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編集担当者が語るの最近の記事

Twitterフォロワー数8万人超のヴィジュアル系バンドマン、煉(れん)さんが助けた
赤ちゃん猫・虎徹(こてつ)の成長記録が待望の写真集になりました。
2/23放送のテレビ、TBS系『生き物にサンキュー!!』にふたりが登場したのをご覧に
なった方も多いかもしれません。

煉さんと虎徹の出会いは昨年の夏の深夜。煉さんの自宅の庭に生後まもない赤ちゃん
猫が突然現れました。

目も開かず、へその緒のついた状態で、たった一匹で鳴いている手のひらサイズの赤
ちゃん猫を助けるため、煉さんはTwitterで「お母さんどこ行ったの?どうしようこの
子 誰か教えてくれ」とつぶやきます。そのツイートが多くの人に拡散され、生まれ
たてほやほやの赤ちゃん猫とロックなヴィジュアル系バンド男子の異色すぎるコンビ
が話題に。

バンド活動の傍ら、初めてのミルクや目が開いた様子もリアルタイムでツイートし、
一生懸命赤ちゃん猫を育てる煉さんの元には、たくさんの応援メッセージが届くよう
になりました。

猫雑誌やテレビにも出演し、甘えん坊でヤンチャな虎徹と、愛情深い煉さんのファン
になってしまう人が続出しています。

この本ではそんな生後3日の奇跡の出会いからこれまでの、煉さんの献身的な子猫育て
の様子をかわいい写真とともに紹介します。
家猫専門カメラマン・ネコグラファー(R)の前田悟志さんによる、大きく立派に成長中の
こてっちゃん撮り下ろし写真や、ファン必見の煉さん作「虎徹4コマまんが」、愛情
たっぷりの直筆メッセージも収録。
見ているだけで幸せな気持ちになれる、心温まる写真集です。

すでに本を手に取ってくださった方からは、虎徹ちゃんのかわいさはもちろんのこ
と、ふたりの心温まる関係に感動した、などのあたたかいご感想をたくさんいただい
ています。これから読んでくださる方もぜひ、ご感想をお寄せください。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *
THE BLACK SWAN 煉『煉と虎徹

THE BLACK SWAN 煉さんのtwitterアカウント

(初出:『かわくらメルマガ』vol.98 芥川賞作家・藤沢周によるもう一つの巌流島 『武蔵無常』待望の刊行!)
高嶋哲夫は、警鐘を鳴らす。首都移転の重要性を問う『首都崩壊』、大地震と津波を
予見した『M8』『TSUNAMI』、パンデミックによる首都封鎖を描いた『首都感
染』、原発の問題に切り込んだ『メルトダウン』......どの作品も極上のエンターテイ
ンメントでありながら、私たちの身体の奥深くに危機意識を刻み込む。

そんなシミュレーション&パニック小説の第一人者として名高い高嶋氏が今回私たち
に体験させてくれるのは、まさに「究極のシチュエーション」ともいうべき状況だ。

日本の脳研究の最前線を走る医師・本郷を襲った突然の自動車事故。気付けば彼は、
一条の光もない闇の中に横たわっていた。「死」という文字が、本郷の脳裏を過る。
「死んだのだ。僕は死んでいる。(中略)では僕は何だ。何なのだ。魂が病室に留
まっているとでもいうのか。」ーー一度は覚悟した「死」の現実......しかし、彼は気
付いてしまう、自らが置かれている衝撃の状況に。K大学医学部脳神経外科病棟三〇
五号室の水槽の中で、「彼」は「脳」だけとなり<生かされて>いたのだ。

医学は日進月歩の進化を遂げている。だとすれば、このシチュエーションを、誰が
「現実味がない」と言えるだろうか?
本郷の仲間であり同僚の医師たちは、「脳」を前に問い続ける。「これで果たして、
生きているといえるのか......「人間における『死』とは何なのか?」と。
これは、医学の奇跡か、それとも罪か?
生と死の境界とは? そして人間は何を持って人間と言えるのか?
「人間とは何か?」という本質的な問題に挑んだ、前代未聞の傑作がいま、誕生し
た!

* * * * *

と、いつも以上に(ある意味で)ディーブな設定ではありますが、そこは高嶋さん、
極上のエンターテインメントであり、「命」を巡る感動作となっています。

さらに言えば、舞台がほぼ「K大学医学部脳神経外科病棟三〇五号室」からの一視点
であることも、作家としての大いなる挑戦作とも言えるかと思います。

「今日、僕は、脳だけになった」という衝撃的な帯が躍る著者の新たな代表作『浮
遊』を、是非、店頭でご覧下さい!!!

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *
【関連書籍】
高嶋哲夫『浮遊

(初出:『かわくらメルマガ』vol.98 芥川賞作家・藤沢周によるもう一つの巌流島 『武蔵無常』待望の刊行!)
剣道を追い求める二人の男を描いたヒット作『武曲』。昨年行定勲演出で舞台化され
た『ブエノスアイレス午前零時』で話題の藤沢周さん。この作品で行定氏は先頃千田
是也賞も受賞しました。そんな藤沢さんの初の時代小説と言うことで、出版界は話題
騒然です。勝って、いかになる。殺して、いかになる......迷いと悔いに揺らぐ"もう一
人の武蔵"。己が殺人剣に倦みながら、剣を捨て、船の櫂を持って渡った"もう一つの
巌流島"を描き、鬼気迫る傑作です。担当編集からのメッセージをお届けします。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *

藤沢周は藤沢周平と名前が一字違いである。もちろんお二人は無関係で、藤沢周は本
名だ。この業界では、いつか藤沢周が時代小説を書くのではと言う熱い期待があっ
た。伝説の編集長寺田博氏もまた遺言のように藤沢さんにチャンバラ小説を書くよう
言い残した。藤沢さんがどのようにしてこの小説を書きあげたのかをドキュメント風
に綴ってみよう。


藤沢周は書きあぐねていた。執筆を決意してから10年近くが経っていた。あいだ
に、地元の道場で剣道を始めた。剣道小説『武曲』も書き、ヒット作になった。順調
に段位を重ね、現在四段。高段者となった。藤沢は、試行錯誤を重ねながらすでに冒
頭を書き始めてもいた。しかし、執筆はぱたっと止まったのだ。

藤沢には武蔵の怒りの声が聞こえていたのだ。「お前は許さん」。武蔵の声が絶えず
聞こえてくるのだ。藤沢はそのたびに、何度も書くのをやめようと思った。自分自身
の抱える闇、はぐれている部分と向き合うためにこれを書き始めた。けれども、それ
を武蔵に託して書いていることに対し、「俺を使って書きやがって」と武蔵が言って
いるのを感じていたのだ。

父は高名な柔道家。自身も大学まで柔道に励んだ。その藤沢が剣の道にはまったの
は、ひょんなきっかけだった。息子の付き添いで行った道場でおじいさん先生から声
をかけられ竹刀を振ってみた。すると未経験の藤沢に先生は「あなたやってたね?」
と声をかけてきた。否定すると「やったら大変なことになるよ」と勧められたのだと言
う。

その気になった藤沢は、早速防具を購入し道場に通い始める。初段になったら一年修
行期間を経て二段を取り、二年の修行期間を経て三段。三年の修行期間を経て四段ま
で、最短で来た。やはりただ者ではなかった。そんな藤沢が剣の道に感じる深みと比
例するかのように、藤沢の執筆に対する武蔵の怒りは、強くなっていった。

藤沢には一乗寺下り松で吉岡一門が頭領に立てた幼い子どもを武蔵が迷わず切り殺し
た事への怒りがあった。藤沢もまた武蔵を許せなかったのだ。武蔵は、剣をどういう
ふうに求道に転化させるかを考えていた筈だ。しかし、全然違う部分で、獣のような
悪魔のような何かが彼に剣を振るわせている。藤沢がそれを書こうとしていること
を、武蔵は嫌がっているのだ。

そんな藤沢にある日、ようやく赦しが訪れる。僧の愚独を斬り殺す場面を書いていた
ときの事だ。武蔵が斬ったのは五輪塔だと気づいた時、ようやく藤沢は武蔵の許しを
得た、と感じた。藤沢は喜びのあまり、思わず書斎を出て階段を駆け下りた。

多くの作家が語るところによれば、作家は小説を書き終えると程なくして、あれほど
生き生きしていた登場人物や作品の世界は、幻のように消え去ってしまうと言う。し
かし、今回藤沢のもとにはいまだ宮本武蔵の存在感が濃厚に残っているというのだ。
これはいかなることか。もしかすると、宮本武蔵は藤沢に、その先を書き継ぐよう
に、と伝えようとしているのかもしれない。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *
【関連書籍】
藤沢周『武蔵無常

藤沢周『ブエノスアイレス午前零時』(河出文庫)

(初出:『かわくらメルマガ』vol.98 芥川賞作家・藤沢周によるもう一つの巌流島 『武蔵無常』待望の刊行!)
今年の1月からスタートした、フジテレビの月9ドラマ「いつかこの恋を思い出して
きっと泣いてしまう」。
幼くして母親を亡くし、北海道で養父母に厳しく育てられた杉原音と、祖父と二人で
過ごしてきた福島の土地を買い戻すために上京した曽田練。東京を舞台に、彼らを中
心とした6人の若い男女が、辛い過去を抱えながらも前を向いて精一杯生きようとす
る姿を描いたラブストーリーです。

切なくて胸が締めつけられる、と、さまざまな年代の男女から注目を集める本作の脚
本を手がけたのは坂元裕二さんです。坂元さんはこれまで、フジテレビ系「東京ラブ
ストーリー」や、向田邦子賞を受賞した「わたしたちの教科書」、芸術選奨新人賞の
「それでも、生きてゆく」、橋田賞受賞の「Mother」に、日本民間放送連盟賞最優秀
の「最高の離婚」「Woman」など、視聴者の心を揺さぶる数多くの名作を世に送り出
してこられました。加害者家族と被害者家族の葛藤、シングルマザー、児童虐待な
ど、最近では社会問題を根底にした作品も多く手掛けられてきた坂元さんによる久々
の本格ラブストーリーである本作「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」
にも、若者の貧困やシビアな現実が丁寧に描かれています。

登場する男女6人は、東京という土地で、それぞれが仕事や家族、生活の中で困難に
直面し悩みや痛みを抱えて生きる中で、誰かを好きになり、失恋し、傷つきます。で
も、その誰かを好きになった思いを支えにして必死で生きる彼らの姿は眩しく、まっ
すぐで切ない思いに毎回惹き付けられてしまいます。そして彼らの発する言葉ーー坂
元さんが紡がれる美しくて芯をとらえた台詞に、思わず涙してしまうのです。

「ずっと、ずっとね、思ってたんです。わたし、いつかこの恋を思い出して、きっと
泣いてしまう。って。わたし、わたしたち今、かけがえのない時間の中にいる。二度
と戻らない時間の中にいるって。それぐらい、眩しかった。こんなこともうないか
ら、後から思い出して、眩しくて、眩しくて、泣いてしまうんだろうなって」(「第
5話」の音の台詞より)

物語はいよいよ佳境に入ってきました。放送も残すところあと2回、5年もの間音信
不通になっていた練と音との再会、すれ違う6人の恋はどうなっていくのでしょう。
そして彼ら全員に幸せは訪れるのでしょうか。

時にクスッと笑えて、時に心に深く入り込んでくる珠玉の台詞をもう一度味わえる、
本ドラマのシナリオブック第1巻(第1話~第5話までを収録)が、現在好評発売中
です。そして、3月末には、完結編となる第2巻も発売されます。文字で読むと、新
たな発見や感動が広がる、このかけがえのない物語を、みなさんに改めて味わってい
ただけたら嬉しいです。
(編集担当)

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *
【関連書籍】


【ドラマ公式サイト】


(初出:『かわくらメルマガ』vol.97 かわくらセミナー「〈日本〉を考える」第3回 講師:大澤真幸 募集開始!)
<野口日出子先生のこと>

「アジがおろせればクジラだっておろせます!」は野口先生の口ぐせ。あ、あの・・
クジラは哺乳類では、などと細かいことはいわないで。アジで魚の基本構造をしっか
り覚えれば、どんな魚にも応用できますよ、と先生はおっしゃるのです。

ある日の先生宅。私たち編集スタッフは料理教室がはじまる直前におじゃましまし
た。玄関には築地から届いた大きな発泡スチロールがいくつも積んであります。ふた
を開くと巨大なマダラが! おなかがものすごく膨れています。「鱈腹(たらふく)
の語源がわかるでしょ。ほらほら、皮に触って。深海魚だからぬめっとしてるわね。
とっても傷みやすいから気をつけて」切り身のタラしか見たことのない私たちはこの
巨大魚に大興奮。おなかに触ってみたり、でっかい口を開けてみたり。

次の箱から出てきたのは、ひえっ、このながい口ばしはなに? 1メートル以上は
あろうかというヤガラです。しかも、からだ3分の1くらいは口。「口が開くのは
先っぽの数センチだけなのよ」ほんとだ! そして、先生が敬愛される魚類学者、阿
部宗明氏編纂の魚類図鑑を開いて、お魚講座がはじまります。水族館より断然おもし
ろい!!

しかし、このでかい魚たちを、生徒のみなさん、さばくんですか?「もちろん。私の
生徒はハモもアンコウもきれいにさばきますよ」すごい・・としか言えない私たちで
した。

「まずは調理する素材をよく知ること」と先生はいつもおっしゃいます。「たとえば
魚だったら、その構造や生態などがわかれば、その魚がいちばんおいしい季節がわか
り、その魚にふさわしい調理法も理解することができます。野菜やお肉でも同じこ
と。そうやって覚えた知識は応用がきくし、決して忘れません。理由を知ることがお
料理ではとてもだいじ」

いつも探究心と好奇心に満ち、疑問に思ったらすぐに確かめる、それも、書物だけに
頼らず、現場に行って自分の五感で確かめる、これが若いころから今に至るまでの先
生の基本姿勢。築地「おさかな普及センター」の名誉館長もされていた阿部宗明氏に
ついて市場を歩き回ったり、阿部氏といっしょに漁場の見学をしたり。そうして得ら
れた食材情報は、私たちにとって目からウロコのものばかりです。

本書にはレシピに加えて、この貴重な食材情報をたくさん盛り込みました。そして、
先生の至言も随所に! 先生の言葉は、料理に役立つことはもちろん、人生の指針に
したいような名言です。(帯ウラにも先生語録を載せましたのでぜひお読みくださ
い!)

赤が大好きな先生。1年以上に及ぶ撮影中、ただの一度もグチをおっしゃることがな
かった先生。愛弟子の阿川佐和子氏曰く「笑いながら怒る」先生。100歳の弟子に
83歳の先生という奇跡のような教室が、末永くつづきますように。そして、長年の
教室の集大成である本書が、末永く読み継がれますように。                    
(編集担当)

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *
野口日出子『いま伝えたい和食

(初出:『かわくらメルマガ』vol.97 かわくらセミナー「〈日本〉を考える」第3回 講師:大澤真幸 募集開始!)
『スイッチを押すとき』は2005年に単行本が発売されて以来、累計で80万部を突破
し、デビュー作『リアル鬼ごっこ』に次ぐ著者代表作の一つです。
発表後すぐに大きな反響を呼び、映画、連続ドラマ、舞台にと、メディアミックスも
進みました。
今回、大幅改稿した河出版文庫刊行にあたり、編集担当から内容紹介をさせていただ
きます。

  *

舞台は2030年の日本。少子化による人口減少に歯止めがかからず、さらにそこへ自殺
の増加が追い打ちをかけて国力が低下し、社会問題になっていた。特に未来の日本を
担う若年層の自殺者はあとを絶たず、政府は迅速な対応を迫られる。

そんな中、事態改善の切り札として、21世紀の幕開けとともに施行されたのが「青少
年自殺抑制プロジェクト」だった。人権保護団体からの猛烈な抗議が巻き起こるが、
政府は強引にスタートさせる。名前こそ「自殺の抑制」となっているが、その実態は
逆に、特定の子供たちをあえて自殺に追い込むという戦慄のものだった。

国民の中から無作為に選ばれた子供たちの体に、スイッチひとつで心臓を停止させる
機会を埋め込み隔離。さまざまなストレスを与えることで自殺させ、その過程をモニ
ターする。その心理データを利用して、その他大勢の国民の自殺抑制に役立てるのだ
という。30年近くが経ち、プロジェクトは驚きの成果を上げていく。政府は自信を深
め、プロジェクトはさらなる続行が決定していた。

そんな中、八王子にある子供の隔離施設で監視員として働いていた南洋平は、上層部
から横浜支部への異動を命じられる。

ほとんどの子供たちが収監からわずかな期間で自殺してゆく中で、4人の子供たちが長
期間生き続けているという。横浜支部は彼らを収監する、全国でも特別な施設だっ
た。彼らの監視役に任命された洋平は、そこで17歳にまで成長した子供たちと出会っ
た。

過酷な環境にもかかわらず明るさを失わない高宮真紗美。
鋭い眼光ながら、仲間を気遣うムードメーカーの新庄亮太。
足が不自由で車椅子だが、天性の画才を持つ小暮君明。
そしてプロジェクトによって心を閉ざす池田了。

死ぬまで続く監禁にもかかわらず、子供たちは支えあいながら必死に生きている。
しかし、あえて提供される肉親や親しい人たちの「死」の報告に、4人の心は少しずつ
消耗していた。

当初は一切の感情を見せず、冷徹に「監視」に徹する洋平だったが、子供たちとの交
流が重なるうちに少しずつ変化していく。そして彼らへの「思い」が決壊した時、洋
平は大きな決心を実行に移すのだが......

親しい人たちから隔離され、生きることにどんな意味があるのか。
絶望の中、わずかに生まれた希望は、どんな結果を招くのか。
子供たちの自由、そして希望を叶えようともがく中で、洋平自身の出自に隠された、
驚愕の真実が明かされてゆく――

  *

2001年のデビューから数年、ホラー作品を精力的に執筆していた山田さんですが、
『スイッチを押すとき』以前と以後では大きくその魅力が変化していきます。

怖い話であることに変わりはないですが、それまでのスピード感あふれる魅力に比
べ、『スイッチを押すとき』では登場人物一人ひとりの個性が繊細に描かれ、ドラマ
チックな展開を支えます。葛藤の蓄積から来る感情の爆発、他人の気持ちに寄り添い
共感する様子などは、それまでの作品になかった絶妙の「間」「静寂さ」を生み出
し、結果として、多くの読者に支持される感動大作になりました。

また、文庫初収録の短篇「魔子」は、執筆自体は2010年の末であるものの、初期の魅
力を濃密に感じさせてくれる珠玉のホラー作品です。

山田悠介作品の魅力が凝縮した、新旧二つの作品を、ぜひ河出文庫『スイッチを押す
とき 他一篇』でお楽しみください!

(編集担当N)

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *
山田悠介『スイッチを押すとき 他一篇』(河出文庫)


(初出:『かわくらメルマガ』vol.95 編集担当が語る、山田悠介『スイッチを押すとき』&羽田圭介『隠し事』)
いつもメルマガを読んでくださっているみなさん、こんにちは。『昨夜のカレー、
明日のパン』(通称『カレーパン』)の担当編集です。以前、このメルマガで「通称
『カレーパン』ができるまで」と、木皿泉さんのドキュメンタリー+ドラマのDVD
ブック「『木皿泉 しあわせのカタチ DVDブック』ができるまで」をお届けしまし
た。読んでくださった方、本当にありがとうございます。本日は、文庫化記念とし
て、『カレーパン』刊行後の歩みをお届け致します。ジュンク堂書店三宮店の楠本杏
子さんから届いた、とてもあたたかい『カレーパン』の感想(後半に掲載)とともに、
お読みいただけたら嬉しいです。

小説『カレーパン』が刊行されたのは2013年4月、今から3年弱前の春のこと
でした。本作の著者、木皿泉さんは、二人でひとつの作品を作る夫婦脚本家として、
テレビドラマ「すいか」や「野ブタ。をプロデュース」「Q10」など、見ている人の
心にそっと寄り添い、赦し、ずっとそばにいてくれる名作を産み出してこられまし
た。

お二人が初めて挑戦した小説である『カレーパン』も同様。これは、7年前に夫・
一樹を25歳という若さで亡くした嫁・テツコと、一樹の父・ギフが、同じ家でとも
に暮らしながら、ゆるゆるとその死を受け入れていく物語です。テツコとギフのほか
にも、親戚や隣人、今の恋人に会社の同僚、偶然知り合った小学生など、実に多様な
人物が登場するのですが、彼らはそれぞれに何かしらの喪失を抱えて生きています。
なんとか脱して前進しようとする人もいれば、どうしてもそこから逃れられない人も
いる。そんな人々を、「それでもいいんだよ、無理して頑張らなくても大丈夫」と大
きな赦しで包み込み、そっと寄り添ってくれる、この木皿さんの処女作。発売前か
ら、「『カレーパン』と木皿さんを応援したい!」という思いを持ったさまざまな書
店さんが「木皿泉応援団」を結成してくださり、これまで木皿ドラマのファンだった
方々はもちろんのこと、木皿さんを知らない方々にも届くようにと、独自のアイデア
で店頭を盛り上げてくださいました。

結果、たくさんの方々に手に取っていただくことができたのです。刊行後、全国から
たくさんの熱のこもった感想が木皿さんのもとへ送られてきたことからも、『カレー
パン』が多くの人の心に深く深く届いたんだ、と実感しました。

それだけではありません。『カレーパン』はその後、全国の書店員さんが本気で売り
たい本を選ぶ「本屋大賞」の第2位にも輝き、ますます多くの方の手に、心に届けら
れました。その本屋大賞のパーティー会場で、全国から集まった書店員さんに囲まれ
て、手作りの『カレーパン』POP(店頭に置かれるハガキ大の宣伝用カードのこと)
を次々と手渡された木皿さんが、「ほんとうに書いてよかった」と笑顔でおっしゃ
ったあの瞬間を、私は絶対に忘れられません。

さらに、『カレーパン』はNHKのBSプレミアムで連続ドラマ化もされ(もちろ
ん、脚本は木皿さんご自身が手掛けられました!)、物語はまた違うカタチでさまざ
まな方々のもとへと羽ばたいていきました。

そんな本作『カレーパン』が、2016年1月、遂に文庫になりました。なんと、
本編の「男子会」のサイドストーリーとも言える、書き下ろし短編「ひっつき虫」を
収録! さらに巻末解説には、単行本『カレーパン』発売直前と昨年6月の2回、木
皿さん宅でインタビューをされ、お二人の作品に深く迫った作家・重松清さんにご執
筆いただいた、的確ながらとてもあたたかい木皿論も入り、自信を持ってお届けでき
る一冊に仕上がりました。人生の節目や幸せな時はもちろん、苦しく悲しい思いを抱
えた時にも、きっとずっと寄り添ってくれる作品です。暖冬とは言え、今日、都心で
も初雪を観測した寒いこの頃。木皿さんや『カレーパン』のファンの方も、まだ読ん
でないわ、という方も、ほっこりとあたたかい『カレーパン』を食べて(読んで)、
あたたまっていただければ嬉しいです。

(編集担当)

【過去のかわくらメルマガ掲載記事】

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【特別掲載】
「昨夜のカレー、明日のパンを再び読んで」
ジュンク堂書店三宮店 楠本杏子

2年半ぶりに再読し、この小説の持つ効力にハッとしました。
もちろん最初に読んだ時も、コミカルな会話とあたたかな登場人物に惹かれ、ああ良
い作品に出会ったと感じたのだけれど、今回はそれだけでない感情がむくむくと湧き
上がってきました。
最初の2ページ目のギフの台詞「人って、言葉が欲しい時あるだろう?」。この一言
が、今の私自身に驚くくらいストンと入ってきたのでした。
この小説は、主人公のテツコと亡くなった夫である一樹をめぐる人々の日常が編まれ
ています。テツコも、テツコの義父のギフも、みなその過去を胸に今を生きている。
なのに不思議と誰も湿っぽくならず、むしろ明るさまで感じるのは、著者である木皿
さんが、この小説に与えた言葉のおかげなんじゃないかなと思います。テンポ良く繰
り広げられる会話のあとで、すっと心の中に寄り添ってくれる言葉がここにある。そ
れは私たちの日常でもきっとそうで、ふとした時に誰かからもらうささやかな言葉
が、自分の心にいつまでも残り支えてくれることって、あると思うんです。そのこと
に、気づかされました。全編を通して飄々とした佇まいのギフはこんな台詞も言いま
す「人は変わってゆくんだよ。それは、とても過酷なことだと思う。でもね、でも同
時に、そのことだけが人を救ってくれるのよ」。最愛の妻を亡くし、息子を亡くした
ギフのこの言葉のように、抱えている悲しみや憂いから一歩踏み出す瞬間が描かれた
この作品に、私も今、改めて背中を押してもらったような気持ちになりました。

今ある不安を受け止めてくれるような、前に進む勇気を与えてくれるような、そんな
言葉にあふれた大切な1冊です。心が迷うことがある時に、またきっと手に取りたい
と強く思います。


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【関連書籍】
木皿泉『昨夜のカレー、明日のパン』(河出文庫)




(初出:『かわくらメルマガ』vol.92 木皿泉『昨夜のカレー、明日のパン』待望の文庫化!)
朝日・読売新聞など、各文芸時評で雑誌掲載とともに大きな話題となった村田沙耶香
さんの最高傑作『消滅世界』がいよいよ刊行されます。

先日、河出クラブにて、発売より一足早く、村田さんを囲んで読書会を催しました。
本になる前に、読者の方から感想や質問を直接いただくのは、もちろん作家にとって
も初めての経験。批評とはまた違って、読み手と作品が真っ向からぶつかりあった感
想に、大いに刺激を受けました。みなさんありがとうございました。

さて村田沙耶香さんが「書きたかったことを全て入れた」とその折にも話していた
『消滅世界』は、第二次世界大戦をきっかけに、人工授精が飛躍的に発達した、もう
一つの現代日本(パラレルワールド)を描いています。

人工授精がセックスに代わり、快楽と生殖が分離した世界ーそこでは人々は、結婚後
も変わらず恋人をつくりキャラに恋をし、一方で"家族"からはセックスが徹底的に排
除され、夫婦間のセックスは"近親相姦"と見なされています。
《セックスが消えてゆく世界......》

そんな世界で、主人公・雨音は、父と母の〈交尾〉で生まれたことを、幼い頃、母か
ら知らされます。

「雨音ちゃんも、いつか好きな人と愛し合って、結婚して、子供を産むのよ。お父さ
んとお母さんみたいに」。

母親に繰り返し呪いのような言葉を聞かされて育った雨音は、自分の発情は正常であ
ることを確認したい衝動から、恋人やキャラを求め続けます。恋をしたら身体を繋げ
ずにはいられない雨音に、セックスは過去の遺物と思っていた恋人たちは、次々と彼
女から離れていきます。

やがて婚活パーティーで朔と知り合った雨音は、彼と結婚します。夫とは清潔で無菌
な家庭を築き、外では恋人とデートを重ねる人並みの生活に、自分の正常さ・正しさ
を証明したかに見えた雨音。

しかし夫の朔は、彼の恋人とのトラブルをきっかけに、「千葉にある実験都市・楽園
(エデン)へ移り住むことを雨音に提案します。「恋のない世界へ、二人で逃げよ
う」と。
《恋愛も消えてゆく世界......》

実験都市では家族(ファミリー)システムではない、世界初の新たな繁殖システムが
導入され、選ばれた住民は男女を問わず、12月24日に一斉に人工授精を受けることに
なっていました。男性も人工子宮によって妊娠の可能性が試みられていたのです。
《家族も消えてゆく世界......》

実験都市・楽園(エデン)で、はたして雨音が目にしたものとは !?

セックス、恋愛、家族......本能に根ざした揺るぎないはずのものが、次々に消えてい
く世界。そう、もしかしたらこの『消滅世界』は、"日本の未来"であるとともに、私
たちが知らないだけで、既に"日本の今"なのかもしれないのです。村田沙耶香さんが
予見する、恐るべき世界のリアルを、ぜひ皆さんの目で確かめてください。

(担当編集T)
*  *  *  *  *  *  *  *  *  *
村田沙耶香『消滅世界


(初出:『かわくらメルマガ』vol.90 村田沙耶香『消滅世界』が発売!)
【社長メッセージ】
 
かわくら会員の皆さん、はじめまして。河出書房新社の社長をしております小野寺優
と申します。日頃は小社刊行物をご愛読いただき、またこの「河出クラブ」を通じて
小社に興味をもっていただき、心から御礼を申し上げます。

おかげさまで第52回を迎えた本年度文藝賞は、畠山丑雄著『地の底の記憶』、山下紘
加著『ドール』という二つの作品を受賞作とすることが出来、このたび単行本として
刊行することとなりました。この二つの作品が読者の皆さんにどのように受け入れら
れるか、この二つの新しい才能がこれからどのように成長してゆくか、今から本当に
楽しみです。

さて、小社は来年、創業130周年を迎えますが、その間、昭和37年にスタートしたこ
の文藝賞は常に小社の活動の中心にありました。それは恐らく過去も、そして今日に
おいても「新たな才能に出会う」ことほど、私たち出版社にとってワクワクし、その
意義を実感出来る仕事はなかなかないからではないかと思います。そしてそれは、読
者にとってもまた、最も楽しく、豊かな読書体験である、と私たちは思ってきまし
た。

しかし近年、その様相はずいぶん変わってきてしまったように思います。率直に申し
上げて、現在の出版界において新人作家を世に送り出す、というのはなかなか難しい
ことです。これから新たな受賞作を世に送り出そうという時にこのようなことを書く
のはおかしな話かもしれませんが、ここ数年各社の新人賞を見ても、その作家がいき
なりブレイクし、受賞作がベストセラーになる、ということは非常に稀有なこととな
りました。これは「売れなくて辛い」と出版社の愚痴を申し上げているのではありま
せん。「知らない作家の作品に触れてみたい」という、いわば読者の好奇心が薄れて
きていることに危機感を覚えているのです。

前述した通り、読書を趣味とするならば、「知らない才能に出会う」というのは、
もっとも豊かで楽しい経験のはずだと私たちは信じてきました。自分の感覚ひとつを
頼りに、知らない作家の本を買い、読んでみて「当たったぁ」とか時には「外れ
たぁ」などと一喜一憂し、友人に「あれ読んだ?」などと自慢する。時には作品をめ
ぐる解釈を闘わせる。そんな経験が、かわくら会員の皆さんならばあるのではないで
しょうか。それが当たりにせよ、外れにせよ、そういった経験を通じて私たちは自分
の好みを知り、自分なりの本の選び方を覚えていった。そして時には自分だけの傑作
を見つけ、気がつくとそれがうねりとなって、次の時代を担う作家が育っていった。
それがこれまでの流れだったように思います。

しかしながら、近年の傾向を見ていますと、「失敗したくない」、「話題に遅れたく
ない」という思いが強くなったためか、多くの情報が手軽に入手出来るようになった
ためか、人々は自分の感覚ではなく、ネット書店のレビューの星の数とかランキン
グ、つまりは他人の評価ばかりを頼りに本を買うようになってしまった。言わばそれ
は「多数決による読書」です。結果、大ベストセラーは生まれるけれども、それ以外
はサッパリ、という極端な二極化が生まれつつあります。無論、誰も失敗したいと思
う人はいませんが、だからと言って新しいものに手を出さない、というのは読書を
「文化」だとするならば、それはあまりに薄っぺらで、貧弱なもののように思えてな
りません。

いま、私たちはそんな「多数決による読書」から「個で選ぶ、個のための読書」を取
り戻す必要があるのではないでしょうか。そもそも、他人が5つ星をつけた本が自分
にとって5つ星かどうかなんて、全くわからないのですから。

その観点から申し上げると、今回の受賞作二作がすべての皆さんにとって5つ星かど
うかはわかりません。しかし、少なくとも私たちは、賛否両論、侃々諤々意見を闘わ
せるに値する、とても個性的で、新たな魅力にあふれた作品を送り出すことが出来
た、と自負しておりますし、大変嬉しく思っております。

ですから、勝手ながら皆さんにお願いを申し上げます。単行本でも、雑誌「文藝
2015冬季号」でも結構です。どうか、ご自身の目でこの二作品をお読みいただき、
ご感想を小社H.Pからお寄せいただけないでしょうか。そして、もし「お、これは
面白い」と思ってくださったならば、まさにここから飛び立ってゆこうとしている
二つの才能をご支援いただきたいと思います。

前述しました通り、おかげさまで来年、小社は創業130周年を迎えます。私たちはこ
れからも「新しい才能を世に送り出すこと」を大切に、そして皆さんに「こんな知ら
ない世界があったんだ」と思っていただける本を刊行することを目標に、ゆっくりと
歩を進めてゆきたいと思っております。どうか今後とも小社刊行物にご注目くださ
い。

いつか、どこかのかわくらイベント会場で、そして東京国際ブックフェアの小社ブー
スで、皆さんとお目にかかる日を心より楽しみにいたしております。

河出書房新社
代表取締役社長 小野寺 優


*  *  *  *  *  *  *  *  *  *

【編集担当者が語る、第52回文藝賞】

去る10月29日(木)、第52回文藝賞贈呈式が山の上ホテルで行われました。
私事ですが、私は昨年、書籍編集部から文芸誌「文藝」編集部へ配属となりましたの
で、この「文藝賞」の一次選考から最終選考まで通して経験したのは、今回が初め
て。

賞の応募締切りは3月末日(消印有効)、届いた原稿は1700通強。そこから 4度の
予選を経て、最終候補4作まで絞ったところで、選考委員の方々(藤沢周氏、保坂和
志氏、星野智幸氏、山田詠美氏)による選考会へとたどり着きます。

今年の受賞作は、山下紘加『ドール』と畠山丑雄『地の底の記憶』の2作。
少年の「闇」と「性」への衝動を精緻な筆力で描いた『ドール』と、架空の土地を舞
台に100年の愛の狂気を壮大なスケールで描く『地の底の記憶』は、どちらも新人離
れした力作です。

贈呈式当日、壇上に立つ山下さん畠山さんの晴れの御姿を眺めながら、ここまでの道
のりを思い返し、舞台の袖で涙しました。......だって、新人賞を選ぶことが、こんな
に大変だとは予想もしてなかったんです! 現場を知らないうちは、正直、なんとな
くのイメージで、サラサラッと冒頭読めばその小説の良し悪しがわかるんでしょ? 
くらいに思っていました。舐めてました、とんでもない誤解でした。

一行目から何が書いてあるのかさーーーっぱり訳がわからない原稿も、仕掛けなので
はないか、なんかあるんじゃないかと読み進める、いや、読むべきなのが小説の新人
賞なんですね。しかも、応募作には特有の熱量があるといいますか、ひとつひとつに
並々ならぬ気合(念?)が籠っていますので、4、5作も読めばそのパワーにぐった
り、それが150日以上続きます。考えると当たり前です、小説の良し悪しなんて、そ
うそう簡単にわかるもんじゃない。選考とは、お前らにわかってたまるか、いや、わ
かってみせる、という応募作と選考側とのせめぎ合いなのでしょう、おそらく。

選考過程については非公開ゆえ、これ以上書くと編集長に叱られるので控えますが、
とにかく、この一年を経て、新人賞の選考とは非常に重大な責任が伴うものだと心し
た次第です。
受賞作の2作は、もちろん、どちらもぜひ皆さまに読んでいただきたい、新しい才能
です。ぜひページをめくっていただければ幸いです。

そして、次の53回文藝賞の締め切りもあと数ヶ月後に迫ってきました。新選考委員
は、斎藤美奈子氏、町田康氏、藤沢周氏、保坂和志氏です。
また全身全霊を込めて私どもが読みます。皆さまの作品をお待ちしております。

(「文藝」編集部M)

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【関連書籍】
山下紘加『ドール

畠山丑雄『地の底の記憶




(初出:『かわくらメルマガ』vol.89 文藝賞受賞作発売記念特集号)
はじめての小説『昨夜のカレー、明日のパン』が本屋大賞第2位に輝き、自身の脚本
でテレビドラマ化もされた、夫婦脚本家・木皿泉さん。夫婦で1つのペンネームを使
い、二人で1つの作品を紡ぎだす、その特異な創作の秘密と夫婦の日常に迫った、伝
説的なドキュメンタリー「しあわせのカタチ」のDVDに、「いま」のお二人に迫る特
製ブックがセットになった、『木皿泉~しあわせのカタチ~DVDブック』がまもなく
刊行されます。今号はその編集担当による裏話をお届けします。

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◎経験や体験を超える、木皿さんの言葉が持つ寄り添う力
編集部 中山真祐子
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いつもメルマガを読んでくださっているみなさん、ありがとうございます。
テレビドラマ「すいか」や「野ブタ。をプロデュース」「Q10」などで知られ、初
めての小説『昨夜のカレー、明日のパン』では本屋大賞第2位に輝いた、夫婦脚本
家・木皿泉さんの担当編集です。

ご存知の方も多いかもしれませんが、「木皿泉」は、夫の和泉努さん、妻の妻鹿年季
子さんのお二人による、共同ペンネームで、もう20年以上も一緒にひとつの作品を
創作されてきました。そんなお二人ですが、いわゆる脚光を浴びたのはそんなに昔の
ことではありません。ご記憶の方もいらっしゃるでしょう、2003年夏に放送され
たテレビドラマ「すいか」。この作品で2004年に向田邦子賞を受賞され、一躍有
名になられたのですが、今から考えると、それはほんの12年ほど前のことなので
す。そして、いよいよこれから、という同年10月のある夜、トムちゃんこと和泉さ
んが脳内出血で本当に突然、倒れてしまいました。できてしまった血腫はあまりにも
大きく、深夜2時、7時間を超える緊急手術が行われました。ご存知の通り、和泉さ
んは無事、生還したのですが、左半身は麻痺、要介護の状態となり、ときちゃんこと
妻鹿さんによる献身的な介護の日々が始まったのです。

そんなお二人に密着し、夫婦の創作の裏側と生活の日々に迫ろうとしたのが、ギャラ
クシー賞も受賞した伝説的なドキュメンタリー「しあわせのカタチ~脚本家・木皿泉
 "創作"の世界~」です(NHK BSプレミアム、2011年)。手がけたテレビドラマの数
も少なく、メディアへもほとんど登場しなかった木皿さんのファンの中には、「木皿
泉」が夫婦の共同ペンネームであることを知らなかった方も多勢いらしたでしょう。
ほとんどベールに包まれていたその正体を、創作の裏側だけでなく、お二人の日常生
活まで赤裸々に描き出したこのドキュメンタリーに、熱狂的なファンは大変驚いたこ
とと思います。もちろん、私もその一人でした。当時、すでに前担当から木皿さんの
編集担当を引き継いでいた私は、お二人からこのドキュメンタリーが放送されること
を聞き、当日テレビの前で楽しみに放送を待っていました。そして放送が始まったそ
の画面には、木皿さんたちがいつもと変わらない様子で映っていました。自宅で介護
される和泉さんも、それを見守り、時に和泉さんを守ろうと闘う妻鹿さんも、本当に
ありのままでした。お互いを必要とし、お互いを大切に思い、お互いを尊重し、そし
てなにより二人で暮らしているのが楽しくてしかたがない、という様子のご夫婦。見
ているだけで何かこみ上げてくるものがあって、気づくと瞬きすることも忘れて、テ
レビにかじりついていました。

きっと、同じようにご覧になった方も多いと思います。現に、私のまわりには、この
番組を録画して何度も何度も見ている、という方が何人もいます。中には、人生で
迷ったとき、悩んだときにこそ見て、大切な何かをもらうのだ、という方もいまし
た。それくらい、この番組には真実があって(裏を返せば真実しかなくて)、見てい
る人にもう一度「自分が本当に大切にしていること、大切にしたいこと」を思い起こ
させてくれる力があるのだと思います。

そんな素晴らしい番組ですが、再放送された回数はとても少なく、特に最近木皿ファ
ンになった方々の中にはご覧になれていない方も多いと思います。見たいのに、見ら
れない。そんな声にこたえようとしたのが、今回のDVDブック企画でした。NHKエン
タープライズの方から、「あの番組をDVDブックにしませんか?」とお電話をいただ
いた時から、すべてが始まりました。まさかあの番組がDVDになるなんて、しかも特
製ブックを自分が編集できるなんて。こんな幸せなことはない、と思ったあの瞬間の
ことは絶対に忘れられません。

そうやってスタートしたこの企画、何か特典を付けたいね、という話になり、DVDの
方は、番組のディレクター(監督)である茂原雄二さんのご協力のもと、放送から4
年後の「しあわせのカタチ」として、お二人の特典映像、さらにお二人と茂原監督が
番組を見返す模様を収録した副音声を付けられることになりました。

そして、肝心の特製ブック部分。「しあわせのカタチ」を補い、さらに飛躍させるた
めには、一体どんな内容のブックがいいだろう。「しあわせのカタチ」を改めて見返
しながら、ひとつひとつ、入れたい内容を書き留めていったのですが、中でもどうし
ても入れたかったものがひとつ、あります。それが、和泉さんが脳内出血で倒れたと
きに、妻鹿さんが付けていた闘病日記の全文です。この日記、番組では少しだけ紹介
されているのですが、もっと膨大な量がありそうだという感じがしました。チラッと
映っただけでも伝わってくるのは、妻鹿さんが紡いだ生の言葉。それは決して派手な
言葉ではありませんが、だからこそダイレクトに胸を打ちました。「この日記、他に
は何が書かれているんだろう? もっと読みたい」そう強く思い、木皿さんに闘病日
記全文を掲載させて頂きたい、とお願いしたのが6月頭のこと。即答で「いいよ!」
とOKを頂けて喜んだのも束の間、数日経ったある日、木皿さんから「日記が見つから
ない」と連絡が入ります。「トムちゃんが回復したら見せてあげようと思ってつけた
日記だったから、走り書きしたノートの最初の方だけ、清書をしたんだけど、その清
書しか見つからないのよ。どこかにはあると思うんだけど......」せっかく掲載できる
と思ったのに。目の前が真っ暗になるとはこういうことか、というほど落ち込んでし
まいましたが、見つからなかった場合、その清書だけでも掲載しよう、とお話しし
て、涙を飲んだのです。そして日記全文が見つかることをひたすら祈っていました
が、待てど暮らせど出てくる気配はなく、もうだめか、と諦めかけて1ヵ月ほど経っ
たある日。出てきた!という朗報とともに、そのノートがやってきたのです。

ノートが出てきたのにも実はエピソードがあります。トムちゃんが倒れたその頃、木
皿さんがレギュラーで書いていらしたラジオドラマ番組で「ON THE WAY COMEDY
道草」というものがあります。約8分のドラマを月曜から木曜まで毎日放送してその
1週間(全4回)を通して1つのシリーズになる、という2001年から2008年
まで続いた番組です。この「道草」、もとはと言えば、1998年にCSチャンネルで
放送された木皿さん作の「くらげが眠るまで」というシットコムを見たある広告代理
店の方が、こんな番組をラジオでやりたい、と企画して木皿さんに打診したというの
がはじまりだったのだそうです(木皿さんが脚本を担当した「道草」作品について
は、河出文庫で全4冊を刊行させて頂いています。木皿さんの作品のエッセンスがつ
まったものばかりです。ご興味のある方はぜひご覧頂ければ嬉しいです)。そして木
皿さんは、和泉さんが倒れたあとの大変な日々の中でも、この「道草」の脚本だけは
やめずに続けました。そんな日々を知っている前述の担当の方が木皿さんのお宅にお
邪魔していたある日、ポロッと闘病日記がどこからか転がってきたのだそうです。当
時もお見舞いに駆けつけ、担当医を拝んでいた、などと日記に何度も登場するこの担
当さん。そんな日々を読むことができるのも、彼のおかげだ、と感謝してもしきれま
せん。

さて、闘病日記の話に戻ります。この日記は、和泉さんが倒れた10月15日から1
1月15日までの一ヵ月間の記録です。和泉さんが回復したとき、きっと当時のこと
を知りたいだろうから、とつけられたものなので、和泉さんが読むことだけを前提に
書かれていました。その日のできごとや会った人、食べたごはんの内容など、和泉さ
んに関係あることはもちろん、関係のないことも含めて淡々と綴られているのです
が、そのシンプルさこそがとてもリアルなのです。過剰な言葉はひとつもなく、すべ
てが、出来事も感情も含めて、ありのままに記録されているだけなのに、それが痛い
ほど胸に迫ります。和泉さんが倒れた日の夜中、長い手術を待つ間にこんな文章が綴
られています。

「生きていてくれさえすれば絶対に幸せになれると確信する。2人の幸せに暮らす様
子が頭に浮かぶ。こんな時に、幸せなシーンが、こんなにリアルに見えるとは、自分
でも驚く。(中略)私はトムちゃんとどんな形であれ、また一緒に暮らしたい。そし
て、一緒に仕事をしたい。私にとって人生は、それだけだ。それが一番やりたかった
ことだ。」

二人の闘病の日々と同じような経験をされた方はそんなにたくさんはいらっしゃらな
いでしょう。私も経験したことはありません。ですが、この日記を読んで木皿さんの
日々を追体験すると、種類は違うけれど、何か自分にも同じように深く傷ついたこと
があったのではなかったか、どこかしら似た体験をしたことがあったのではなかった
かと気づくような気がするのです。そして、木皿さんの言葉に触れることで、その辛
かった思いや経験を解放できるような気がします。それくらい、日記に綴られた木皿
さんの言葉には、誰に対してもそっと寄り添う力があります。ここに書かれているの
は、木皿さんの個人的な体験ですが、ここから得られるものは、誰に対しても開かれ
ているのだと思います。

この日記、日を追うごとに文章が短くなって、突然プツンと終わるのですが、それこ
そ、和泉さんが回復してきた証拠だなぁと感じます。今回の日記掲載にあたって、プ
ツンと終わってしまったその後の日々のことを、木皿さんが追記として書いてくださ
いました。日記に登場する人々がどうなったか、などもわかって、なんだか光がさし
ているような追記、ぜひ、あわせてご覧いただきたいです。

闘病日記の他にも、妻鹿さんがシナリオライターとしてデビューした幻のラジオドラ
マシナリオ「ぼくのスカート」や、「しあわせのカタチ」のために作られ、放送され
た番組内ドラマ「世の中を忘れたやうな蚊帳の中」のシナリオ、そのドラマの核
(テーマ)となるものだと和泉さんが示した寺田寅彦の短い文章、そして今の二人の
生活に密着したフォトアルバムなど、お宝が満載の一冊に仕上がりました。珠玉のド
キュメンタリーとともにみなさんに楽しんでいただけたなら、これほど幸せなことは
ありません。

(初出:『かわくらメルマガ』vol.87「編集担当者が語る、『木皿泉~しあわせのカタチ~DVDブック』ができるまで」)