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村岡花子の翻訳はなぜ世代を超えて愛されるのか

 この度、河出文庫から続けて刊行した、エレナ・ポーター『スウ姉さん』、ジー
ン・ポーター『リンバロストの乙女(上下)』、バロネス・オルツィ『べにはこべ
は、「赤毛のアン」を日本に紹介した名翻訳家、村岡花子による翻訳小説です。
 
 のっけから文句を垂れて恐縮ですが、私は放映中のドラマ『花子とアン』に対し、
少なからず不満を抱いています。もちろん、あのドラマのヒロイン「花(子)」は、
あくまでも実在の村岡花子を「モデルにした」という名目なわけで、事実と違う! 
とのクレームは野暮だと重々理解しています。だが。童話作家やラジオのおばさんと
しての活躍にあれほど時間を割くのであれば、村岡花子が抱いていた翻訳家としての
スピリットも、もう少し描いて欲しかった。

 というのも今回、長らく絶版だった村岡訳作品の文庫化を、様々な世代の多くの読
者の皆さまが喜んでくださいました。名作の「新訳」が話題となる昨今において、村
岡訳がなぜこれほど愛されるのか考えたとき、それは彼女が持っていた確かな英語
力、日本語の豊富な語彙と文体リズム等々、だけが理由ではない気がするのです。お
そらく、その魅力は、明治26年に生まれて昭和43年に亡くなるまで、村岡花子が持ち
続けた翻訳への情熱や使命感とは切り離して語れないのではないか。

 本人が書いた各作品のあとがきやエッセイ、お孫さんによる評伝等によれば、実際
の村岡花子は、もともと飛び抜けて聡明な文学少女で、十代で学んだ東洋英和の膨大
な蔵書も読破するほどの語学力の持ち主だったそうです。その彼女が、二十歳過ぎで
通っていた夏期講習の間に夢中となったのが、ジーン・ポーター『リンバロストの乙
女』の原書でした。物語の主人公は、実の母に阻まれながらも、虫の収集で学費を稼
ぎ、勉学に励む少女エルノラ。この物語に共鳴した村岡花子は、自分のつとめは、こ
のような良質な家庭文学を日本のティーン・エイジャーに届けることだと決意しま
す。
 その少し前、村岡花子は、彼女が生涯もっとも敬愛を払った年上の友人、片山廣子
と出合います。アイルランド文学者にして歌人であった片山は、村岡を近代文学の世
界へ導いた師でもありました。その片山から薦められたうちの一冊が、バロネス・オ
ルツィ『べにはこべ』の原書。フランス革命を舞台に、秘密結社や美女が活躍する情
熱的な物語(その実、倦怠期に陥った一組の夫婦の切実な物語でもあります)。文字
通り一晩で読んでしまうほど、魅了された村岡花子は、翻訳への決意を燃やします。
 そして、その約15年後、関東大震災での壊滅的な被災や、たったひとりの愛息の死
を乗り越えるべく、村岡花子が夫と立ち上げた機関誌「家庭」で連載をはじめたの
が、エレナ・ポーター『スウ姉さん』。父親の会社が倒産し、恋人には裏切られ、音
楽家になるという自分の夢も断たれたスウ姉さんが、それでもユーモアを忘れず、力
強く生きていく物語。Sister Sue が原題のこの本が、1932年はじめて単行本として
世に出た際の邦題は『姉は闘う』でした。
 もちろん、翻訳は原書あってこそ。しかし、それぞれの時、村岡花子が作品の紹介
に込めた強い思いは訳文に生き続けているに違いなく、それはやはり村岡花子にしか
創り出せなかった作品群なのだと思う。あとはどうぞ、これを機会に、実際に村岡訳
を味わってみてください。

 と考えてみると、このように村岡花子が人生の分岐点で出合った大切な作品群を、
今回改めて世に出せたのは、ドラマの盛り上がりのお陰だったりもして、その点とて
も感謝しているのでした。

                            編集部・松尾亜紀子

【「花子とアン」関連書籍】
http://r34.smp.ne.jp/u/No/1218123/idywEffdgfi8_620/218123_140910001.html

(初出:『かわくらメルマガ』vol.54 村岡花子の翻訳はなぜ世代を超えて愛されるのか)