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2014年10月の記事一覧

さる10月21日(火)、18時より山の上ホテルで第51回文藝賞贈呈式が開催された。
そう、それは「彼」にとって一年で一番肉体・精神ともに楽しみでもあり、同時に辛
く忙しい一日。

 *  *  *  *  *  *

この日の彼は、もちろん、朝から慌ただしい。なにしろ「背広」を着なければならな
いのだ。
着慣れない服をまとい、締め慣れないネクタイをして、普段履かない黒い革靴を磨く。
昨晩から続く緊張のため固形物が咽を通らない彼は、用意された朝食を横目になんと
かヤクルトだけを呑み、9時15分、自転車で最寄り駅へ向かう。
彼の頭の中は、贈呈式の「あれやこれやいろいろ」でいっぱいだ。
と、気づけば千駄ヶ谷の駅。普段は電車の中で読書(主に漫画)を欠かさない彼だ
が、今日は車内の記憶がほとんどない。

10時20分、小雨の降る中、出社。
震える手でタイムカードを捺すと、エレベータで彼が所属する編集部がある4階へ向かう。
これから始まる長い一日を思い不安いっぱいの心を同僚に悟られないように、彼は
「おはようございます!」といつも以上に大きな声で挨拶すると、平静を装いながら
机へ。
もちろん頭を使う仕事が出来るはずもなく、事務連絡のメールを数本送ったあとは、
1、16時スタート「受賞者の共同取材」用やることメモのチェック、2、18時スター
ト「文藝賞贈呈式」のやることメモのチェック、3、21時スタート「文藝賞2次会」
のやることメモチェックに勤しむ。
彼の脳裏で幾度となく重ねられるシミュレーション、そして想像の中ですら失敗する
自分。
時計を見ると、すでに13時を過ぎている。
ああ、そろそろ食事をしなければ......と重い腰をあげ、ひとり「そっ」と社員御用達
の河出ビル1階にある喫茶店「ふみくら」へ(しかし! 驚くべきことに彼は、何を
食べたか覚えていない)。
満たされたお腹、さらに深まる不安な気持ち。
15時に贈呈式の会場である「山の上ホテル」で、今回の文藝賞の受賞者ふたり(李龍
徳さん、金子薫さん)と待ち合わせをしている。
「14時20分の電車に乗れば、31分に御茶ノ水駅に着く。一番後ろの車両に乗ればす
ぐ改札に続く階段があるから云々」
常々「15分前の精神」を大切にしている彼は、もちろんYahoo!路線情報での「千
駄ヶ谷発」の電車チェックは怠らない。
しかし、「細かい男」と思われたくないので、「さあ、そろそろかな。まあ、ちょっ
と早めに着いて、少しゆっくりしようよ」と出来る限り自然に同僚に出発時間を促す
ことも忘れない。

         *

......出際にトラブル発生。しかし書きはじめたらキリがないので少し、時間を飛ばそ
う。

         *

トラブルを一応収束させ、15時、文藝編集部、山の上ホテルに到着。受賞者ふたりと
合流。
さすがに緊張の色を隠せない、李龍徳さんと金子薫さん。
そんな受賞者を前に、自分が緊張していることを見せるわけにはいかない彼は、いか
にもベテラン編集者の体で(実際、文藝編集者としては13年のキャリアがある)、
「緊張しますよね。でも、大丈夫、何かあればいつでも僕たちに聞いて下さい。じゃ
あ、16時からの共同取材(文藝賞では例年、贈呈式の前に、各新聞社を呼び取材の場
を設ける)まで、今日の流れをおさらいしましょうか」と言いながら、受賞者控え室
へふたりをエスコートする。
あと1時間で始まってしまう......緊張のあまり何度ももよおし、トイレに向かう彼。
その回数は明らかに受賞者より多い。おそらく、他の編集部員は「あいつ、緊張して
トイレが近くなっているな」と気付いているだろう。
刻一刻と迫る共同取材の時間。
その緊張は、受賞者だけでなく、他の編集部員にも伝播していく(ような気が、
「彼」はしていた)。

         *

......さらに時間を飛ばそう。「彼」の緊張の話をするのが面倒くさくなって来た。こ
こからは、出来事の羅列を。

         *

○16時00分。共同取材開始。李龍徳さん→金子薫さんの順番。朝日新聞、読売新聞、
                  毎日新聞、日経新聞、産經新聞、時事通信、新文化......10社程度が参加。
○16時40分。共同取材終了。11月刊行の受賞作2作の単行本について、営業部からの
                  販売戦略の発表(期間限定で特別価格1000円を実施!)。
      その後、写真撮影に。
○17時00分。受賞者親族との記念撮影。
○17時30分。選考委員(藤沢周氏、保坂和志氏、星野智幸氏、山田詠美氏)到着。受
                  賞者、選考委員へ挨拶。
○18時00分。第51回文藝賞贈呈式、開始。選考委員の高評にはじまり、各受賞者の
                  挨拶を経て乾杯へ。
○18時40分。受賞パーティ、開始。

例年通り、会場から溢れるほど多くの方にご来場いただく(300名近くはいたのでは
ないだろうか)。
文藝賞の歴代受賞者の方々(宮内勝典さん、田中康夫さん、綿矢りささん、山崎ナオ
コーラさん、磯崎憲一郎さん、青山七恵さん、谷川直子さん)をはじめ、作家、批
評・評論家、ライター、各社編集者、書店員、取次、印刷所、製本所etc.あちこちで
交わされる挨拶。時間が経ち、お酒が来場者の身体を満たすにつれ、会場はさらに盛
り上がって行く。
受賞者の横には担当編集者がそれぞれ付き、挨拶に来ていただく方々の対応に追われ
る。
そして彼はというと、後輩とともに2次会の案内状を手に会場中を動き回り、ご来場
いただいている方々に次々と挨拶をしていく。
この段階になると、朝から続いていた「不安」は会場内の熱気によって掻き消され、
高揚した気分が全身を覆い始める。

○20時00分。第51回文藝賞贈呈式、終了。
○20時30分。受賞者は営業部主催(書店員の方々が集まる)の2次会へ行き、挨拶。
      選考委員及び著者関係の方々は編集部主催の2次会会場へ移動する
     (飯田橋のスペインバル)。
○21時00分。受賞者不在の中、選考委員の藤沢周さんの乾杯で、2次会スタート。
      選考委員の保坂和志さん・星野智幸さんをはじめ、山崎ナオコーラさ
                  ん・磯崎憲一郎さん・青山七恵さん・谷川直子さんら歴代の受賞者の方々、
      さらに津原泰水さん、似鳥鶏さん、大森望さん、中森明夫さん、中原昌
                  也さん、坂上秋成さん、間宮緑さん、桜井鈴茂さん、仙田学さん、陣野
                  俊史さん、神山修一さんetc.河出の編集者を入れて45名ほどが参加。
○21時45分。受賞者の李龍徳さん、金子薫さん、2次会へ合流。その顔はホッとして
                  いる反面、さすがに疲労の色は隠せない。
      そしてここから、2次会は贈呈式以上の盛り上がりを見せた。
○22時15分。歴代受賞者、作家・批評家による挨拶。ある作家2人は、挨拶の替わり
                  にギターと歌で受賞者を祝ってくれた。
○23時00分。2次会終了。受賞者のお二人、そして選考委員の方々を送り出す。
○23時30分。参加者全員を見送り、完全、解散。
○24時00分。河出メンバー8名で軽く打ち上げ。お昼を食べてから11時間、初の食
                  事。

こうして一年でもっとも楽しくも忙しい一日が終わった。
午前2時、帰宅。
朝と夜、必ず体重を量る彼は、寝る前に体重計に乗る。
朝比較マイナス1.5キロ。(了)
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ぜひこの機会にお読みください!
「自由がいちばん」「働け、そして愛せ」――トーベ・ヤンソンの魅力


 今年、生誕100周年を迎えたトーベ・ヤンソン。トーベ、という名前が「彼女」な
のか「彼」なのか。どこの国の何人なのか。そして、いったいトーベ・ヤンソン
とは誰なのか。そう思う人も多いかもしれません。

 トーベ・ヤンソン(1914-2001)は、政治、社会、文化をはじめ、さまざまな分野
に関わりながら、20世紀を象徴するかのような、色鮮やかで豊かな人生を送りまし
た。フィンランドで最も有名な芸術家であるトーベの著書は、30以上の言語に翻訳さ
れ、今も世界中で新版が刊行され続けています。また作品とひとことでいっても、そ
の幅は広く、ひとつの言葉で表現しきれる芸術家ではありません。童話作家、挿絵画
家、画家、作家、舞台美術家、演劇作家、詩人、風刺画家、そして漫画家でもあった
からです。一つの分野にとどまることを知らない、多面的で勢力的な活動をしたトー
ベ。とりわけ世界的に有名になったのがムーミンの物語です。

 その、世界中で今なお愛されるムーミン一家は、トーベ自身の家族がモデルとなっ
たと言っても過言ではありません。彫刻家の父、しっかりもののイラストレーターの
母。年の離れた弟たちふたり。そして、彼ら一家が過ごした自然ーー森と海、島の生
活ーーそれらすべてが、ムーミン物語の背景にはあります。

 彼女(そう、トーベ・ヤンソンは女性です)が人生の中で何よりも大切にしていた
のは、仕事、そして愛でした。蔵書票に書かれていたのは「働け、そして愛せよ」と
いうラテン語。絵を描くことが彼女にとっての仕事であり、生きることであり、また
何よりも絵を描くことに専念するために自由であり続けました。

 彼女は芸術家や文学界の男性との大恋愛ののち、女性の芸術家をパートナーにする
など、当時の社会状況を鑑みても、とにかく自由な存在でした。「女性である」という
ジェンダーの縛りをことごとく破り、物理的のみならず精神的にも自由であり続け
ました。どうしてそんなに自由でいられたのか。またどうしてそう自由であろうとし
たのか。

 その鍵は「戦争」だったのではないかと、私は思います。

 トーベ・ヤンソンが生まれたのは、第一次世界大戦が始まった1914年でした。母国
フィンランドは当時、ロシアから独立するべく動乱期にあったのです。そんな大きな
うねりのなか、スウェーデンとフィンランド両国で美術を学び、フランスにも留学を
したトーベ。第二次世界大戦が始ったのは、彼女が25歳の時でした。そしてトーベの
最初の個展は、なんと戦時中の1939年に行われました。

 20代の、いわゆる「青春時代」を暗い戦争の影に覆われてしまっても、ひるむこと
なく風刺画を描き、ナチス・ドイツを揶揄するようなイラストレーションも雑誌「ガ
ルム」に発表していたトーベ。戦争という、個人にとってはどうしようもない大きな
運命に対峙するためには「自由がいちばん」だったのではないか? と私は個人的に
思ってしまうのです。

 さらにいえば、フィンランドの厳しい自然との対峙も、ムーミン物語の哲学や、
キャラクターたちの含蓄ある言葉を生み出したのではないか? とあれこれ考えてし
まうのです。
 
 トーベの生涯については、本書『ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン』をじっ
くり読んで頂くとして、ここでは特筆すべき点をご紹介することにとどめましょう。
 世界中から、そして日本からもたくさんの人が訪れたという、ヘルシンキ・アテネ
ウム美術館で今年3月から9月まで開催されたトーベの大回顧展。彼女の油絵の大作
や、公共施設(主に病院など)の壁画ほか、いまだかつてない規模の展覧会でした。
この展覧会は日本でも10月23日から巡回する予定ですが、日本では未公開の絵画
や資料、写真があります。それらかなりの点数を本書内では収録しており、オール・
カラー図版で見ることができます(これは、日本の展覧会図録でも収録されておりま
せんので、大変貴重です)。

 トーベの生涯を深く知ることで、ムーミン物語の哲学もより深く知ることができる
ことになると思いますし、ムーミンだけでない、冒頭に書いたとおりの幅広い芸術活
動について、触れることができると思います。
 どうぞ、展覧会前の予習に、また展覧会後にじっくりと復習として、本書をぜひ読
んで頂きたく思います。(編集担当)

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【書籍情報】
トゥーラ・カルヤライネン 著
セルボ貴子/五十嵐淳 訳

【イベント情報】
10/20、24『ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン』著者来日イベント開催(大
阪・東京)

トーベ・ヤンソン展
10月23日よりそごう美術館にて開催(全国巡回予定)