覚えています。「青銅の人(タロス)が止まっちゃう」とか「異様にたくさんの骸骨と戦う」とか「竜の頭がいっぱい」とか(笑)。当時は「センス・オブ・ワンダー」なんて言葉は知らないけども、こんな世界があるのか! という気分を知りました。CGでクリーチャーを作れるようになる前は、「人形アニメーション」か「着ぐるみ」という表現方法しかなかったわけだけど、コマ撮りして背景合わせて……みたいな手練手管をろうして「せせこましく」作ってある方が性格的に好きだったし、いまの自分にも近いです。
あの頃から世の中の技術は進化しているけど、いまあの感じを出そうとするとなかなか大変だと思うんです。タロスやカーリーのあの無表情でかくかくした気持ち悪い動きなんかは、本当にそこにいるみたいで生々しくて変な説得力がありました。人類が触れちゃいけないような、ある種見せ物小屋的な怪しいタブーの匂いと、禁書的な何かに触れる何かがある。いまはミニチュアを使ったりしても、全部が「CGだろ?」ってすぐに言われちゃうけど、あの頃は誰もやり方知らないし、観る方もだまされて楽しかったと思います。CGばかりだと、ひとコマひとコマに注ぎこまれる情熱の量はどうしても減っちゃうと思うんです、機械が作るわけだから。人の胸に迫る力っていうのは、やっぱり手作業の方が持ってる気がする。制約があるなかでなんとか知恵を絞って、色々とデフォルメして工夫してお客さんに何かを伝えようとする、そのとんちの量が映画を底上げするんです。僕らはよく「怨念が込められてる」という言い方をしますが、そこに怨念が込められてるかないかで、それぞれのシーンのパワーが決まるんですよね。作り手が「うわー、生きてるみたいで、面白い!」って言いながら工夫しながらやってる方が絶対強いんですよ。コマ撮りアニメって地道で大変な手作業で、ひとつ動かし間違えたら失敗しちゃうし、フィルム現像するまでわからないしやり直しがきかない。そういう意味で、ハリーハウゼンがやっていたのは神聖な作業ですから、それが神話の世界っていうテーマと完璧にマッチしたんじゃないかと思います。機械まかせじゃなくて命を宿らせるというところに、苦労してるだけのものが感じられるんです。
『タイタンの戦いが』がリメイクされる話ってありましたよね? やるなら絶対『アルゴ探検隊』ですよ! いまでも使えるネタの宝庫なんだから。オリジナルにはわりと善良な人たちしか出てないから強烈なジャック・スパロウ的なキャラクターを入れて、いまの作劇方法で作り直せば『パイレーツ・オブ・カリビアン』がもっととんでもないことになったような映画ができますよ。僕も、クリーチャーがいっぱい出てくる映画はいつか作ってみたいですね。人はついつい最先端のものばかり追い求めちゃうけども、こういう「始祖」といってもいいくらいの作品や人をもう一回見つめ直すのは勉強になると思います。やっぱり最初にやった人はすごいですからね。正座して観よう! と。この本が売れるか売れないかは別として(笑)、学ぶところは大きいです。
山崎貴(やまざき・たかし)
映画監督・VFXディレクター。特撮スタジオ・白組に所属し、CMや映画の視覚効果を多数手がけ、2000年には『ジュブナイル』で監督デビュー。高度な特撮技術を武器に世界観を築き、2005年『ALWAYS三丁目の夕日』では日本アカデミー賞監督賞を受賞。最新作は、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』を原案とした、『BALLAD 名もなき恋のうた』。「時代劇の様式のなかの戦国時代」ではなく、リアルな戦国時代を完璧に再現したなかで、切ないラブストーリーが展開する。
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樋口真嗣監督
知識だけは備えていたからそれがどこかの大人の作ったものだってことはわかっていたけど、土曜日の夕方や夜中のテレビ映画劇場で流れていたシンドバッドの映画に登場する伝説上の怪物や巨大な生き物たちは、そんな生意気盛りだった小学生の鼻っ柱を思いっきりへし折ったのです。
驚くべきことに、あの一つ目の鬼の特徴的な体型は絶対にヒトが入れないはずなのに、生き生きと動き回っているし、その場所にいるはずは無い骸骨兵士は登場人物と同一画面で剣をぶつけ合ったり仕掛けた罠で綱引きをしているではありませんか。その映像のすべてにひたすら驚きました。脳幹から揺さぶられるような衝撃でした。
それまで眼にした日本産の『異形の者』たちに較べて余りにもリアルに見えたのですが、ただリアルであるだけならここまで深く刻み込まれることは無かったはずです。
人形アニメーションという、本来自律して動く事の出来ない造形物をひとコマずつ動かして撮影することで、人が喋っていたり、車が走っていたりという現実での視覚体験とは次元の違う、映画の中でしか体験することが出来ない超現実が脳内で結像されるのです。
もちろん、ただ動いていればいい訳ではありません。その動きの説得力と意外性のバランス、忠実に再現するための観察力と感情を挙動の中に表現する演技力によって命を宿していたのです。
それに加えて俳優の演技を撮影したフィルムを人形の背景に映写することで可能になった精密なライティングの調整や複雑なマスクワークで、表現の可能性を拡げ、多彩な演出をもたらすのです。
興味が膨らみ、調べていくと実は他にもあの怪物たちの兄弟がいっぱいいた事がわかります。リドザウルス、金星竜イーマ。ジョー・ヤングやタロス。どれもみな魅力的です。技法を知ってなお驚くような面倒なことばかりをアプローチしていたのです。そして、更に驚くべきことを知ることになります。
命を吹き込んでいたのがたった一人の人間だったのです。
レイ・ハリーハウゼン。
その頃になれば分別もつくような年齢になってきたので、才能ある個人の存在に圧倒され、同時に自分なんかひとりじゃ絶対に出来ないという絶望も味わいます。だったら他のアプローチをすればいいではないか……時を同じくして台頭してきた技術がCGに代表されるデジタル処理でした。
異口同音で幾度となく言われ続けている事ではありますが、心動かされる映像はデジタルでは獲得できないのでしょうか?
ならば心動かされる映像が如何にして生まれてきたのか、その源泉に触れる機会がこうやって訪れることは自分にとっても願ってもないことです。あの何もない時代にゼロから作り上げてきた想像を絶する試行錯誤と、それを乗り越えてきた忍耐と斬新な発想が、何でも出来る時代になった今、失ってしまった大切なことがこの本には詰まっているのです。
自分や自分と同世代の、あの子供の頃にテレビの前でビビりながらも胸躍らせていた人たちはもちろんのこと、これから映像の世界を目指す人たちには絶対読んで欲しい本だと思います。
★本書で一番の驚きは「アルゴ探検隊」に登場する海神がただの人間を使って撮影していたことです。当然といえば当然なんですが、もしかしたら彼も人形なのではないかとずっと疑っていたのです。映画の中では何だかそう見えるのです……。
樋口真嗣(ひぐち・しんじ)
映画監督・特技監督。1984年『ゴジラ』の怪獣造形に関わり、その後ガイナックスに参加、絵コンテ、演出などで多数のアニメーションや実写作品に携わる。1995年特技監督を務めた『ガメラ 大怪獣空中決戦』の演出で絶賛を博し、日本アカデミー賞特別賞を受賞。その後監督デビューを果たし、作品に『ローレライ』(05)『日本沈没』(06)『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』(08)などがある。