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祝〈奇想コレクション〉完結 編集担当者が語る、「たんぽぽ娘」はなぜ幻の名作なのか?

松尾たいこさんのカバー画とともにみなさまに御支持いただいた〈奇想コレク
ション〉シリーズは、刊行開始が2003年ですので、今年でちょうど10年にな
ります。
このたび配本されたロバート・F・ヤング『たんぽぽ娘』は20冊目となり、ひ
とまず区切りよいので帯などには「最終配本」とうたいました。機会があれ
ば、しれっと「第21回配本」も出したいな、などとぼんやり考えておりま
す。


『たんぽぽ娘』の企画の発端は、〈奇想コレクション〉の刊行準備段階、
2002年までさかのぼります。
当時、SFマガジンをぱらぱらめくっていましたら、伊藤典夫さんの「ロバー
ト・F・ヤングのことなど」(2002年5月号)というエッセイが目にとまり
ました。
そこには、某社から「たんぽぽ娘」を中心にヤングの短編集を新しく編んでみ
ないかという企画が持ちまれたので準備を進めていたが立ち消えになってしま
った、とありました。
その短編集、ぜひ読みたい!とすぐに伊藤さんに御電話を差し上げて、企画を
小社が引き継ぐことになりました。
伊藤さんは入手しうるかぎりのヤングの未読の短編を読みあさり、収録作品が
確定したのはそれからおよそ2年後のことでしょうか。
正式に版権も取得して、2004年刊行の〈奇想コレクション〉第5弾『願い
星、叶い星』の巻末広告で、初めて『たんぽぽ娘』の刊行告知を行ないまし
た。
以来9年、ここ数年は読者のみなさまに「今年こそ出ます!」と申し上げつづ
けたこともあり、出る出る詐欺だ!という御叱責もしばしば頂きましたが、よ
うやくお届けすることが叶いました。
長らくお待ちくださった末にお買い求めくださったみなさまへは、お詫びとと
もに心より感謝いたします。


さて、その本書の表題作「たんぽぽ娘」ですが、(〈奇想コレクション〉で刊
行が告知されながらなかなか出なかったというだけではなく)長い間、幻の名
作とされてきました。
過去にも何度かアンソロジー等に収録されながらも、いずれも長きにわたり入
手困難、「たんぽぽ娘」収録の本はすべて古書価も高騰しています。
著者のロバート・F・ヤングは、晩年に長編もいくつか発表していますが基本
的には短編作家で、30年あまりの作家活動のあいだに200編近い短編を遺し
ました。日本ではこれまで『ジョナサンと宇宙クジラ』『ピーナツバター作
戦』という2冊の短編集が日本オリジナル編集で出ています。
ところが、ヤング作品で(少なくとも日本では)もっとも有名な「たんぽぽ
娘」は、この2冊には収録されていません。
なぜこのように「幻の」作品になってしまったのか?


ちょっと面倒な話になりますが、海外小説を翻訳出版するにあたり、「10年
留保」なるものがあります。
大雑把にいえば、「1970年以前に海外で刊行された作品で、原著刊行後10年
以内に日本で正式契約にもとづく翻訳が刊行されなければ、翻訳版権を取得し
なくても自由に翻訳出版できる」という規定です。
これは戦後日本の翻訳出版史で大きな役割を果たしました。
(上記の規定は現在でも有効なため、いまでもその恩恵は大いにあります)
一般に翻訳出版は、海外の著者と日本の翻訳者との双方に印税を払わなければ
ならないために、出版社としてはコストが高くつく。だけどこの10年留保を
満たせば、翻訳者に対してだけしか印税を支払わなくてよい。つまり経費を抑
えて出版ができるわけです。

では「たんぽぽ娘」はというと、この作品はアメリカで1961年に発表された
ので、71年まで日本で翻訳されなければ、10年留保により翻訳権なしに出版
が可能となったところです。
ところが1967年、ジュディス・メリル編『年刊SF傑作選2』(当時の創元推
理文
庫。現在ならば「創元SF文庫」枠でしょうね)の収録作の1編として、翻訳
出版されてしまいます。
このため翻訳権を取得しない限りは合法的な出版は不可となってしまいまし
た。
(ブログで「たんぽぽ娘」を翻訳して掲載されているみなさ~ん、違法です
よ~)

いっぽうヤングの短編は、デビューした1950年代前半から作家としてもっと
も脂ののっていた60年代にかけての作品の大半が、10年留保により翻訳権な
しで出版が可能です。
日本でヤング短編集を出す場合、粒ぞろいの作品が無版権で合法的に出版でき
るのですから、「たんぽぽ娘」1作を収録するために1冊まるごとの翻訳権を
取得するという選択肢は、見送らざるを得なかったはずです。(10年留保は
先進国中ほぼ日本だけに認められた特例でして、海外の著者・出版社・エージ
ェントに「あなたの作品集を出したいけれど、そのうちの1作分しか翻訳権を
取得しませんからどうぞよろしく」という理屈は、ふつう受け入れてもらえま
せん)

また、いろんな著者の作品を集めて1冊にまとめたアンソロジーを日本で編も
うとする場合、翻訳作品を収録するにあたっては、できれば10年留保で済ま
せたいのが出版社の人情というもの。
でも「この作品は版権取得が必要だけれどやはり収録したいなあ」という場合
も無論あり、予算が許せば版権を取得して収録!とあいなります。
『年刊SF傑作選2』が刊行されてから、「たんぽぽ娘」はアンソロジーに収
録されること2回(風見潤編『たんぽぽ娘 ロマンチックSF傑作選2』、文
藝春秋編『奇妙なはなし アンソロジー人間の情景6』)、雑誌掲載が1回
(SFマガジン2000年2月号)ありましたが、雑誌はもちろん、企画もののア
ンソロジーは意外と簡単に市場から消えて絶版になってしまうものです。


このような次第で長いあいだ「幻の名作」の立場に甘んじていた「たんぽぽ
娘」は、今年の5~6月に、〈奇想コレクション〉版のほか、復刊ドットコム
版『たんぽぽ娘』、『栞子さんの本棚 ビブリア古書堂セレクトブック』(角
川文庫)と立て続けに出版され、複数の本で読めるようになりました。これは
ちょっとした出版界の珍事ではないかしら。(経緯はまったく違いますが、
『星の王子さま』が雨後のタケノコのように出版されたことがかつてありまし
たけれどね)

今年ドラマ化もされた三上延さんの大人気シリーズ『ビブリア古書堂の事件手
帖』で「たんぽぽ娘」が取り上げられたことも大きな要因ですが、偶然も重な
った結果です。
ようやく幻ではなくなった「たんぽぽ娘」。やはり何かをもっている作品なの
でしょうか。

念のために申し添えれば、復刊ドットコム版は、「たんぽぽ娘」1作に牧野鈴
子さんの挿絵をつけた絵本で、〈奇想コレクション〉版と同一の伊藤典夫訳。
『栞子さんの本棚』は、いろんな作家の作品を収録したアンソロジーで、「た
んぽぽ娘」は『年刊SF傑作選2』収録の井上一夫訳を採用しています。


ところで、ではメリルが『年刊SF傑作選』に「たんぽぽ娘」を収録しなかっ
たならば、「たんぽぽ娘」は本国発表後10年間くらいは平気で翻訳されず、
その後すみやかにヤング短編集に収録されて幻の作品にはならなかったのか?
1962年にアメリカで出た『年刊SF傑作選』の原書で、伊藤典夫さんは初めて
ヤングの "The Dandelion Girl" を読みました。〈以来ヤングという作家が大
好きになり、手もとの雑誌の中から彼の作品を熱心に拾い読みしはじめた〉
(伊藤典夫編訳『ジョナサンと宇宙クジラ』訳者あとがき)。

伊藤さんは、「たんぽぽ娘」と題してこの作品を翻訳してSF同人誌「宇宙
塵」に持ち込み、同誌1964年3月号に掲載されました。これがヤングの日本
初紹介となります。
(この翻訳はいわば"海賊版"で、10年留保の条項にかかわる正式契約による
翻訳ではありません)
そして「ジャングル・ドクター」の翻訳でSFマガジンにヤングを初紹介した
のが1966年8月号。その後も10年ほどにわたって同誌にヤングの短編をこつ
こつと翻訳紹介しつづけ、77年にそれらを1冊にまとめたのが日本で最初の
ヤング短編集『ジョナサンと宇宙クジラ』(ハヤカワ文庫SF)です。(当初
はこのタイトル、「ジョナサンと宇宙くじら」だったんですが、ここでは「ク
ジラ」で統一)

『ジョナサンと宇宙クジラ』はいまでこそ品切れですが、長いあいだ版を重
ね、2006年には新装版も出ています。(このメルマガを見ている早川書房の
方、いらっしゃいますか~? ぜひ重版してください!)

日本でヤングの印象を決定づけたのは、「たんぽぽ娘」とともに、まず間違い
なくこの伊藤典夫編訳『ジョナサン~』ですが、その作品セレクトはじつに見
事で、ある意味巧妙でして、どうもアメリカ本国で編まれた傑作選とは、やや
方向性が異なるようです。
訳者あとがきで伊藤さんは〈ぼく自身の好みで一冊にまとめた〉とおっしゃっ
ています。

1960年代にアメリカで出た2冊のヤング短編集を『ジョナサン~』刊行前に
伊藤さんが読んでみたところ、第1短編集は〈「たんぽぽ娘」がフィーチャー
されているのはいいが、あとはシェクリイ風、ポール風などなど当時流行の社
会風刺や心理学的な傾向がバラエティ豊かに集められていて、そのすべてが凡
庸な印象なのだ。二冊目の短篇集も、宇宙小説や冒険SFへ比重がかかってき
たが、ぼくの心を動かすほどではなく、その点でも日本独自の編集で本を出さ
ない手はなかった〉(「ロバート・F・ヤングのことなど」)。
ボーイ・ミーツ・ガールもののようなロマンスものこそ、もっともヤングとい
う作家の資質が生きていると感じていた伊藤さんは、本国アメリカにおいて
も、ヤングに早くから理解を示していたフランスにおいても、ヤングのロマン
スものが日本ほどには評価されてこなかったことへの違和感を、『たんぽぽ
娘』編者あとがきで語っています。
ヤング(と「たんぽぽ娘」)は、どうやら日本でとりわけ愛されているようで
す。たとえばグーグルで「Robert F. Young」と英語で検索しても日本語サ
イトがずらずらヒットすることはその左証でないかと。

昔から日本では『夏への扉』が長編SFオールタイムベストの常連で、「たん
ぽぽ娘」が短編SFオールタイムベストの常連ですが、これは海外では見られ
ない現象だそうです。このような甘い物語はもともと日本人読者の好みにあっ
ているみたいですが、日本におけるヤングの人気は思いのほか伊藤典夫さんの
セレクトによる紹介の巧みさとその甘い魅力を再現した訳文の力とに負ってい
るといってよいと感じます。
メリルが『年刊SF傑作選』に「たんぽぽ娘」を収録しなかったならば、この
作品は「幻」にはならなかったかもしれませんが、若き日の伊藤さんが同作を
読むこともなく、日本でのヤング作品の受容もかなり異なったものになってい
たはずです。


なお前述のように伊藤さんは日本で初めて「たんぽぽ娘」を同人誌で翻訳紹介
したものの、その3年後に『年刊SF傑作選2』の井上一夫訳が正式に世に出
てしまったために、『ジョナサンと宇宙クジラ』では〈版権の関係もあって、
改訳してここに収められ〉(訳者あとがき)ませんでした。
伊藤典夫訳が正式に世に出たのは、1980年、『たんぽぽ娘 ロマンチックSF
傑作選2』収録の1編としてが最初です(『ビブリア』の作中で話題となるの
も、このバージョンです)。
〈奇想コレクション〉版収録にあたっては、伊藤さんが訳文を全面的に見直し
されたため(とはいえ大掛かりなものではありません)、「改訳決定版」とう
たわせていただきました。


ついでに申し上げれば、万一、ヤングって「たんぽぽ娘」の一発屋だよね
(「冷たい方程式」のトム・ゴドウィンみたいな)、と思っている方がいた
ら、それは誤解です。
2011年にアメリカで(紙の本としてはじつに43年ぶりに!)ヤングの短編集
「ザ・ベスト・オブ・ロバート・F・ヤング Vol.1」が出たのですが(全2巻
の予定)、その序文でジョン・ペランは、ヤングがもっとも活躍した時期はま
だSFファンのあいだで「サイエンス・ファンタジー」がきちんと受け入れら
れていなかった頃で、ヒューゴー賞受賞作や候補作はほぼ例外なくハードSF
だった時代である、活躍時期があと20年遅かったならば、ヤングは毎年のよ
うにヒューゴー賞候補となり年刊ベストの常連作家となっていただろう、と述
べています。
没後はじめて出たヤングの傑作選(電子書籍のみ)、Memories of the Future
(2001) の序文でバリー・N・マルツバーグは、ヤング作品といえば巨
大女もの、と書いており、いずれにしても、ペランもマルツバーグも「たんぽ
ぽ娘」についてはひとことも触れていません。
ちなみに英語版 Wikipedia では、「もっとも有名なヤングの短編はおそらく
「たんぽぽ娘」(アニメシリーズ『ラーゼフォン』の監督に影響をあたえた)
と「リトル・ドッグ・ゴーン」(1965年にヒューゴー賞短編小説部門にノミ
ネートされた)であろう」とあります(だれが書いたんだ、これ)。


今回の〈奇想コレクション〉版『たんぽぽ娘』の特色のひとつは、伊藤さんが
10年留保の規定にかなうか否かにかかわらず、ヤングの全作品から自由にセ
レクトした点です。
最初に頂戴した編者あとがきの御原稿には、いま単行本に収録されている編者
あとがきの冒頭箇所がありませんでした。
「ヤングが遺した二百編近い短編を手にはいるかぎり」すべて伊藤さんが読ん
だ上でセレクトしたことが本書の特徴でもありますので、あとがきにはっきり
と書いておきませんか? とお願い申し上げたところ、伊藤さんは、こんな作
品をせっせと読みあさったなんて言ったら恥ずかしいな、とちょっとはにかみ
ながらおっしゃいました(笑)。
たしかにヤングの作品は「大好き!」と公言するにはやや気恥ずかしいところ
もありながら、でも愛さずにはいられない不思議な魅力があるようです。


編者あとがきをお読みになった方は驚かれたかもしれませんが、伊藤さんはヤ
ング短編集をもう1冊編む必要があると考えておられます。
『ジョナサンと宇宙クジラ』『たんぽぽ娘』につづく伊藤典夫編ヤング短編集
の第3弾が実現する日を、わたしもみなさんと一緒に首を
長~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~くしながらお待ち申し上げたく思います。


以下、完全な余談です。

***注意!ネタバレあり!***

主人公のマークは、ジュリーの正体に気づかないものなのか?
「たんぽぽ娘」を読んだけっこう多くの人はそう感じるかと思います。
わたしもそうでした。
でも今回、編集作業で久しぶりに読み直してみると、ヤング自身も当然その点
は意識していて、いろいろ伏線を張っているのですね。

たとえば、マークが"たんぽぽ娘"ジュリーを初めて間近に見たときは〈いたた
まれないほどの既視感(ルビ:デジャ・ヴュ)をおぼえ、手がつと伸びて、風
のなかにある彼女の頬にふれそうになった〉とあります。
自分の奥さんの20年前の姿をしたに若い女性にいきなり出会ったわけですか
ら、「既視感をおぼえ」たのも当然です。
ラスト近くでマークはなぜ(既視感をおぼえながらも)「おれのかみさんの若
い日のころの姿にそっくりだ」とはまったく感じなかったのかについても、分
かるような分からんような理屈を組み立てていますが......〈彼(マーク)の目
には......彼女は一日も年をとっていない〉ともありますが、あくまで「彼の目
には」です。奥さんのルックス、実際のところはけっこう変わってしまってい
るのかしらん......??
ついでに申し上げれば、ラストシーン、マークがジュリーの正体に気づいてか
ら初めて妻を目の前にしたとき、〈彼は手を伸ばすと、はるかな時を超えて、
彼女の雨に濡れた頬にふれた〉とあります。ここは先の引用箇所と呼応してい
て、20年前の妻=ジュリーの頬には、手を伸ばしてふれたいと思いながら
も、ぐぐっと我慢してふれられなかったから、このとき頬にふれたのは「はる
かな時を超えて」という次第かと。


最後に、蛇足の蛇足。
「たんぽぽ娘」なんて男の願望充足小説だ、という方もいるかと思いますし、
それまで妻ひとすじできた(と自己申告している)40代の中年男が20歳そこ
そこの美少女にひとめぼれされるのですから、そのような指摘も否めません。
わたしがこの作品を初めて読んだのは、ジュリーの年齢に近しい大学生の頃
で、そのような側面もあるがゆえに、いいお話だなあ......とうっとり感動した
ように思います。
でも、いまとなってはマークの年齢に近しい、バカボンパパと同い年の41歳
の春を迎えて、およそ20年ぶりに読み返してみたら、かつてはまったく抱か
なかった感動をおぼえました。
「長年連れ添ってきた妻に対しても、ちょっとした気持ちの持ちかた次第で、
出会った当初のみずみずしい思いが取り戻せる。そのような魔法の力を甘美に
も教えてくれる、なんてハッピーなお話なんだ!ありがとう、ロバート・F・
ヤング!」
20年の歳月は人を変えるものですね。
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奇想コレクション『たんぽぽ娘
ロバート・F・ヤング 著/伊藤典夫 編 ●1995円

過去の奇想コレクションシリーズ
http://www.kawade.co.jp/np/search_result.html?ser_id=62180


(初出:『かわくらメルマガ』vol.15『幻のワイン100』刊行記念・貴重なワイン試飲会/編集担当者が語る、「たんぽぽ娘」はなぜ幻の名作なのか?)