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発売になったばかりのミラン・クンデラ『無意味の祝祭』。
こちらはフランスで数十万部突破し、30ヶ国で翻訳されているベストセラーとなって
います。
今回は、本書の翻訳者、西永良成さんの解説をお届けします。

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ミラン・クンデラ『無意味の祝祭』解説          西永良成  
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(この解説は、本来は『無意味の祝祭』巻末に掲載すべき内容ですが、著者クンデラ
氏がご自身の小説には本文以外の要素をつけることを認めない方針をとられているた
め、メールマガジンの形でお届けいたします──編集部)

 この二〇一五年四月には満八十六歳になるミラン・クンデラが、亡命者の祖国帰還
の現実的な困難という歴史的主題を扱った小説『無知』(二〇〇三年)を出版してか
ら十年過ぎて、ようやく新作『無意味の祝祭』を発表した。この間、新しい評論集こ
そ二〇〇九年に『出会い』を刊行(邦訳二〇一二年河出書房新社刊)したものの、か
ねてからみずからの作品の総決算ともなりうる最後の創作を準備し、それが一種の
「阿呆劇」になるだろうと周囲に漏らしていた。私も二〇〇九年十二月のパリで、彼
自身の口からこの作品が一応完成したとこっそり打ち明けられて以来、その刊行を
ずっと心待ちにしていた。ただし、もしかするとそれを死後出版にするつもりではな
いかという多少の危惧があったのも事実だが。ところが図らずも、彼の作品が二〇一
一年にガリマール社の権威あるプレイヤード叢書(全二巻)に収められることになり
(生存中にこの栄誉に浴するのは異例中の異例)、そのための準備や配慮もあったの
だろう、久しぶりのいたって反時代的で挑発的な阿呆劇形式のこの小説は、一昨年秋
にまずイタリアで出版された。そのあと昨年春になってようやくフランスで刊行さ
れ、たちまち大評判になって何度も大増刷されて、新聞・雑誌の書評や特集でも派手
に扱われた。その邦訳が本書である。ただ、著者が一旦書き終えたこの作品を生前の
出版を意図して再度取りあげ、仕上げたのは二〇一三年以後にちがいない。なぜな
ら、この新作の冒頭から出てくるリュクサンブール美術館のシャガール展は、同年二
月二十一日から七月二十一日の期間だったからである。


 クンデラがみずからの作品の総決算を意図して執筆した「阿呆劇」とは、もともと
フランス十五-六世紀に流行した世俗演劇で、段だら縞の道化服をつけた阿呆たちが
登場し、不真面目で無責任な社会諷刺をさんざんおこなってみせる茶番狂言のことで
ある(その対極にあったのが徹頭徹尾真面目な〈教会〉の「聖史劇」)。では、なぜ
彼はあえて、たぶん最後になる作品を、小説らしいストーリーがほとんどなく、もっ
ぱら登場人物たちの無責任な雑談と放言に随時作者の奇抜で奔放な想像が入りまじ
る、軽快な「阿呆劇」にしたのだろうか。

 現代作家が自作の小説を「阿呆劇」と銘打つ前例として、アンドレ・ジッドが『狭
き門』などの真面目な「物語」とは対照的な、『法王庁の抜け穴』など意図的に戯
け、皮肉で、パロディー的な作品を「阿呆劇」として区別していたことを、むろんク
ンデラは知っていた。だが前例というなら、二十世紀後半の冷戦時代の苛酷な歴史と
二十一世紀初頭の「グローバル化=画一化」された社会風俗を快活で滑稽な戯画にし
てみせたこの作品は、第一次世界大戦の戦時体制と軍隊生活を徹底して喜劇に仕立て
た『兵士シュヴェイクの冒険』のヤロスラフ・ハシェクのことを思い出させる。この
チェコ文学の大先輩は、クンデラの文学的形成と感性に決定的な影響をあたえた作家
だからである。

 前例、影響云々はともかく、彼自身が常々真面目な意味や主張が不在の、遊戯的で
不真面目な小説を書くのを夢みていたことは、すでに第一評論集『小説の技法』(一
九八六年)第三部のなかで演劇のヴォードヴィル形式に基づく小説『別れのワルツ』
(一九七八年)について解説して、たとえば「人間はこの地上で生きるに値するのだ
ろうか?」、「地球を人間の牙から解放すべきではないか?」といったような、「問
いかけの極端な深刻さと形式の極端な軽さとを結びつけることが、私の長年の野心で
した。しかもこれは純粋に芸術的な野心ではありません。軽薄な形式と深刻な主題を
結びつけることで、私たちのドラマ(私たちのベッドで起こるドラマと同じく、〈歴
史〉の大舞台で演じられるドラマ)がその恐るべき無意味さのなかで暴かれるので
す」と述べていた通りである。

 さらに彼がフランス語で最初に書いた小説『緩やかさ』(一九九五年)の第二十六
章にも、作者が妻のヴェラに、「あなたはよく、いつか、真面目な言葉がひとつとし
てないような小説を書きたいと言っていたわね、『きみを喜ばせる大いなる愚行』と
かなんとかいって・・・あなたは真面目だったからこれまでは無事だったのよ。真面
目さをなくすと、あなたは狼たちのまえに丸裸で立つことになるわ」と警告させる、
暗示的な場面もあった。


『無意味の祝祭』のクンデラはおそらく、八十五歳を過ぎた今になって、やっとなん
の懸念もなく、かねてからの念願通り徹底的に不真面目になり、ユーモアの感覚を欠
いた「狼たち」(ラブレーが嫌悪してやまなかった「苦虫族」)、本書の作者の言い
方では「真実の下僕たち」)の大群のまえに丸裸で立ってみることが許されると思っ
たのだろう。だが、音楽で言うフーガの技法を存分に駆使したこの小説的笑劇が顰蹙
や敵意でなく、こんな讃辞によって迎えられたのはやや意外だったかもしれない。

「なんという本か! 読者を哄笑させると同時に喉を締めつけさせるという、二重の
意味にとれる、なんという言語か! クンデラはカーテンを引き裂き、あからさまに
戯けてみせる技倆をなにひとつ失っていない」(マルク・フュマロリ、《フィガロ・
リテレール》誌)

「人の意を迎える配慮、ましてや人を説得する義務などから解放されたクンデラは、
フランス語を明るく歌わせることで大いに楽しんでいる。これこそまさに笑いと忘却
の書だ」(ジェローム・ギャルサン、《ル・ヌヴェル・オプセルヴァトゥール》誌)

「登場人物たちは『みな上機嫌を求めている』が、クンデラもまた、まるで礼儀によ
うに、じぶんの上機嫌さを振りまいている。この時代がユーモアの感覚をなくしてし
まったとしたら、どうしようもない。『冗談』の作者はみずから楽しみつつ、読者に
知性の祝祭をもたらす。さらに高く飛ぶために軽さを装った小説だと言える」(ラ
ファエル・レリス、《ル・モンド》紙)


 フランスでの評判はざっと以上のようなものだったが、いずれにしろ一九二九年の
エイプリル・フールの日に、ハチェクの同国人としてチェコスロヴァキアのモラヴィ
ア地方ブルノで生まれ、七五年にフランスに亡命、八一年にフランスに帰化し、『冗
談』(一九六七年、邦訳岩波文庫二〇一四年刊)や『存在の耐えられない軽さ』(一
九八四年、邦訳河出書房新社二〇〇八年刊「池澤夏樹=個人編集世界文学全集I-03)
によって世界的な小説家になった作家の「最晩年のスタイル」としては、読み方に
よってかなり際どく厭世的に感じられるものの、このような軽妙な阿呆劇以外には考
えられなかったのかもしれない。

    二〇一五年一月

*   *   *   *   *   *  
ミラン・クンデラ 著 西永良成 訳『無意味の祝祭

ミラン・クンデラ 著 西永良成 訳『出会い

ミラン・クンデラ 著 西永良成 訳『存在の耐えられない軽さ
(池澤夏樹=個人編集 世界文学全集)

(初出:『かわくらメルマガ』vol.71 2015/4/3)
アザラシやペンギン、クジラ、マンボウといった野生動物の体に小型カメラや加速度
計などの記録機器を付け、その生態を調べる研究手法「バイオロギング」。
近年、大きな注目を集めるこの手法によって、アホウドリは46日間で世界一周するこ
と、クロマグロは太平洋の端から端まで横断しまた戻ってくることなど、人間の想像
を超えた世界でダイナミックかつ自由に振る舞う動物たち本来の姿がわかってきたそ
うです。
この研究で注目される国立極地研究所の生物学者・渡辺佑基さんに、初の単著『ペン
ギンが教えてくれた物理のはなし』の刊行を記念して、特別寄稿していただきまし
た。
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『ペンギンが教えてくれた物理のはなし』刊行に寄せて
渡辺佑基

皆さん、こんにちは。ペンギン、アザラシ、魚などの海洋動物を研究しています、渡
辺佑基と申します。このたび、私の研究やフィールドワークの経験をまとめた本が完
成しました。
海洋動物の動きは驚くくらいにダイナミックです。マグロは太平洋を横断してまた
戻ってきますし、アザラシは一時間も息をとめられます。なぜそんなことができるの
かという素朴な疑問からスタートして、進化の不思議を解き明かしていこうというの
が本書の狙いです。生物学というとどうしても、実験室で顕微鏡を覗いているイメー
ジが強いですが、こちらは電気や水さえ満足に使えない、大自然のフィールドから発
信する生物学です。
私は著者であるより先に、ポピュラーサイエンス本のいちファンです。だから以前よ
り、もし自分自身が著者になったあかつきには「こういうものを作りたい」という理
想像が、具体的にありました。それは研究例を羅列するのではなく、一本のストー
リーに沿ってするすると読める、楽しいものに仕上げることです。
この目的はそれなりに達成できたと自負しておりますので、どうぞ一度手に取ってご
覧ください。
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★河出ブックス『ペンギンが教えてくれた物理のはなし』渡辺佑基●1400円

■著者プロフィール
渡辺 佑基 (ワタナベ ユウキ)
1978年生まれ。国立極地研究所生物圏研究グループ助教。極域に生息する大型捕食動
物の生態を研究。東京大学総長賞、山崎賞を受賞。科学誌『Nature』でその研究が紹
介される等、世界の注目を集めている。

(初出:『かわくらメルマガ』vol.42 2014/4/10)
仙田学『盗まれた遺書』について、意外なかたからコメントをいただきました。

 これは仙田学の最初の小説集である。デビュー十二年目にして、五篇の中短篇がよ
うやく単行本というかたちにまとめられ、多くの読者に届けられることとなった。
「授賞パーティーで会いたくない」
「帰国子女か、極端に友達が少ないか」
「性別不明」
 「中国の拷問」が受賞することとなった、第十九回早稲田文学新人賞の選考座談会
では、作品についてだけではなく作者の人物像についても、議論は紛糾した。
 蒸発と女装が趣味であると公言してはばからない作者は、女装姿で「早稲田文学」
誌の表紙を飾ったこともある。とことん掴みどころのないエキセントリックな作者、
というようなイメージを抜きに読み進めていったとしても、掴みどころのなさは縮減
されるどころか、むしろ増大していくだろう。
 そもそもタイトルが『盗まれた遺書』である。もしもこれが『遺書』だったなら、
太宰治が『晩年』について「考える葦」で書いているように、「これは私の最初の小
説集なのです。もう、これが、私の唯一の遺著になるだろうと思いましたから、題
も、『遺書』として置いたのです」などと作者はうそぶき、鬼面人を驚かすこともで
きただろう。ところがこの遺書はすでに盗まれている。ここにはないということだ。
「作者の盗まれた遺書のようなものですこの小説は」などという比喩が成り立たない
ように、この小説を構成する言葉の消失点として特定の作者を想定することはじっさ
い難しい。そんな小説である。
 といって、まるで自分のことが書かれている、というように読むことはさらに難し
い。「肉の恋」の肉にハマる少女、「乳に渇く」のおっぱいを飼育する男、「ストリ
チア」の蛸人間......いずれもこのうえなく感情移入しづらい人物が続出する。
 「私」から抜け出し、誰かにもなりきれないまま、消失点を欠いた風景のなかをい
つ果てるともなくさまよい続けなければならない。それは私が過去の小説に教えられ
てきた読書経験そのものである。
「もう、これで、しつれいいたします。私はいま、とっても面白い小説を書きかけて
いるので、なかば上の空で、対談していました。おゆるし下さい」
                                仙田学

映画監督の中島良さんが、『盗まれた遺書』のPVを作ってくださいました。すばら
しい映像です!!

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★『盗まれた遺書』仙田学●1600円

■著者プロフィール
仙田 学 (センダ マナブ)
1975年生まれ。京都府出身。2002年「中国の拷問」で第19回早稲田文学新人賞を受
賞しデビュー。
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発売になったばかりの長編小説『カノン』。
その著者である中原清一郎さんに、特別寄稿していただきました。
中原さんは、1976年大学生の時に『北帰行』で第13回文藝賞を受賞。同じ年にデ
ビューした村上龍さんとともに大きな話題となりましたが、朝日新聞社入社後は、
小説活動を休止。
今回、会社を早期退職され、『カノン』が久しぶりの小説発表となりました。
原稿用紙650枚にも及ぶ大作を書かれた中原さんのコメントはこちら!

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 三年前、長年勤めた会社を早期退職し、郷里の札幌に帰った。ホームに入った父は
認知が進んでほとんど会話できず、時々視線が合うと、微笑むことがあった。
 毎夕、料理をつくって実家に持参し、母と晩酌をする。父の生前、よく母がこう
いった。「意識がしっかりして体が不自由なのと、頭は朦朧としていても体が自由な
のと、どちらが幸せなのかしら?」。それは、母にも自分にも、いずれ突きつけられ
る晩年の不可避の選択だ。
 医療の発達で、人の平均寿命は驚くほど延びた。もちろん幸せなことだが、思いが
けない出来事が随伴する。以前であれば露呈しなかった認知症が、ほぼすべての人の
最期に訪れる。脳の衰えとどう向き合い、尊厳ある最期をどうまっとうすればいいの
か。そう自分に問いかけたとき、物語の種子が蒔かれた。一方には意識がいまだしっ
かりしていながら末期の肉体をもった人がおり、他方には健全な肉体をもちながら記
憶を失いつつある人がいる。その二人が契約を交わして、脳の一部を交換したら?
 もちろん突拍子もない空想だ。でもそこで起きることは、科学技術の発展によって
間延びした人生のリアルな描写になる可能性がある。そうやって物語を書き始め、突
き動かされるようにして書き終えた。雑誌に掲載された作品を読んだ何人かが、「一
日で読み終えた」「続きが気になり、風呂に入りながら読んだので雑誌がぼろぼろに
なった」といってくださった。作者にとって、これ以上の褒め言葉はない、と思った。
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★『カノン』中原清一郎 ●1800円


■著者プロフィール
中原 清一郎 (ナカハラ セイイチロウ)
1953年生まれ。76年東大在学中に外岡秀俊名義で書いた『北帰行』で、文藝賞受
賞。衝撃のデビュー後、朝日新聞に入社し小説活動を休止。現在、ジャーナリストと
しても活躍。著書に『3・11 複合被災』等多数。

※※※※※※河出クラブの入会はこちらから※※※※※※
発売前から大注目されていた書籍、千葉雅也さんの『動きすぎてはいけない』
がついに発売となりました。

◎『動きすぎてはいけない~ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』●2625円
つながりすぎ、動きすぎで〈接続過剰〉になった世界で「切断の哲学」を思考
する画期的ドゥルーズ論――浅田彰、東浩紀両氏が絶賛する思想界の超新星、
衝撃のデビュー!
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309246352/

なんと、浅田彰さんと東浩紀さんがW推薦!

「ドゥルーズ哲学の正しい解説? そんなことは退屈な優等生どもに任せてお
け。ドゥルーズ哲学を変奏し、自らもそれに従って変身しつつ、「その場にい
るままでも速くある」ための、これは素敵にワイルドな導きの書だ」---浅田彰

「超越論的でも経験的でもなく、父でもなく母でもない「中途半端」な哲学。
本書は『存在論的、郵便的』の、15年後に産まれた存在論的継承者だ」---東
浩紀

発売に併せて、かわくらメルマガに千葉さんから本書にコメントをいただきま
した。

---
 動きすぎてはいけない。動くというのは、同じひとつの持ち場に留まるので
はなく、他所へ、他者の方へ向かい、自分を他者に関係づける=接続すること
を意味しています。したがって、動きすぎないというのは、自分を他者に関係
づけすぎないということです。が、動かないのではない。他所へ、他者へ関心
を向けるのをやめて「ひきこもり」に徹しようというのではありません。動か
ないのではない、「すぎない」くらいに動くのです。関係=接続を過剰化はし
ない。それは、世界のすべてにつながろうとしないことであり、また、そもそ
も世界のすべては(潜在的に)つながっているという世界観を放棄することに
なるでしょう。諸々の関係が、あちこちで「ある程度は」切断される。本書で
は、ドゥルーズ、およびドゥルーズ&ガタリの哲学の核心は、関係の「接続と
切断」のあいだの「と」、そこで作動する「~しすぎない」というレトリック
である、という仮説を携えて、彼(ら)の哲学を初期から晩年まで旅します。
 一方の極には、世界のすべてが関係している=接続されている「かのよう
に」語るドゥルーズがいる(接続的ドゥルーズ)。他方の極には、世界をバラ
バラに断片化してしまう文脈も見いだされる(切断的ドゥルーズ)。こうした
両極のあいだで、「動きすぎてはいけない=関係しすぎてはいけない」という
曖昧な主張がなされるのです。では、関係「しすぎない」というレトリック
(程度の問題)は、ドゥルーズの哲学システムのなかにおいて、どのような位
置をもっているのでしょうか?
 ドゥルーズは或るインタビューで、「生成変化を乱したくなければ、動きす
ぎてはいけない」と述べました。本書は、古代中国の箴言のようなこのフレー
ズに対するひとつの解釈です。生成変化する(becoming, devenir:~にな
る)こと、変身すること。そして、関係しすぎないということ。あれこれに関
係しすぎないからこそ、生成変化を、変身を、ラディカルに達成できる......こ
れは、どういうことなのでしょうか?

千葉雅也
---

答えはきっと本書に...!

◎刊行記念イベントがあります。ぜひぜひ。
千葉雅也さん&國分功一郎さんトークイベント
『動きすぎてはいけない』(河出書房新社)刊行記念
日時:2013年11月8日(金)午後7時~
会場:西武池袋本店別館9階 池袋コミュニティ・カレッジ28番教室
参加チケット:1000円(税込)
チケット販売場所:西武池袋本店書籍館地下1階リブロリファレンスカウンタ
お問合せ:リブロ池袋本店 03-5949-2910
http://www.kawade.co.jp/news/2013/10/118-1.html

◎同じくリブロ池袋本店のカルトグラフィアでは、千葉さん選書によるフェア
「切断と接続のスタイル」を開催中です。選書リストも配布中とのこと。
お近くにお立ち寄りの際はぜひ。

◎現在注文殺到につき小社では品切中です。
お近くの書店にてぜひお手にとってみてください。

(初出:『かわくらメルマガ』vol.28 千葉雅也が語る『動きすぎてはいけない』とは?)
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◎「14歳から読める戦後日本史入門を、こう書いた」
成田龍一
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劇作家で小説家の井上ひさしさんに、「むずかしいことをやさしく」というこ
とばがあります。井上さんは、つづけて「やさしいことをふかく、ふかいこと
をおもしろく」といいます。井上作品は、小説でも戯曲でも筋が入り組み、ど
んでん返しが多くとても複雑なのですが、主題をとてもわかりやすく訴えかけ
てきます。複雑であっても、わかりやすくおもしろい――その秘密は、作者の
この姿勢にあります。「むずかしいことをやさしく」述べることからはじま
り、「おもしろく」伝えていく工夫のたまものです。

じつは、歴史もとても複雑です。とくに戦後日本史は、あれこれの要素が絡み
合い、とてもかんたんには説明できないことがほとんどです。しばしば、歴史
家は、正確さと精密さを尊重して、複雑なことを複雑なままに記します。
しかし、厳密さを追求するあまり、込み入った説明をすることは、歴史の描き
方としては素朴に過ぎるように思います。ことがらを複雑に説明する歴史家が
多いため、逆に断定調に単純化して言い切る歴史がはやってしまうのですね。
もちろん、私は、歴史を単純化せよといっているのではありません。私は、複
雑な戦後日本史を、単純化するのではないやり方で、複雑さを伝えるやり方を
求めてきました。

そうした試みのひとつとして、14歳の人びとから読めることをねらいとした
本をつくってみました。若いひとを読者対象に加える、ということは、結果的
に、年長者にもよりわかりやすく伝わるということとなるであろう、とも思い
ます。
読者対象の拡大は、たんに表現レベルの問題ではなく、問いの立て方やことが
らの提出のしかたなど、戦後日本史の認識そのものにかかわってきます。「む
ずかしいこと」というのは、しばしば本質的なことですが、そのことがなぜ本
質的なことであるのかを、ていねいに解きほぐす営みが求められることになり
ます。その課題に、今回は挑戦してみました。
同時に、この営みは、いまひとつの結果として、戦後日本史を体験から離陸さ
せて、歴史として描くという試みともなりました。自らの世代の経験を、いか
に歴史のなかに位置づけていくかということです。自明としていたこと、あた
りまえのように考えていたことを、あらためて説明しなおす営みであり、私に
とっては、大きな挑戦となりました。

こうして、読者対象を14歳から、と広げることは「むずかしいことをやさし
く」語ることの実践にほかなりません。さまざまに、いままでの私の歴史認識
と歴史の描き方を再検討する機会となりました。

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戦後の歩みをわかりやすくたどりながら、しかしそれだけでなく、常に「歴史
とは何か?」という本質的な問いを読者と考えていく、はじめての歴史入門と
しても、大人の学び直しの友としても絶好の一冊に仕上がっています。ぜひ手
にとってみてください。

【著者プロフィール】
成田龍一(なりた・りゅういち)
1951年、大阪市生まれ。日本女子大学人間社会学部教授(近現代日本史)。
『近現代日本史と歴史学』『「戦争経験」の戦後史』『大正デモクラシー』
『〈歴史〉はいかに語られるか』など。

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(14歳の世渡り術)●1260円
占領、55年体制、高度経済成長、バブル、沖縄や在日コリアンから見た戦
後、そして今――これだけは知っておきたい重要ポイントを熱血レクチャー。
これからを生きる人のための新しい歴史入門。
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◎KAWADE道の手帖『作家と戦争』の巻頭では、成田さんと川村湊さんとの
対談「3・11からアジア太平洋戦争を照射する」が収録されています
こちらもぜひ。

「14歳の世渡り術」ブログ更新中! 黙々と編集部員が更新してますよ。


◎死について、何を学び、これから先をどう生きるのか――。
シリーズ最新刊『特別授業 "死"について話そう』も好評発売中です。


(初出:『かわくらメルマガ』vol.26 成田龍一さん特別寄稿 「14歳から読める戦後日本史入門を、こう書いた」)

「韓流」にはまり、「韓流は日本の女が手にしたエロである!」と喝采したせいで、日本の男たちに叩かれまくった著者が書く、韓流と日本の女と男をめぐる全記録!

なぜ私たちはこれほどまでに韓流を必要としたのか、著者自身の体験に重ねて語ります。 

いまこの国では、新大久保などでの人種差別デモやヘイトスピーチ問題が激しさを増す一方で、定着した韓流人気のもと、韓国スターのツアー動員記録は更新され続けています。この、あまりにもちぐはぐな「韓国観」の底にあるものも見えてきます。

読者から共感の声多数、朝日新聞「論壇時評」などでも大絶賛を浴びた、韓流と日本女性を軸にこの国を考える一冊です。(編集担当より)


◎『さよなら、韓流』北原みのり ●1365円

http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309021607/

ヨンさま降臨からはや10年。あの日から、日本の女の欲望の形は大きく変わった。自身も韓流に「どはまり」し、韓流で叩かれまくった北原みのりがそれでも書く。私たちはなぜこんなにも〈彼ら〉を愛してしまったのか? これは、韓流で人生が変わったひとりの女のドキュメント。そして、女たちの欲望史! 信田さよ子(カウンセラー)、澁谷知美(社会学者)、牧野江里(女性向けAVプロデューサー)他、8人の女たちとの〈韓流対談〉も収録。


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北原みのりさんによる特別エッセイ

「『さよなら、韓流』を書きました」

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『さよなら、韓流』。時節がら、「もう韓流いらないよ、それより竹島返せよ」とか言いたがるネトウヨさんの本のようなタイトルですが、もちろん、違います。

そもそも、2年前に本の企画は通りました。その時のタイトルは「韓流はエロである」。堂々と、明るく、端的に韓流観を宣言した「韓流はエロである」を、私はノリノリで書きはじめました。

正直にいえば、『冬ソナ』からはじまった韓流を、私は長い間ばかにしてました。だって、ださいから。韓流スターは全員GACKTに見えたし、『冬のソナタ』へのはまり方は全く分かりませんでした。だというのに! 気がつけば私の周りの女たちが(しかも、読んでる本や好きな映画の趣味があう女友だちが!)、感染するかのようにバタバタと韓流に落ちていっていったのでした。へぇ......そんなにいいものなの? 半信半疑で東方神起を見た時の衝撃を、私は生涯忘れないでしょう。ああ、これは、やばい!!!!!  その時私は30代後半だったけど、 "アイドル"を見て、股間が熱くなる体験なんて初めてでした。