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2015年10月の記事一覧

去る10月2日、ついに劇場版『屍者の帝国』が公開となりました。原作をすでにお読
みの方もまだの方も、ぜひ劇場でご覧になって頂けましたらと存じます。
同日、河出文庫からは、大森望責任編集『NOVA+ 屍者たちの帝国』という書き下
ろし競作アンソロジーを刊行いたしました。
これは伊藤計劃の遺した原稿(長編版『屍者の帝国』のプロローグ部分)で提示され
た世界をシェアード・ワールド的に共有しながら、第一線の作家8名が自由に短編を創
作する企画ですが、編集作業中に、長編版『屍者の帝国』の円城塔パートにより描か
れた世界観および基本方針を編集部側で「長編版『屍者の帝国』の世界の概要」とし
てまとめておきました。
「劇場版『屍者の帝国』公開記念!原作長編版の秘密。」などと大仰なタイトルを付
けましたが、ここでは、そのまとめを皆様にお目にかけようと思います。
基本的には長編版を読めば分かる事柄ですが、一部、踏み込んだ解釈も行なっていま
す。
そのような記述については、あくまで編集部側における作品の一解釈にすぎないもの
であることをあらかじめお断りしておきます。へ~そんなふうにも読めるんだ~、な
どと楽しんでもらえましたら幸甚です。
原作を読んでいない方にとっては何が書かれているのかチンプンカンプンなことかと
思いますので、今回のかわくらメルマガの内容はハズレだったなあ、と諦めてくださ
い。大変申し訳ありません。
(本稿、敬称略。以下に出てくるノンブルは文庫版のページ数)

◎基本方針
1)屍者技術の存在を除き、できるだけ史実は改変しない。
(屍者技術が世界に広がれば、現実の歴史とはかなりの乖離が生じるはずですが、それ
は無視)
2)科学技術も、屍者技術以外は、現実の19世紀末に実在したもののみを描く。
ただし、既存のフィクションから架空の技術を援用することはOK。
例:『海底二万里』の潜水艦ノーチラス号、『未來のイヴ』のロボット・ハダリー......
3)既存のフィクションから人物や技術を援用する際は、当該作と齟齬のないよう留意
する。
*プロローグ以外の『屍者の帝国』に、上記ルールに反するものがあれば、ケアレス
ミスです。
(例えば単行本の初版には、1937年完成のゴールデンゲートブリッジがありました。
文庫版では修正されています)

◎作品内の時系列
1878年6月頃 ワトソン、ウォルシンガム機関の一員に(プロローグ)
     9月15日 ワトソン、ボンベイに(第1章冒頭)
    12月1日 ワトソン、カイバル峠に(第1章、p.99)
1879年6月30日 ワトソン、日本に(第2章冒頭)
     9月23日 ワトソン、アメリカに(第3章、p.333)
     9月30日 ワトソン、帰国(第3章、p.438)
     *第3章の末尾、ロンドン塔の出来事はこの日の明朝のこと
     *ノーチラス号のお蔭で、米国東海岸から英国までの大西洋横断は驚異的な速度
     *その後、1年近く、ワトソンはボンベイ城で軟禁生活(エピローグ、
     p.492)
1880年11月26日 ワトソン、帰国(エピローグ、p.492)
1881年1月 ワトソンのもとにハダリー(=アイリーン・アドラー)来訪(エピロ
      ーグ、p.500)
     *同年1月、ワトソン、ホームズと出会う(コナン・ドイル『緋色の研究』)

◎ホームズ正典(コナン・ドイル作「シャーロック・ホームズ」もの)との関係性
*『屍者の帝国』のワトソンとホームズ正典のワトソンとは同一人物である。
*ただし青い石を頭に埋め込んだワトソンは性格が一変したため、『屍者』とホーム
ズ正典のワトソンは別人状態(p.512~513「個体としての同一性は維持している
が、最早別の人物だ」)。
*その後のワトソンは「生者と屍者の区別さえついてい」(p.513)ない。それゆ
え、そのワトソンが語る物語であるホームズ正典には、「屍者」が記述されていな
い。

◎「屍者」について
*18世紀末にヴィクター・フランケンシュタインが遺した研究記録「フランケンシュ
タイン文献群」を基に研究が重ねられ、約70年を経て(1850年前後?)「現代(19
世紀末)の屍者技術」として開花する(p.155)。労働用・軍事用としての屍者が現
在(19世紀末)のように普及したのは、ここ30年以内のこと。
*屍者の耐用年数は一般に20年といわれるが、正確なところは未知数(p.175)。30
年以上動き続けている屍者は、おそらくまだ存在していない。
*メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』は、実話を基にした創作物と一般に思
われている(p.151~)。
*とくに最初の屍者=ザ・ワンが人と同じに動き、思考し、話すことが出来たという
ことは、「おとぎ話」のように一般に思われている。
*ザ・ワンが通常の屍者と異なる理由は、彼が最初の人類=アダムであったから。p.
464で復活した花嫁は、イヴ(と第3部ラストで示唆されるが、明確には描かれていな
い)。
*死者の脳に擬似霊素を上書きすることで、「屍者」は復活する。現在の英国標準屍
者は、運動制御系の標準モデル霊素として「汎用ケンブリッジ・エンジン」をインス
トールした上で、更に「御者プラグイン」「執事プラグイン」など状況に応じたプラ
グウインをインストールされている(p.20)。優秀な屍者技術者であれば、動作を見
ただけで、その屍者が搭載しているエンジン型式などを察することも可能(p.64)。
*屍者の動作はぎこちなくゆっくりしたもので、生者そっくりに動くことはできな
い。
*その特有な歩き方は「フランケンウォーク」(p.20~21)と呼ばれる。
*なめらかな動きを実現させるために、様々な四肢制御技術の研究が進められてい
る。そのひとつが「グローバル・エントレインメント」(p.21)。グローバル・エン
トレインメントの実態は、「霊素を上書きされた生者」という禁断の技術であった
(p.170)。
*屍者は、無表情で、意思がない。
*屍者は、口を利かない(声帯の機能を有していても、なぜかしゃべれない)。
*屍者は、呼吸をしない。
*屍者は、眠らない。
*屍者は、飲食しない(詳細は不明。木の実程度ならば食べていた??動力源も不明)
*屍者は、死臭がする(屍者を身近において暮らす者も多いことから、そこまできつ
い臭いではなく、おそらくは「生者の体臭とは異なる」程度かと思われます。p.58参
照)。
*肉体が傷ついても、痛がる素振りも見せない(痛覚ももたないのでしょう)。
*血液は、黒ずんでいてねばっこい(p.102)。
*死体は男女いずれでも屍者化が可能。ただし宗教的理由で、女性の屍者化は禁止さ
れている。ワトソンが初めて女性屍者を目撃したとき衝撃を受けていた(p.60~61)
ことから考えて、英国で普通に暮らしていたら、女性屍者を目撃することはないと思
われる。ただし水面下では、女性屍者も非合法的に数多く作られている(p.337~
339)。詳細不明ながら、女性屍者が合法な国・地域もあるかもしれない。
*屍者化する死体に年齢制限があるかは不明。子供の屍者を目撃したワトソンは、女
性屍者を見たときと同様に衝撃を受けているので(p.145)、英国では子供の屍者化
は禁止されていると思われる。
*人間以外の生物を屍者化することは不可能(p.70、412~)。

◎『屍者の帝国』世界のその後
*ワトソンはどうなったのか? 単行本版・文庫版『屍者の帝国』の「プロローグ」
扉の右に掲げられた英文にヒントがある。これはコナン・ドイル著「最後の挨拶」
(時系列的にホームズ正典の最後の事件)でのホームズの発言だが、ここではワトソ
ンが記述したものとして採用されている。
引用文の冒頭で「Good old Watson!」と呼びかけられていることから、「彼の中の
昔の彼(Good old Watson)」(p.513)がついに帰還したものと推定される。
なお、「Start her up」は「馬車を走らせろ」ではなく、「彼女(=ハダリー)を起
動させろ」であるものと想像される。
*屍者技術はどうなるのか? ザ・ワンによる「作業は終了した」(p.457)こと
で、単一な菌株に混沌が生じて、次第に屍者化が不可能な世界となってゆき、何年後
か、何十年後か、何百年後かは不明ながら、いずれは屍者技術は消滅するはずであ
る。
*伊藤計劃は『屍者の帝国』を『虐殺器官』『ハーモニー』とは完全に別世界の物語
として構想していたが、もし『屍者の帝国』の世界が『虐殺器官』『ハーモニー』の
世界と繋がっていると仮定するならば、『虐殺器官』の時代までには、屍者技術は消
滅していることになる。
*その場合、『虐殺器官』における「虐殺を司る器官」とは、「暴走を引きおこすセ
キュリティ・ホール」(p.274)であり、『ハーモニー』におけるラストは、「単一
のXによって実現される意識」(p.453)なのではないか。つまり『虐殺器官』『ハー
モニー』は、円城塔の菌株理論による上書き的な読み替えもまた、可能であると考え
られる。

(編集部・伊藤靖)

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *
【関連書籍】
伊藤計劃/円城塔『屍者の帝国』(河出文庫)

大森望責任編集『書き下ろし日本SFコレクション NOVA+ 屍者たちの帝国』
(河出文庫)

【映画公式サイト】


(初出:『かわくらメルマガ』vol.84 劇場版『屍者の帝国』公開記念! 編集担当が語る、原作長編版の秘密。)
 今年1月7日にフランスで起きたシャルリー・エブド事件は覚えて
いますか。
 パリにある風刺週刊紙「シャルリー・エブド」本社を、武装したイ
スラーム過激派が襲撃し、12人を殺害した事件です。その後、「表
現の自由」をめぐり300万人規模の行進が行われるなど、国際的にも
大きな反響を呼びました。
服従』は、この事件当日に発売され、またたく間にフランス、ドイ
ツ、イタリアでベストセラーとなった小説です。2022年、フランス
にイスラーム政権が誕生し、人生に絶望している40代のフランス文
学研究者が、ある決断をする──。
 しかし、注目されたのは、内容だけではありませんでした。という
のも、著者のウエルベックは以前「イスラーム教は馬鹿げた宗教」な
どと発言したいわくつきの人物。しかも、当日「シャルリー・エブ
ド」の表紙を飾っていたのは、予言者風の装いをして「2015年、私
は歯を失う」「2022年、私はラマダンをしている」とうそぶくウエ
ルベックの戯画。おまけに、殺害された12人の中には、『経済学者
ウエルベック』の著者でウエルベックの友人でもあるベルナール・マ
リスが含まれていた......。

 こうした現実と虚構がないまぜになる感覚は、ウエルベックの小説
の醍醐味でもあります。
 本書でも、実在の政治家である右翼・国民戦線党首マリーヌ・ル・
ペンが登場し、大統領選で彼女が1位を獲得、実在しないイスラーム
同胞党の党首モアメド・ベン・アッベスが2位となり、実在する中道
勢力に支持されたベン・アッベスが大統領に就任することになりま
す。
 一見無理があるようにも思える設定ですが、フランス国内における
イスラーム人口が1割を超えるという現実や、2002年の大統領選挙
で、それまでのフランス政治の中心を担ってきた中道右派のシラクと
左派のジョスパンが争うはずが、国民戦線のジャン=マリー・ル・ペ
ン(マリーヌの父)が2位に入り、全党派がシラクを支持せざるを得
なくなったという「歴史」をふまえてみると、途端にきな臭い話に
なってきます。

服従』刊行後のいろいろな出来事については、店頭で配布している
フリーペーパーの関口涼子さんのエッセイを是非ご覧いただきたいの
ですが、刊行前の2014年には、そんなウエルベックが誘拐されると
いう設定の映画が公開されています。
THE KIDNAPPING OF MICHEL HOUELLEBECQ』(ギョーム・ニ
クルー監督)。

 なんとウエルベック自身が出演し、ジョン・ウォーターズが、
『マップ・トゥ・ザ・スターズ』や『ニンフォマニアック』とともに
2014年の大好きな映画10本に選んだと聞くと、興味をそそられる方
もいるのではないでしょうか。

 今夏出演したテレビ番組の中でウエルベックは、「自分は現代社会
の予言をしようとは思っていない。社会に感じられる恐怖を汲み取
り、それを映し出そうとするだけだ。シャルリー・エブドのように、
本と被る事件が必ず起こってしまうことについては、恐ろしいと思っ
ているし、自分はそういう運命の神のもとに位置づけられてしまった
のだとしか考えられない」と発言しています。
 ↓

 もちろん、ウエルベックの魅力はこの点にとどまりません。
 物語の構成に長けた作家で、読みはじめるとどんどんはまっていき
ます(いわゆるカタルシスはありませんが......)。
 ながらくフランス文学を主導してきたヌーヴォーロマンの伝統には
背を向け、個人や自由といった現代的価値の限界を探りつづける作家
でもあります。
 紋切型といっても良い決め台詞にも惹かれます。「男にとって愛と
は与えられた快楽に対する感謝に他ならない」なんて、たとえ登場人
物の発言だとしても、いまどきなかなか書けません。

 ウエルベックについては、今後弊社文庫で、『プラットフォーム
(10月)と『ある島の可能性』(2016年1月)も刊行予定です。是
非こちらも手に取ってみてください。

(担当編集)

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *
【関連書籍】
ミシェル・ウエルベック著 大塚桃訳 佐藤優解説 『服従

(初出:『かわくらメルマガ』vol.87「編集担当者が語る、ウエルベック『服従』」)