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2015年1月の記事一覧

先日発表された芥川賞・直木賞。
今回、「九年前の祈り」で芥川賞を受賞した小野正嗣さんは、受賞会見でこんなこと
をおっしゃっていました。

「小説は土地に根ざしたもので、そこに生きている人間が描かれる。あらゆる場所が
物語の力を秘めている。世界の優れた文学は個別の土地と人間を掘り下げ描くこと
で、普遍的になっている。小説を書いたのは僕かもしれないけれど、(作品は)土地
が書いた」(朝日新聞より)

「土地が書いた」作家と言えば...そう、あの人です。中上健次。インターネットを徘
徊していると実際にこの会見で中上(この原稿では敬意を込めて「中上」と呼ばせて
いただきます)を思い出す方も多かったようです。

代表作のひとつ『枯木灘』をはじめ、『岬』『千年の愉楽』など、自身が生まれ育っ
た土地・和歌山の熊野周辺をベースに描かれた「紀州サーガ」とも呼ばれる一連の作
品は、中上自身が生まれた土地、自身に流れる血を創作の原動力とした傑作群です。
河出は1月に河出文庫新刊として、前述の『枯木灘』と、デビュー作『十九歳の地図』
を読みやすい新装新版に改め刊行しました。

枯木灘
(幻の短編「覇王の七日」を新規収録。解説は柄谷行人さんと市川真人さん)

十九歳の地図』(解説は古川日出男さんと高澤秀次さん)

『枯木灘』は元々「文藝」に連載された中上初の長編作品で、1977年に単行本が刊行
され、78年に毎日出版文化賞、芸術選奨新人賞を受賞しました。当時中上は31歳。
76年の芥川賞受賞作『岬』に続く、世に言う「秋幸サーガ」三部作の二作目(三作目
は『地の果て 至上の時』、現在は講談社文芸文庫)です。河出文庫の80年の創刊ライ
ンナップのひとつでもありました。

『十九歳の地図』はあの尾崎豊がアルバム「十七歳の地図」でオマージュした作品と
して知られていますが、「文藝」に掲載された短編を集めた「第一創作集」として、
74年に河出より刊行されました。都会の片隅で鬱屈する少年のお話が主題で、発表当
時の68~69年に起きた永山則夫の事件が背景にあったとも言われています。表題作は
芥川賞候補でもありました。この辺りのエピソードは文春文庫から発売中の、高山文
彦さんによる中上健次の評伝『エレクトラ』に詳しく、とても面白いのでぜひ読んで
みてください。

とまあ、中上健次とゆかり深い、ここ河出書房新社。中上は92年に亡くなりました
が、死後20年以上を経た今も、未だに「中上伝説」は社内で語り種です。
たとえば『千年の愉楽』の冒頭短編「半蔵の鳥」(池澤夏樹=個人編集「日本文学全
集」『中上健次』巻収録)。この作品、実は本来は100枚程の作品を予定していたら
しいのです。でもなかなか原稿は来ず...「文藝」掲載の締切が本当の本当にギリギリ
に。あと数時間ですべてを校了せねばならない段階にさしかかり、印刷機がまわりは
じめて、当時の編集長金田太郎氏が苦渋の決断で「80枚が確保できるギリギリ」→
「80枚以内に収めてくれ」→「もうあと2時間しかない!60枚しか無理!」と判断が
下り、不服ながら今の長さになった...などと後年、中上も語っています。
(いやいや、締切守ってくれれば...と思うのも野暮な話ですね)

そのとき中上は河出の会議室の大きい机の上に寝っ転がって必死で書いていたそうで
す。現在、河出の会議室にある大きい机と同じ机かどうか、今となっては知る人もい
ませんが、私は会議室の机を見ては中上はここで寝転がってたのかな、と思うことが
あります。

社内に伝説が残るくらいですから、ある意味「めんどくさい。でもとても愛すべき作
家」だったのだと思います。そして『枯木灘』も『十九歳の地図』も名作。
河出の社員たるもの、この二作を知らなければ社員にあらず...!

だが、しかし。

正直私は中上作品が苦手でした。社員になってからも苦手意識が強く、でも社にゆか
り深い作家だし、現代日本文学で非常に評価高いし...「正直ようわからへん...」とは
なかなか言えませんでした。

19歳のときに、19歳だし、と思って本屋さんで買った『十九歳の地図』は中二病男子
臭さが鼻について、なにこの情けない田舎者自意識、と思い(今から思えば自分も田
舎者だからよくわかるのでした)、名作とされてるので一応読んでみようと思った
『枯木灘』もひたすら長いし、なんか泥臭いし、ごちゃごちゃしてるし、ああ、もう
めんどくさい!といった感じで挫折。会社に入ってからも、心中ずっと苦手意識があ
りました。阿部和重さんの神町サーガ、古川日出男さんの東北サーガ、舞城王太郎さ
んの西暁サーガはもうとても好きなのに!(舞城さんはわかりませんが、阿部さん、
古川さんは中上に対する敬愛を表明していますものね)

ですが。
その苦手意識が払拭されたのが今回の日本文学全集の中上巻に収められたメイン長編
『鳳仙花』でした。
全30巻、3人の編集部員で担当を手分けして刊行しているのですが、たまたま私が中
上を担当することになって精読しました。そして今回池澤さんが選んだ「鳳仙花」を
初めて読むことになったのですが、読み終えた時の、今までの中上作品イメージがが
らりと変わったときの感動と言ったら...!

今回の日本文学全集の池澤さんのコンセプトは「古典、及び近現代作家への入り口を
用意する」というものです。池澤さんの「古事記」はじめ、古典新訳がおかげさまで
話題となっているので、その「新しく出会う」というコンセプトは伝わりやすいかと
思いますが、近現代の作家たちに関して「新しく出会う」とは...?
編集部である自分自身は頭ではわかってはいたものの、まだなんとなく、「それでも
中上は中上だし」と思っていたのです。それが「鳳仙花」→「千年の愉楽」から2編→
「熊野集」「紀州」と読み進めて、通して読んだときの世界の変容は自分でもただた
だ驚くのみでした。

「紀州の海はきまって三月に入るときらきらと輝き、それが一面に雪をふりまいたよ
うに見えた。フサはその三月の海をどの季節の海よりも好きだった」(「鳳仙花」)

冒頭文に象徴される、登場人物たちが生きる世界の美しさ、ヒロインであるフサ(中
上の実母がモデル)の可憐でたくましい姿。愛して産んで育てて、また別の男を愛し
て産んで育てて。28歳で5人の子持ち。でも可憐でみずみずしくて力強くて健気で。
どなたたがツイッター上で「今のポカリのCMに出てきそう」と書いていたくらい、魅
力的なヒロインです。
今回の挟み込み月報は東浩紀さんと星野智幸さんにお書きいただきましたが、東さん

「三部作の批評は、秋幸と父・龍造の対立ばかりに注目していた。しかし、もし、そ
もそもの肝心の主人公の母親が、こんなにも瑞々しく、かわいらしい少女だったのだ
としたら? (中略)中上が紀州サーガで描きたかったのは、本当は女性たちの物語
だったのではないか」

と書き、さらに星野さんも

「これまで、私が中上健次の小説を好きだと言うと、『枯木灘』は読んだし優れた作
品だとは思うけど、入り込めなかった、疎外された気がした、違和感がどうしても
残った、と反応する女性の読み手の声をずいぶんと聞いてきた。代表作である秋幸三
部作が、そういう性格を持つことを、これまで等閑視しすぎたと思う。この巻のライ
ンナップは、そんな読者たちに、新しい中上像を見せてくれることだろう。」

とお書きになっています。「まさに...!」とお原稿をいただいた時に思ったもので
す。
「若い頃に読んだ作品を今読んだら別の感想を持った」というお話はよくあります
が、単純に自らの無知で勝手に苦手意識を持っていた作家と、新しく出会い直すとい
うのは大変恥ずかしながら初の経験でした。

そんなわけで日本文学全集はまだまだ続きます。古典新訳で古典と新しく出会うと同
時に、近現代の作家たちの巻もぜひこれまでのイメージをいったん置いて、新しい気
持ちで今、読んでいただければと思います。そして「中上健次」は「もしかするとイ
メージの変容に貢献する、そのうってつけの1冊になるのではないかと思います。

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「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」第23巻『中上健次
本邦初! 中上作品主要登場人物、詳細系図付(作成=市川真人)

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