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単行本

フル

ふる

西 加奈子

単行本 46 ● 256ページ
ISBN:978-4-309-02148-5 ● Cコード:0093
発売日:2012.12.07

定価1,540円(本体1,400円)

×品切・重版未定

  • 池井戸花しす、28歳。誰にも嫌われないことにひっそり全力を注ぐ毎日。過去と現在を行き来しながら、彼女は自らの“今”を取り戻す。「祝福」がふりそそぐ、温もりの書き下ろし長編。

    20冊目となる西加奈子の本はまさに著者新境地作品。
    今この瞬間生きていることの温もりと切なさが、120%胸にしみわたる密度の濃さ。
    著者にとってもトライアルでもあったこの渾身の書きおろし作品は、日常の生々しさをやわらかく包み込み、すぐ隣にある「奇跡」そのものに気付かされる、始まりのための物語 。

    「みんな自分が好きなんだ。
    でも、誰かを愛してるって、強い気持ちがあったら、
    その人を傷つけることは怖くなくなるはずなんだ」

    ——奇跡が空を舞う、書きおろし長編。

    【あらすじ】
     池井戸花しす、28才。たまたま行った産婦人科で出会った2歳年上のさなえと、2匹の猫と一緒に暮らしている。数年前に職場不倫をしていたデザイン事務所を辞めた花しすの今の仕事は、アダルトビデオへのモザイクがけ。「いつだってオチでいたい」と望み、周囲の人間に嫌われないよう受身の態度をとり、常に皆の「癒し」であろうとして、誰の感情も害さないことにひっそり全力を注ぐ毎日だった。

     一方で、花しすには誰にも言っていない趣味があった。電源の入ったICレコーダーを常にポケットにしのばせ、街の音や他人との会話を隠し録りして、そしてそれを寝る前にこっそり再生し、反芻すること。

     くり返し花しすの前に現れる謎の男性、新田人生。
     寝たきりのまま亡くなった父の母である祖母、そしてその祖母を介護していた母。
     モニター越しに性器を露にする見知らぬ外国人女優EVRYN。
     そして常に傍らに漂う「白いもの」……
     花しすが見つめ、他の誰かにいつも見つめられてきた自らの人生。
     その記憶を反芻するように、彼女は何度もICレコーダーを再生する。

     そんな時、レコーダーから突然声が響く。
    「忘れんといてな」
     それは花しすの母が、かつて不意に花しすに向けてつぶやいた一言だった——


    書評『西さん、女性器、モザイク、相俟って。泣きそうだにゃあ』
    藤田貴大(マームとジプシー)


    女性器について考え、想いを巡らせたときに、いつもぶち当たってしまう壁のようなものがあって、それはぼくが、男性だからかもしれないし、男性であるから、だから。女性器について、虚構性の高い、空想を。してしまうからかもしれなくて、だから。いつもぶち当たってしまう壁のようなものが、あるのだけれど。この壁について、どう言語化すればいいのか、わからずにいるから、だから。たぶん、男性であるから、だから。憧れもあるのだろう、女性器を見たくなるのだ。触りたくなるのだ。いやでも、だから。ここで書かれているのは。つまり、西さんの『ふる』で描かれているのは、ぼくの。いつもぶち当たる壁について、への回答であるような気がしてならない。それが過去と現在の往復で、揺さぶられ。炙り出されているから。しかも、ひょいひょいと。軽々と。言われてしまった気がして。ぽかんと、穴を開けられたような、感触があった。でもその感触も“モザイク”をかけられる。たしかに掴みかけた感触に“モザイク”を。花しすは、かけているようだった。これを受けて、ぼくは。初めてアダルトビデオを見たときのことを、思い出してみる必要があった。初めて見たアダルトビデオには、金髪の白人女性が出演していて。何故だか、それには“モザイク”が、かかっていなかった。悪い先輩たちが、もう見飽きたような、ぼろぼろのVHSが。ぼくの手元に渡り歩いてきて。それを恐る恐る、見てみると。そこには、金髪の白人女性が出演していて。何故だか、それには“モザイク”が、かかっていなかった。のだ。奇しくも、ぼくはそこで。初めて女性器を見た。あのときの動悸が忘れられない。でも、あれもだ。あれも、なんとも形容しがたい。あれ、だったんだ。すこし、ふわりと。宙に浮いてしまった。みたいな。いや、たしかに、画面のなかには、女性器が映っていて。そしてぼくの男性器は、たしかに勃起していた。でもなんだか、その、たしかである幾つかのことを。ぼくは受け入れたくないような気がしていた。あの、たしかなことから、目を背けたり。そして“モザイク”を。かけたくなったりする。あの、なんとも形容しがたい。ふわりと。宙に浮いてしまった。みたいな。それを、書こうとか。普通しないよな。それを、書こうとか。西さんはしたんだな。とうとう。と。そういや、西さんと初めてお会いして、話したとき。
    猫の性処理について話して、盛り上がったっけ。なんて。そんなことも、思い出しちゃって。だから『ふる』の最後の、くだり。祖母の性器の、くだり。ぼくは、いろんな。思い出すこと、それぞれを。過去と現在を、たしかなことにする作業と、さらにはそれに“モザイク”をかけようとする、弱さ。やら、なんやらが、相俟って。そして、そうゆう、西さんの優しさみたいなものに触れた気がして。嬉しくなってしまいました。それは、ぼくが。ぼくたちが、いま。必要としている、体温に。近いような気がしたからだ。
    「文藝」2013年春号より)

    著者コメント

    『ふる』に寄せて
    西加奈子


     数年前、なんとなく書きたいなぁ、と、ぼんやり思っていた「かたまり」のようなものがあった。たくさんの人がいて、それぞれのことをしているけれど、それを貫く、光のようなものがある。いや、光ほど儚くも輝いてもおらず、何か名づけようとすると、するりとすり抜けてしまう、何かしらの「もの」。それは私の脳内では必ず白くって、ふわふわとしている。タクシーに乗ったら後部座席に、海に行ったら波のはざまに、それはあって、必ず私たちから離れてゆかない。そういうものを書きたかった。あまりにぼんやりした気持ちだったので、「そのこと」を文字に起こすことなんて、きっと出来ないと思っていたけれど、いつも私の胸の中にあった。
     また、私の中には、もうひとつ書きたいなぁ、と思っていた別のことがあって、それは、女性器についてのことなのだった。子供を産んだり、血を流したり、男性器を受け入れたり、それは確かに私たちのものなのだけど、何故だかそれだけで意志を持っているように思ったり、かと思えば、体の中のどの部分より私たちに寄り添っているようだったりして、とても不可解、グロテスクで、傷つきやすくて、でも立派で。もちろん、女性器のことを書く、というのは難しく、あきらめていたけれど、やはりそれは、私の中に、根を下ろしていた。つまり私は、ふたつの「書きたいけれどどうすればいいかわからないもの」を、抱えていたのだ。
     一年ほど前、高野山に行く機会があったので、仏教の本を数冊読んだ。面白そうだなと思った本を乱読していると、一休宗純のあるエピソードが目についた。あるとき、川原でぼんやりしていた一休宗純が、対岸で洗濯物を洗っていた女性の、露になった女性器に向かって手を合わせたというのである。そして、こう言ったのだそうだ。

     女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む

     なんだかそのエピソードが、胸をついた。私も、女性器に手を合わせたいような気持ちだった。そしてその女性器が、自分にあるのだということに、少し震えた。
     そして、もう一冊、ある方が書いた「般若心経」の解説本に、心奪われた。
     人間というのは、自分の存在にこだわるべきではない。何故なら、「自分も他人も草木もゴミも、全体が液状にドロドロしてて、ただ偶然、ドロドロしてる中のここからここまでの部分が自分となって現れてるだけ」なのだから、と、その方は解説していだ。だから、「全部が自分であり、自分は全部の一部」なのだ、と。
     私はそのとき、自分が書きたかった「ふわふわした白いもの」のことを思い出した。「ふわふわした白いもの」は、自分たちが持っているのではなくて、自分たちこそ、その「ふわふわした白いもの」の渦中にあり、そして、守られているのではないか。やはり、少し震えた。図らずも、ふたつのことが同時に動き出したのだ。興奮した。書こう、と思った。
     書くのはもちろん、難しかった。とても難しかった。だから、最後の言葉に辿りついたときは、泣きそうになった。これを書いている自分も、大いなる何かの渦中にあるのだなぁと思って、気が遠くなり、次の瞬間、パソコンに置かれた自分の手の甲の、はっきり浮かんだ血管や、みっしり詰まった皮膚の模様を見て、また、気が遠くなった。それは、今も続いている。私はずっと、何かに感動している。自分が「生きているという状態」を、眩しい思いで、見つめているのだ。

著者

西 加奈子 (ニシ カナコ)

77年生まれ。 2004年に『あおい』でデビュー。 07年『通天閣』で織田作之助賞、 13年『ふくわらい』で河合隼雄物語賞、15年に『サラバ!』で直木賞を受賞。 他著書に『ふる』『i』『夜が明ける』等

読者の声

この本に寄せられた読者の声一覧

生きていること、出会うこと、覚えていること、忘れてしまうこと、女であること。そんなことがふわふわと漂う祝福された小説。「生きていること」への強烈な喜びがあったなぁ。そして、花しすの「優しくありたい」と「波風を立てたくない」という気持ち、それを「卑怯だ」と思う気持ちがわかる、わかる!現在と過去を行き来するお話運び、会社での同僚との会話も楽しかったです。 (うさぎ さん/49歳)

誰にでも存在するであろう心の闇。それさえも共存していく『あたたかさ』が満載な物語だと思う。 読み終わるのがもったいなすぎる後半。 いろんな事を考えました。母とか、ばあちゃんとか。前を向いていく事の大切さを改めて教えてもらった気がします。 (おざわ さん/35歳)

西先生の描く小説内の日常は、いつもどこか特徴的で、少し普通の範疇から外れたような世界に思える。今作「ふる」の主人公、花しすの勤める会社だって、AV制作会社だ。なかなかのイロモノである。
それなのにするすると読めて、しかもそれを普通じゃないと思わせる事無く物語の中にのめり込むことが出来るのは、花しすやその他の登場人物が、読み手のどこかに必ず当てはまるからだ。
誰にでもある弱さ、そしてそれを「ええねんで」と許容するおおらかさ、最後には全てを飲み込み成長することのできる可能性、そんな前向きな希望を内包した「ふる」という小説は、読後に温かくやわらかい気持ちと、少しだけさびしいような気持ちをもたらしてくれる。
それは自分より先に、花しすが何かを乗り越え、人として美しく成長したからなのかも知れない。 (yu-a さん/25歳)

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