読者全員が犯人

河出文庫 ふ10-1

サイゴノトリック

最後のトリック

深水 黎一郎

河出文庫 文庫 ● 368ページ
ISBN:978-4-309-41318-1 ● Cコード:0193
発売日:2014.10.07

定価734円(本体680円)

○在庫あり

  • ラストに驚愕! 犯人はこの本の《読者全員》! アイディア料は二億円。スランプ中の作家に、謎の男が「命と引き換えにしても惜しくない」と切実に訴えた、ミステリー界究極のトリックとは!?

    ※文庫化を記念して、特別に本文庫に収録されている、島田荘司さんによる解説を一部、公開します。

    解説 ミステリー史が最後のトリックにいたるまで
    島田荘司


     この作が挑戦している特殊な事件構造が、何故「最後のトリック」と呼び得るのか、何故「命と引き換えにしても惜しくない」ほどのものなのかを解説するには、まず本格ミステリーの進化の過程を、心得てもらう必要がある。
     本格ミステリーの歴史は、一八四一年のアメリカにおいて、エドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人』に始まるとすることで、すでに争いがなくなった。しかしこの時代のアメリカが、今日の東京やロンドンのような近代的犯罪捜査網の保護下にあるわけではなく、理不尽な奴隷制度は存続しており、映画『それでも夜は明ける』に見るような暴力は日常であった。ポー自身、リッチモンドで失踪後、ボルティモアで、他人の服を着せられて錯乱状態で発見され、病院で息を引き取るが、彼が巻き込まれていたはずの犯罪は、今も解明されていない。そうした意味で、モルグ街のこの事件に、今日的な冷静な捜査手法と、すっきりと完結する解決を求めるのは根本的に誤りである。
     アジアでは国際法的に不当なアヘン戦争が続いており、隣国の日本では、幕末さえ始まってはいなかった。偶然といえば偶然だが、この年は土佐の漁師中浜万次郎が海上で遭難し、アメリカの捕鯨船、ジョン・ハウランド号に救助されて、東海岸のニューベッドフォードに上陸した年にあたる。
     本格の嚆矢『モルグ街』は、明白に「ミステリー」ではあったが、今日われわれが考える「本格」としての体裁は未整備であった。それでもこの小説が、欧州に台頭しつつある科学革命の影響下に生まれ落ちたことには疑いがなく、心霊現象ふうに見える現場においても軽々に迎合発想は持たず、先進の科学精神による論理的な考察を通過した、合理的な事件把握を為すべしと示した、最初の密室殺人小説であったことはあきらかである。
     だが細部まで形式を整備した、今日の「本格」創作の物差しに充ててみれば、この物語にフーダニット、ハウダニット、ホワイダニットの発想は見当たらず、強いてその種の言葉を模索すれば、ホワットダニットとでも言うほかはない。
     ポー時代の読者は類似本を読んだ体験が皆無であるから、作の内部で何が起っており、自分がどこに連れて行かれるか、物語が終盤に差し掛かるまで見当がつかなかったはずである。ゆえに小説に冠された「ミステリー」の惹句は、この時代において、語義通りに実現されていた。読者は読書によって未聞の神秘体験をし、失見当識に陥ったまま、書を閉じるまで時を過ごすほかはなく、その不安感は、冷静な営為を背後に隠しているが故に、従来的な幽霊小説を上廻っていた。ミステリー愛好者にとっては幸福な時代で、こうした指摘は、本書を理解するうえで、あるいは重要であるかもしれない。
    『モルグ街』の衝撃は決定的で、新文芸のジャンルはここに発生した。死体置き場の後方に列を作った後継者たちのうち、最も注目すべきは英国作家、コナン・ドイルの創造したシャーロック・ホームズのシリーズで、作者は、科学革命下に生まれ落ちた新探偵法を、科学の一分野に高めようと奮闘する若い科学者の姿を描いている。ロンドン中の土の外観を記憶し、英国で手に入るすべての煙草の灰の外観を観察整理し、依頼人の手の獲得した外観や、歯のかたちから職業を把握しようと自己鍛錬を繰り返す。液体への一滴の血の混入も見逃さず検出する薬品を開発しようと、彼は日々化学実験を繰り返す。
     新ジャンルが向かったこうした一般文芸的な行き方を否定し、ジャンルにコペルニクス的な転換をもたらした者は、一九二〇年代にアメリカに現れた作家、ヴァン・ダインだった。彼は二千冊もの探偵小説を読破し、最も面白い探偵小説の条件を、独善的に提示した。
     創始者から八十年を経て、探偵小説は無数に現れていたから、愛好家たちは本のページを開けば何が起るかをよく予想するようになっており、そうした定型的な物語にあって、最も面白い展開とはどのような条件や、型を持つべきかが模索される時代に入っていた。
     最も有効な時代の提言であったヴァン・ダインの創作メソッドは、怪しげな館など、舞台空間を限定的にすることが有効であり、怪しげな住人たちがそこで寝起きをし、彼らのプロファイルは物語前段で読み手にフェアに開示され、舞台上で必ず殺人が起きるが、それを説明する地の文において書き手は嘘をついてはならず、やがて名探偵が外来して捜査を開始するが、彼は読者もすでに得ている材料だけを用いて推理をして、終盤で読者を出し抜く意外な犯人や動機を解明しなくてはならない、というものであった。
     主張は物語を、殺人事件の犯人不明の謎を、作者と読者とが解明を競うゲームとすることを提唱しており、そのためのフェアなルール作りを、いわばスポーツに似せて提案していた。
     創作のフィールドにヴァン・ダインが行ったことは、今日の視線からは表意文字から表音文字への大転換とか、小乗仏教から大乗仏教への大転換にも比せられ、真に革命的なものであった。この転換点において、斯界では次第に取捨選択の大鉈が振るわれるようになり、幽霊や、心霊現象は必要ではなくなった。近代を雄々しくスタートさせた科学発想も、用済みのものとして捨て去られ、探偵小説の描き手は、ヴァン・ダインの要求コードを網羅的に俯瞰して、各項目の達成を、先人以上のレヴェルに先鋭化することに心を砕けばよくなった。
     読者は犯人名の特定を目指し、ゲームの送り手との競争を意識した読書を行うが、突き止めるべき解明は、場合によっては犯人名でなく、どのようにして犯行を為したかの方法とか、犯行の理由になることもあった。フーダニット、ハウダニット、ホワイダニットの用語は、これらを個別に語る必要性から誕生した。
     かくして探偵小説の創作は、ユニット住宅の建設のように合理化され、ジャンルは殺人事件を専門的に描く、ゲーム型小説のものと規定された。しかしアングロサクソン社会を律する陪審制の法廷審理も、こうしたゲームに近かったから、文学の教訓性から離れかねないこうした整理も、充分合理的なものと愛好者に了解されて、本格ミステリーは新たなスタートを切った。
     形式の支配が細部にまで及んでいたため、文学表現が不足するゲーム構成の才もジャンルに呼び込めるようになり、民主化は果たされ、書き手の数も充足した。傑作の輩出率も、ヴァン・ダインの期待通りに向上して、黄金時代は速やかに完成する。
     自身は否定的であるが、後続のディクスン・カー、エラリー・クイーンは、後世の者の目からは提案を受け入れて『白い僧院の殺人』や、『Yの悲劇』をものしたように見える。
     同時代、日本には甲賀三郎が現れ、日本で独自的に成功をおさめていた江戸川乱歩の見世物小屋流儀を奇形的とみなして区別するため、「本格」という用語を提唱して定着させる。発案者によるこの語の定義は見当たらないが、発言のタイミングから見て、ヴァン・ダイン提案を意識したものに思われ、横溝正史の成功作『獄門島』も、このヴァン・ダイン・メソッドを意識して描かれているように見える。
     日本における探偵小説の実質的なスタートは、ヴァン・ダインと甲賀によるこの提案以降であったと言って誤りではない。今日の新本格系の書き手や、周辺の評論家たちの理解も、ほぼこのようである。今日の視線からは、ヴァン・ダインのメソッドも、甲賀の用語の提唱もおおよそワンセットのものと見え、日米における探偵小説再スタートの、思想的な支柱となっている。本作もまた、原則的にヴァン・ダイン・メソッドのルールを守って書かれている、もしくは書かれようとしていることが解る。

     ヴァン・ダイン提案の膾炙と通過は、フィールドにコード網羅の創作スタイルだけではなく、知らず他の文芸ジャンルにない独特の体質を付与した。成功した創作によってある方向が示されると、たちまちこれを新形式の提案と了解し、これを踏まえて逆行的に自身の物語を構想して、新作をそのグループに加えるという執筆の方法である。これもまた再スタート以降、ユニット建材に似て、本格創作の使用材料が限定されたから可能になった。
     傑作によって新たな形式が現れるごとに、その作風が創作の有効方向の発見と理解され、タイトルを付けてリストに書き加えられることが行われていった。
     まずポーの『モルグ街の殺人』に敬意を表し、「密室もの」という形式がリスト上位にくる。そしてこの密室を内包する館が、ヴァン・ダインによって力作輩出に有効な舞台と提案されているから、「館もの」という項目も書き加えられる。クロフツの『樽』が現れると、運行表を推理材料として列車が舞台として有効と見なされ、「列車もの」、あるいは「時刻表もの」が新形式としてリストに加えられる。
     しかしなんといっても最も上位にあり、特別枠としての扱いが不動である形式名が、「意外な犯人もの」であった。これはポーの『モルグ街』がジャンルの嚆矢となった理由でもある。意外な犯人への驚きと、科学への信頼という新基軸が、新文芸を誕生させた。
     形式名は、「器」と呼んでもよい。「意外な犯人」とか、「密室もの」、「館もの」、「時刻表もの」といった方向性の指示は、すべて「器」と理解してよい。書き手はこの容器に、容器名が要求する料理を作って盛るようにして、グループ内の他の作と同傾向の作を構想し、書き上げていく。そのおりに自身の隠し味を加えることさえ心がければ、それで怠惰とは見なさないという相互了解も、再スタート以降は共有されるようになった。
     ヴァン・ダインが現れて以降の本格探偵小説は、こうしたきわめて風変わりな約束事に支配される特殊な文芸ジャンルとして、特異な発展を遂げていった。
     ポー以降百七十年、ヴァン・ダイン以降九十年の歴史を刻む今日の本格ミステリーであるから、料理名リストに似た形式リストは肥大し、細分化されて完成を見せている。
    「意外な犯人もの」形式という項目の傘下には、無数の回答例がすでに並んだ。鸚鵡を犯行に用いる作例が成功すると、たちまち鳥や猿や犬や猫、昆虫が犯人、ないし重要な役を担う小説が書き加えられて、「動物犯人もの」グループとして独立したスペースを得る。
    「密室もの」形式も同様で、密室作成の方法がさまざまに工夫され、回答例として「密室もの」傘下に無数に並んだ。
    「殺人動機」も同様、無数の考案例が傘下に並び、「殺人の方法」も、無限の着想回答をしたがえる。「凶器の種類」もおびただしい回答例を並べ、リストを充実化した。
     本書の改訂タイトルになっている、「最後のトリック」とは、このような本格ミステリーに特有の歴史と、独自の発達過程を前提とした宣言である。ヴァン・ダイン以降、ついにリスト主義に到達した本格ジャンルの創作は、述べたようにリストの項目をひとつひとつ潰すようにして、ジャンルを充実、存続させて来た。そして今やリストは肥大化するだけ肥大化して、もはや終わりの時が近づいて来ている。
     しかしリスト主義には創作を巧みに誘導する側面があり、それは、回答例が作品提出に先行して並んで、そうした作品の輩出をうながすという現象である。「意外な犯人」という形式名のグループにおいて、とりわけその傾向が強かった。
     ここには、リスト回答先行にうながされて発想を起こしたと推察される名品が、すでにいくつも並んでいる。具体的なタイトルを掲げて述べることは本格読みのルールに反するから抽象的に語ると、動物犯人項目は別として、警察官が犯人、婦人警官が犯人、幼児が犯人、医師が犯人、国家元首が犯人、盲人が犯人、車椅子使用者や、重病人が犯人、こうした作例が多く実現されて並ぶ。そしてこの項目リストにおいて、たったひとつ最後に残った空欄が、本書が挑戦した命題、「読者が犯人」というものであった。
     これは永久機関の夢にも似て、実現は不可能とされ、もしもこれが実現すれば、本格ミステリーの歴史は終わるとも囁かれた。確かに、ヴァン・ダインによって再スタートを切った新生本格の歴史は、そろそろ終わる可能性があると、私も危惧しているし、そのように述べてもよい。
     深水黎一郎氏は二〇〇七年、この夢を実現した当作をもって日本の推理文壇に登場した。当作をものした目的は、述べたようにシンプルかつ明瞭であるから、作中のエピソードも事件も、一見無関係に見えても、ひとつ残らずこの目的に奉仕するもので、贅肉は存在していない。ゆえにモーションの推進力が強く、結末に向かって読み手を一気に引っ張ってくれる。
    (つづきは文庫『最後のトリック』でお読みください)

著者

深水 黎一郎 (フカミ レイイチロウ)

1963年山形県生れ。2007年『ウルチモ・トルッコ』でメフィスト賞を受賞しデビュー。同作は『最後のトリック』と改題文庫化されベストセラーに。11年「人間の尊厳と八〇〇メートル」で日本推理作家協会賞。

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